豊大先生流・陸上競技のミカタ

陸上競技を見続けて半世紀。「かけっこ」をこよなく愛するオヤジの長文日記です。 (2016年6月9日開設)

100m競走

出たぁっ!桐生祥秀の「9・9」!





2017年9月9日・土曜日、福井運動公園陸上競技場。
この「9・9」という日付を、私たち日本の陸上競技ファンは生涯忘れることがないでしょう。
歴史が、刻まれました。
17歳で10秒01の快記録を叩き出して以来「日本最速」の名を身に纏いながらも、今年の日本選手権ではトップ3の座を逃すなど、歓喜と失意を交互に味わってきたスプリンター・桐生祥秀(東洋大4)によって、レコードブックに「9・98」という新たな数字が書き加えられたのです。

1968年10月メキシコシティで開催された第19回オリンピックで、アメリカのジム・ハインズが電子計時で初の9秒台に突入してからほぼ半世紀。
1983年5月、カール・ルイスが初めて高地以外の場所で9秒97を刻んでから34年。
1998年12月、伊東浩司さんが世界で27人目の、アジア人・黄色人種として初めての9秒台をすんでのところで逃してから19年。
この間、100人近いスプリンターが日本人選手に先駆けて、10秒の扉をこじ開けてきました。
史上125人目の100m9秒台。
21歳268日での10秒突破は、20番目に若い年齢での達成。
速報で掲示された9秒99ではなく9秒98という記録には、大きな意味があります。なぜなら、スー・ビンチャン(CHN)が持っていた「黄色人種記録」「東アジア記録」(という公式の用語はありませんが)を僅かながらに上回ったからです。

日本のスプリント界は、ここに新しい局面を迎えました。
先日の世界選手権まで、「9秒台が一人もいない400mリレーの強豪国」という事実が世界から驚異の目で見られていたのが、そうではなくなるのです。
そして、これから短い期間で、複数の日本人選手が雪崩をうって9秒台に突入してくることが期待されます。
競泳界でも永年の「夢」だった男子100m自由形「50秒の壁」が、2005年、佐藤久佳によってこじ開けられた途端に多くのスイマーが呪縛を解き放たれ、いとも簡単に追随したように、です。
世界が恐れるアジアの短距離強国へ。
その先にあるのは、東京オリンピックです。

2017全カレ100m

第101回日本選手権の見どころ ① ~男子スプリント


お陰様で、当ブログも開設1周年を迎えました。いつもご愛読いただいて、ありがとうございます。
しかしながらここんとこ、生活がちょっと多忙につきブログの更新がままならず、ご訪問いただいた方々にはご迷惑をおかけしましてすんません。
今週末もDLローマ大会に始まって、個人インカレ、日本選手権混成競技と陸上競技のイベントは盛りだくさん、好況の男子スプリントを中心に話題のネタは尽きません。本来なら、競技の結果速報を含めて大車輪で戦評をお伝えしたかったところですが、無念なことに混成のライブ配信すら、ほとんど見る時間がありませんでした。

何はともあれ、『第101回日本選手権』を2週間後に控えて、ロンドン世界選手権を目指す有力選手たちのスケジュールが一段落し、あとは代表権争いの本番までの調整期間ということになります。参加標準記録到達者が思いのほか少ないのが気がかりではあるものの、そこは本番で大挙して突破~上位入賞というシーンを期待して、再来週を待つことにしましょう。
そこで、今回からはしばらく、『日本選手権』の展望という形で、今シーズンここまでの状況を確認してみたいと思います。

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 日本陸連HPより

◆男子100mは激戦模様
10日に行われた『日本学生陸上競技個人選手権』男子100m決勝で、多田修平(関西学院大3)が10秒08(+1.9)を叩き出したことで、安泰と見られていた「3強」(桐生祥秀・山縣亮太・ケンブリッジ飛鳥)による100m代表独占が、俄かに風雲急を告げる展開となってきました。
男子で現在最も「標準」到達者が多い激戦区が、この100mです。

むろん、多田は昨年来関西学生スプリント界の旗手として名のある選手であり、決してぽっと出の“新星”などではありませんが、1年前の段階では桐生の前にまったく歯が立たなかった(桐生10秒10、多田3着10秒36)ことを思えばその躍進ぶりは確かなものがあります。もっとも、桐生にしてみればローマまで遠征してまたもや向い風に祟られ、「個人インカレに出ていれば9秒台が出ていた」と、臍を噛む思いもあるかもしれません。
「標準」に到達済みの選手が4人(100mにエントリーのない飯塚翔太は含まず)。加えて、多田とともに「4番手」の位置を競い合ってきた大瀬戸一馬(安川電機)、長田拓也(富士通)、竹田一平(中央大)、さらに忘れちゃならないサニブラウン・ハキーム(東京陸協)と、9秒台一番乗りを虎視眈々と狙っているスプリンターはまだまだいます。今季いま一つの状態ながら、高瀬慧(富士通)もエントリーしています。
誰が優勝するかの前に、決勝進出することが一苦労という、大変なトーナメントになりそうです。

現状、「9秒台」に最も早くたどり着く実力を有しているのは山縣だと考えている私ですが、3月の海外初戦以来、足首の故障で戦線を離れている間の動向が気になるところです。先日放送されたNHK『“栄光なき天才たち”からの物語』(アニメの吉岡隆徳物語に山縣の近況を重ね合わせたドキュメンタリー番組)によれば、少なくとも5月下旬までは順調に練習を積んでいる様子が伝えられており、『布施スプリント』の欠場も大事をとってのことと思われ、日本選手権にはきっちりと仕上げてくるものと見ています。
そうは言ってもやはり、「ガラスの脚」が最大の懸念材料ということになるでしょうか。

潜在能力随一の桐生にはスタートの課題(完全に修復されたとは思えません)から来るメンタル面の不安、抜群の勝負強さを誇るディフェンディング・チャンピオン、ケンブリッジにはやや連戦の疲労もしくは実戦を重ねる中での競走への迷いが感じられ、飯塚に先着を許した布施スプリントのレースは、どこか中途半端なものでした。
このように「3強」それぞれに不安材料があり、ここに割って入ろうとするのが多田そしてサニブラウン、ということになるでしょう。
100m代表の「3枠」だけではなく、200mと併せたリレーメンバーの「6枠」争いもまた、熾烈なものになります。100mのスペシャリストである多田はこの点、日本選手権で3位以内に入って100mの代表権を得ておかないと「補欠」の芽はなくなるのではないでしょうか。(400mリレーには200mの走力が必要、という私の持論は下記に紹介する以前の投稿をご参照ください)

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◆さらに混戦?男子200m
飯塚が布施スプリントで「絶好調」を証明したことで、日本選手権では予選から「標準」突破を余裕で果たして代表に名乗りを挙げることが予想されます。
現在唯一の標準到達者であるサニブラウンは、その後レース出場がないようですが、100、200ともに3位以内を狙ってくるでしょう。海外での修行の成果が非常に楽しみです。
もう一人、好調なのが原翔太(スズキ浜松AC)。飯塚が10秒08(+1.9)を出した布施スプリントでは2着のケンブリッジに0.01秒差の10秒13でPBを更新しています。昨年僅かのところでオリンピック代表を逃した無念を、今度こそ晴らすことが出来るでしょうか。
こちらの「3強」のうち、藤光謙司(ゼンリン)は同じ布施のレースでPBを0.01秒更新する10秒23で走っており復調気配ですが、今季200mの実績がないのが気がかり。また高瀬の低迷ぶりは日本選手権に間に合うかどうか、かなり疑問です。
予選で規定内の風で「標準」を突破し、精神的に余裕を持った選手が決勝では優位に立つような気がしています。


◆マイル代表争いも熾烈
400mでは、本来ならば大本命となるウォルシュ・ジュリアン(東洋大3)が『ワールドリレーズ』でパンクしたきりインカレ戦線にも戻って来れませんでした。非常に心配なところですが、7月の『アジア選手権』代表に名を連ねたことで、復帰の態勢は整ったものと見てよさそうです。
同じリオ代表の加藤修也(早稲田大4)もインカレ欠場。この2人の状態如何で、マイルリレー代表争いはどう転がるかまったく分かりません。
『ワールドリレーズ』で初代表となった藤原武(ユメオミライ)、関東インカレを制した北川貴理(順天堂大3)、また小林直己(HULFT)、田村朋也(住友電工)、佐藤拳太郎(富士通)、堀井浩介(住友電工)ら、初優勝を狙う面々の誰が上位4人に入るか、何人が45秒台の声を聞かせられるか…。現状、ウォルシュ以外に標準突破の期待がかけにくいのが残念なところではありますが。
言うまでもなく、昨年連覇を途絶えさせられた金丸祐三(大塚製薬)の巻き返しにも期待です。ただ、近況は芳しいものではないようで、予選の走りに注目したいところです。

※参考記事
<連載>100m競走を語ろう

http://www.hohdaisense-athletics.com/archives/cat_172993.html
日本リレーチームはなぜ37秒60で走れたのか
http://www.hohdaisense-athletics.com/archives/6261252.html

<連載>100m競走を語ろう ⑬~風を味方に走れ



◆超音波式風速計がなかったので…
2013
年、我が国の陸上短距離シーンに「怪物高校生スプリンター」が現れました。4月29日、多くの選手がシーズン初戦に選ぶ『織田幹雄記念国際陸上』の予選で、10秒01(+0.9)の日本歴代2位、日本記録まで100分の1秒という快記録をマークした桐生祥秀選手(洛南高=当時→東洋大)です。
桐生選手は2年生だった前年の秋に、当時の高校記録(大瀬戸一馬選手がその前年に18年ぶりの新記録として出した10秒23)を破る10秒21で走って高校記録保持者となっており、この織田記念大会でも注目される一人には間違いありませんでしたが、まさか一気に9秒台目前の領域まで差し掛かるとはと、誰もが驚愕する疾走劇でした。
決勝でも追い風参考ながら10秒03というハイレベルな記録で、第一人者の山縣亮太選手(慶大=当時→SEIKO)を僅差ながら破って優勝し、実力がホンモノであることを証明してみせました。

日本の短距離界はこの新星誕生に大喝采し、「いよいよ日本人初の、いや黄色人種初の9秒台突入か?」という期待がにわかに高まりました。一般のニュースなどでも大きく取り上げられたりしたため、以後しばらくは桐生選手・山縣選手が試合に出場するたびに大きな注目が集まりました。特に桐生選手のタイムは僅か17歳のスプリンターが記録したものということで、世界的にも話題となり、この年の夏に行われた世界選手権(モスクワ)の100m予選に桐生選手が登場した際には「センセーショナルな若者!」とわざわざ場内アナウンスで紹介されたほどでした。
(結局、いまだ日本人初の9秒台は実現していませんし、黄色人種初の栄誉も、中国のスー・ビンチャン選手に先を越されてしまいましたが…)

当時、世界ジュニア記録(現在は呼称が変わってU-20世界記録)は桐生選手の出したタイムと同じ10秒01でした。しかし、IAAFは桐生の記録を世界ジュニア・タイ記録として認定することはありませんでした。
その理由は、世界記録や地域記録(エリアレコード)として認定する要件の一つである「超音波式風速計による風速計測」が満たされていなかった、というものです。この日の織田記念陸上で使われていたのは、旧式の機械式風速計だったためです。
これは「記録を公認しない」という意味ではなく、「世界(ジュニア)記録としてレコードブックに記載することはできない」ということで、桐生選手の記録はランキングには記載され、またその年に開催された世界選手権の参加標準記録到達については問題なく有効ということ…つまり、桐生選手の記録が「公式記録」であることは間違いないのです。
このように、現在ではIAAFによる世界およびエリア記録の認定には超音波式風速計の使用が必須条件になっていて、この最新機器の普及が2013年春の時点では十分でなかったこと、日本記録の認定など国内記録に関するルールとしてはこうした条件がないことなどから、当日の会場には用意されていなかったのだと思われます。まさか17歳の高校生が10秒01などというタイムで走るとは誰も予想はしていなかったでしょうが、同じレースにはアジア記録更新の可能性を持つ山縣選手なども出場していたのですから、これは日本陸連のうっかりミスだったと言えるでしょう。




◆風速風向計とは?

ここで話題になった「超音波式風速計」とは、どういうものでしょうか?
私は間近で見たことも説明を受けたこともありませんので、またまたおなじみ・セイコータイムシステム株式会社さんのHPなどからおおよそのことをまとめてみることにしましょう。
SEIKO03

 http://www.seiko-sts.co.jp/products/sports/cat02/008.html
 セイコータイムシステム株式会社HPより


原理を整理しますと、こうなります。
風というものは空気の移動ですから、空気を媒介として伝わる音波は風によってその到達速度が変動します。この風速計の先端近くにある突起のようなものの間に超音波を送受信する仕組みがあって、その時間を瞬時に計測することで、ある特定の方向(つまり走路の進行方向)に対する風の方向(順風か逆風かの二元的計測)と風速が換算され、操作盤のモニターに表示される。
…こんなところで合ってるんじゃないでしょうか?

これに対して旧式の機械式風速計というのは、おなじみのくるくると回るプロペラのような装置と矢羽のようなもので実際の風速と風向を計測し、ルールブックに併載されている「換算表」によって進行方向への風速を換算するというものです。つまり、同じ秒速1mの風でも進行方向に対する風向の角度によって異なる風速が換算される、ということです。
超音波式は、そもそも音の伝わる時間を測って風速に置き換えるのですから、風向の角度を気にする必要はない、ということですね。

ちなみに、ルールによると風速計は
「ゴールから50メートル手前、トラックの縁石から2メートル以内の場所に、高さ1.22mで設置する」
ことになっており、
「100m競走の場合はスタートから10秒間、110mH・100mHでは13秒間、200mの場合は先頭走者が直線に差し掛かってから10秒間、走幅跳や三段跳では定点を通過してから5秒間」
計測してその平均値を表示させます。写真の説明で「計測時間は…」云々とあるのは、そのことを言っているのです。
となると、操作方法としては、計測時間をセットして、計測開始のタイミングを間違えずにスイッチを押せば、あとは勝手に機械が正しい風速を弾き出してくれる、ということのようです。

冒頭の「桐生選手の一件」があって以来、陸連は当時まだ国内に何台かしかなかったという超音波式風速計を桐生・山縣などの有力選手が出場する大会には必ず持ち込むようにし、また各地の競技場やこれを所有する自治体などが、争うように最新式の風速計を導入しました。メーカーさんは、時ならぬ「桐生景気」に遭遇したのではないかと拝察します。

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◆風を馬鹿にしちゃいけない

さて、ご存知のように、直走路を片側のみ使う短距離走(100m、200m、110mH 、100mHなど)と走幅跳、三段跳では、2.0m/sを超える追い風が記録されたレースまたは試技での記録は、公認されません。超えてしまった場合の記録は「追風参考記録」となり、競技の順位争いには影響しないものの、公式記録としては残らないのです。

自身で走ってみればよく実感できることですが、陸上に限らず競走競技の記録に、風の影響というのはきわめて重大なものです。
完全な無風状態の場合、ランナーはその時の速度に応じた空気抵抗を受けつつ走ることになります。たとえば私のようなヘナチョコ市民ランナーでも、1㎞あたり5分のペース(12km/h)で走っていれば、正面から3.3m/sの風を受けているのと同じ状態になります。(すいません、ちょっと見栄を張りましたが、最近はランニングをサボっているのでとてもそんなペースじゃ走れません)同じペースでスポーツジムなどのトレッドミル(ランニングマシン)上を走る場合は、この空気抵抗が0になるわけですから、体感の違いは歴然としています。

まして100m
10秒で走るスプリンターであれば、平均10m/sの風に相当する空気抵抗を受けることになり、文字通り彼らは「風を切り裂いて疾走する」のですね。

この空気抵抗が、後ろからの風によって和らげられたり、前方からさらに加えられたりするのが、追い風であり向い風で、100m競走の場合にその影響は、風速1m/sにつきプラスマイナス0.050.10秒程度と言われていますが、私の印象ではもう少し大きいのではないかな?という気がします。
むろん、風というものは競走の進行方向に沿って吹くとは限りませんから、風速計(あくまでも進行方向に沿った風力を計測する)には顕れない強い横風によって走りを崩されるなど、風速以上の影響を受ける場合もあるはずです。(嵐のような暴風が吹き荒れていても、進行方向に対しては風速0ということも現実にはあり得ます)

ちなみにハードル競走の場合、走る歩数が決まっているので、追い風に比例してタイムが伸びるということはないようです。強過ぎる追い風は、ハードリングを狂わせてしまいますから。
いっぽうで、200m競走の場合に、ちょうど第4コーナーでの進行方向に沿った斜めからの強めの追い風が吹いていると、風速計に顕れる数字は+2.0以下でもコーナーではより強い追い風を真後ろから受けていることになります。こうした風は「200m風」と呼ばれ、先月の日本選手権で福島千里選手や飯塚翔太選手が好記録を出したレースでは、このような条件に恵まれていたと考えられます。

向い風は100分の1秒を争うスプリンターにとっては地獄だし、強過ぎる追い風もまた、しかり。ゴールの瞬間に表示されたせっかくの好タイムが、次の瞬間追風参考と知った時のガッカリした表情は、あまり見たくないですものね。


ところで風速云々の話からは逸れますが、私は常々、陸上競技においてこの「空気抵抗」という問題があまり取り沙汰されないのはどうしてだろう、と不思議に思っています。

たとえば、競泳ではひと頃、「水の抵抗を軽減する」という特殊素材のスイムウェアが一大ムーヴメントを巻き起こし、実際に“究極の高速水着”が席巻した2009年にはとんでもない頻度で世界新記録・日本新記録が量産され、慌ててFINA(国際水泳連盟)が素材・デザインの規制をかけたほどの事態になりました。
また、陸上競技以上の速度で勝負を競う自転車競技では、この空気抵抗、風圧ということへの対処が、すべてのレースにおいて最重要視される要素になっています。

陸上競技でも、古くは1984年のロサンゼルス・オリンピックあたりで奇抜な「全身スーツスタイル」のウェアが登場し、2000年のシドニー・オリンピックでも地元のヒロイン、キャシー・フリーマンがそうしたコスチュームを着用して話題をまいたことがありましたが、あまり追従する動きはありません。
現在の短距離走者のランニングウェアは、体にフィットした伸縮性の素材が多用されるようになったのは確かですが、いまだに昔ながらのランシャツ・ランパンを風になびかせている人も少なくありません。細かいことを言えば、ウエアと露出した肌の境界ひとつをとっても、微細な空気抵抗の一因にはなっているのではないか、と考えられます。近年流行りの半袖型のウェアを着て首のところを寛げている選手を見ると、「ちゃんと全部閉めればいいのに…」と思います。

また、ロードやオープンレーンの競走では「人の背後について走る」ということが空気力学的に絶対有利なことは明らかなのに、これを戦術として徹底している選手やチームがどれほどあるのか、疑問に感じます。マイルリレーなどで、先行する選手をいち早く抜きにかかって自ら風よけ係になってしまい終盤失速するような選手を見るたび、「・・・・・・・」と思ってしまいます。(当事者にはいろいろとそうする理由もあろうかと思いますが)

もちろん、個々の選手たちは空気抵抗や風との戦いを、それなりに意識して競技しているのだろうとは察しますが、もう少し積極的に、100分の1秒を稼ぐランニングウェアを研究したり、風圧を戦術的に利用することを考えたりすることが論議されてもよいのではないか、とあくまでも外野からの声ではありますが、ここで申し上げておきます。

 

<連載>100m競走を語ろう ⑫~明暗を分ける、フィニッシュの“技”


陸上競技ならば距離の長短に関わらず起こり得ることですが、数センチの差が勝敗の明暗を分けるようなことが特に頻繁に起こる短距離種目では、

「いかに早くトルソーをゴール面に到達させるか」
が重要なテクニックとなってきます。
ほぼ同体でゴールになだれ込むような状況の時に、たとえば体の中心線や足の位置では僅かに負けているとしても、トルソーをより早く前に出すことができれば、そのレースで勝ちを制することができるからです。

というわけで、短距離ランナーはゴールの瞬間…本当に“瞬間”的に上体をグイッと前へ倒すことによって、トルソーすなわち肩や首の付け根を前へ出し、それこそ100分の1秒を削り出すようにして、競り合っていた相手に勝つということを試みます。この“フィニッシュ技”によって、僅かに不利だった形勢を逆転させるというケースが、短距離レースでは少なからず起きるのです。
リードを許していた相手を逆転するということは、その分ゴールタイムも実際に速くなっているわけですから、競っていようがいまいがこの技術をおろそかにしない、という姿勢はスプリンターにとって大きな課題です。


◆ストレートハードルでは必修科目
特にこの傾向が顕著なのが男子110mハードル、女子100mハードルといった直走路のみを使って行われるハードル競走で、最後(10台目)のハードルを越えてからフィニッシュまでの歩数が分かっていますから、多くの選手は意識して最後の一歩にこの“技”を繰り出してきます。
記憶に残るところでは2005年の日本選手権男子110mハードルで、この「必殺の前傾フィニッシュ」技術を得意としていた谷川聡選手が、ゴール寸前まで胸一つ先を走っていた内藤真人選手と同着に持ち込み、みごと世界選手権代表の座を手にしたというレースがありました。

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2005年日本選手権の男子110mH決勝ゴールシーン。
谷川聡選手(3レーン)と内藤真人選手(4レーン)の接戦。
他の選手を見ても、ほとんど強い前傾をかけている。


また、2014年・15年のインターハイ男子100mを連覇した大嶋健太選手(東京高→日大)は、片手を大きく前に突き出す独特のフィニッシュ・スタイルで知られています。
これは、スキーやスノーボードの対戦形式のレース(2人1組で競う「パラレル」や4人から6人で競う「クロス」など)では「体の一部がゴール面に到達した時がフィニッシュ」となっているため、選手は片手を大きく前に突き出してゴールするのですが、その姿勢によく似ています。もちろん陸上では手の先端がゴールを通過してもフィニッシュとはなりません。ですが片手を大きく前に出すことで、その付け根である肩すなわちトルソーを少しでも前に出す、ということになり、またそうする意志によって上体が瞬間的に前傾することにもなりますから、陸上競技のフィニッシュとしても理に適った体勢だと言えるでしょう。
大島選手は、3年生で迎えた15年インターハイでは、大本命に推されていたサニブラウン・ハキーム選手(城西大城西高)と大接戦を繰り広げ、最後にこの「得意技」を繰り出して100分の1秒差で破ってみせました。

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2015年インターハイ男子100m決勝。凄まじい追い込みを見せたサニブラウン(6レーン)を得意のフィニッシュで振り切った大嶋健太(4レーン)。サニブラウンのフィニッシュ姿勢も見事。



◆100年前の仰天フィニッシュ技

ところで、大昔、100年近く前のスプリント界では、「フライング・フィニッシュ」という技術が大真面目に取り入れられていたのをご存知でしょうか?
つまり、短距離走の最後の一歩をまるで走幅跳のように大きく「跳ぶ」ことによって、「早くゴールに到達することができる」、と信じられていた時期があったのです。
写真は1920年アントワープ(ベルギー)オリンピックにおける男子100mのフィニッシュ・シーン、優勝したチャーリー・パドック選手(アメリカ)が試みているのが、この技術です。
パドック選手は4年後のパリ大会ではイギリスのエイブラハムズ選手に敗れましたが、そのレースが舞台となった映画『炎のランナー』ではすでにこのフィニッシュ法は描かれておらず、主人公のエイブラハムズがコーチから「上体を倒す」フィニッシュ姿勢を指導されているシーンが見られます。

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1920年オリンピック男子100m決勝のゴール。両手を挙げて跳びながらフィニッシュしたパドック(USA)が優勝したことで、このフィニッシュ法の優位性がいっとき信じられた。

「フライング・フィニッシュ」が流行したのはほんの一時期で、「跳んだ方が速い」というのは全くの錯覚であり、それまでと同じリズムで駆け抜ける方が速いことが科学的にも実証されるに及んで、あっさりと姿を消してしまいました。


ところが、これとよく似た光景が現代のあるスポーツシーンにもしばしば登場するのに思い当たりませんか?…それは野球でよく見られる「一塁へのヘッドスライディング」です。駆け抜けた方が速いに決まっているのに、おまけにスライディングというのはベースのピンポイントを目指して「止まる」ための技術なのに、なぜアウトかセーフかの際どい瞬間にわざわざヘッドスライディングで減速をしようとする選手が後を絶たないのか、唯一「タッチを避ける必要もなくベースの好きな場所を踏んで駆け抜ける」ことが許されている一塁でこれを行うのか、私にはどうしても理解できません。

ま、これは例によって「余談」ということで。 
 

<連載>100m競走を語ろう ⑪~着順判定に必要なモノの話



前回は、電子計時システム、中でもトラック競技の正式結果(タイムおよび着順)を判定するためのスリットビデオ・システムについて概略をご説明しました。
その中で、着順判定について少し補足することがありますので、今回はそこから再開したいと思います。


◆腰ナンバーって、何?
100m---Photofinish
スリットビデオによる判定写真を前にして、着順の区別とそれぞれのタイムが判ったとしても、それぞれが8人(あるいはそれ以上)の中のどの選手なのか、ということを人の目で判定する必要があります。
まあ、ユニフォームや外観からおおよそのところは判りますし、セパレート・レーンであればレーン位置からも見当はつきますね。ただ、ご覧のように選手の姿は宙に浮きあがって写っていることが多いので、位置関係によっては隣り合ったレーンのどちらかが判別しにくかったり、たまたま同じユニフォームを着ていて(ダイヤモンドリーグでは国やチームのユニフォームではなく契約するメーカーのユニフォームを着る場合が多いので、多くの選手が同じものを着用しています)取り違えてしまう、ということが起こり得ます。まして、中長距離のレースならば、レーンで選手を見分けることはできません。
そこで、選手個々にはユニフォームに装着が義務付けられているビブス(ナンバーカード)とは別に、レース直前にレーンナンバー(1500m以上の距離のレースではスタート時の内側からの並び順)を記した「腰ナンバーカード」というものが渡され、選手はシール状になっているこれを体の側面に貼り付けてスタートに臨むことになっています。

とは言っても、この腰ナンバーというやつ、特に最近の化繊素材のユニフォームでは貼ってもすぐに剥がれ落ちてしまうこともあり、それを嫌って太腿の外側に貼る選手もいるのですが、写真をご覧になれば分かるように、いまひとつ番号が判然としない場合もあります。選手が完全に重なり合って、奥側の選手のナンバーが見えないという場合もあります。長距離走では激しいレース中の動きや選手どうしの接触で、また汗に濡れて剥がれてしまうことも少なくありません。
正確な順位判定には、目視や一般的なビデオ映像の併用が必要になるケースもあるようです。

大規模な大会で800m以上の競走では、今ではランナーズチップが併用されており、おかげで全選手のスプリットタイムを知ることができますし、着順判定にも役立っているものと思われます。いずれは、これが短距離も含めた全トラックレースの出場選手に装着されていくことになるのではないでしょうか。
いずれにせよビブスと腰ナンバーの併用は観る者にとって混乱を招くこともあり、近年の大規模イベントではフロントのビブにはナンバーの代わりに選手名を記載することが定着しつつあるので、いずれこのあたりのルールも整理されて、「すぐ剥がれ落ちる」腰ナンバーは廃止されていくのではないか、と思っています。
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選手の個人名が入ったフロント・ビブ(バック・ビブにはIDナンバーが記載されている)と腰ナンバー。
3番目の選手など、剥がれ落ちる寸前。




◆(ちょっと余談)「コース」「ゼッケン」は今や死語

1996年に日本陸連の(つまり国内の)ルールに変更があり、それまで「コース」と呼んでいた「分割された走路」のことは「レーン」に、「ゼッケン番号」と呼ばれていた選手のID番号は「ナンバー」に、ゼッケン番号を記載したカードは「ゼッケン」から「ナンバーカード」に、それぞれ呼称が変更統一されることになりました。「コース」「ゼッケン」はともに、和製英語とは言えないまでも陸上競技用語としては日本独自の呼称で、英語圏の呼称に合せて改称した、というわけです。
それまで「1コース」「2コース」などと言っていたのが「1レーン」「2レーン」…に代わって、これをファンの間に浸透させる役割を担う立場にあった放送局の実況アナウンサーなどは大いに戸惑った様子がありましたが、今ではすっかり定着しています。

「ゼッケン」の方は、本来が馬術用語のため今でも競馬などでは普通に使われていますし、市民マラソン大会などでは参加者に分かりやすいようにとの配慮からか、公式文書であっても今なお使われている場合がありますが、正式の陸上競技用語としては完全に「死語」。
また、国際的には「ナンバーカード」という代わりに「ビブ(ビブス)=もともとの意味は〈よだれかけ〉」という用語のほうが主流になっています。
これは、前項にあるように「IDナンバー(ビブス・ナンバー)カード」と「腰ナンバー(レーン・ナンバー)カード」との区別を明瞭にするためで、大会を通しての選手個人のIDとなる(したがって複数の種目に出場する場合も同じナンバーを用いる)ナンバーと、レースごとの並び順を表示する腰ナンバーの2種類のナンバーが併用されている、その混乱を防ぐための言い換えです。
前項にもあるように、現在では体の前後に装着するナンバーカードのフロント(胸)の方には選手名が記載されることが多く、番号が記載されていないのに「ナンバーカード」はおかしいじゃないか、という理由もあるのでしょう。

いずれにしても、「陸上競技にはもはや『コース』とか『ゼッケン』という用語は存在しないよ」というのは、中高年のロートル世代にとっては、ちょっとしたトリビアかもしれません。

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◆(これも余談)100年以上前に存在した「電子計時」…そのタイムは?

日本の陸上競技史を語る上で、創成期のグレート・アスリートとして欠かすことができない藤井實という選手がいました。
1880年(一説では1881年)生まれの藤井は旧制一高(現在の東京大学教養学部)から東京帝国大学法科大学(現在の東大法学部)に進んだ文武両道の俊才で、短距離だけでなく棒高跳や投擲種目などにも異能を発揮したマルチ・アスリートでした。世界記録を認定する国際陸連(IAAF)が発足するのは1912年のストックホルム・オリンピック開催後ですが、それ以前の1906年に、棒高跳で3m90という記録を跳んでいます。1904年のセントルイス・オリンピックの優勝記録が3m50、08年ロンドン・オリンピックが3m71ですから、これは「推定世界記録」。100mではおおよそ11秒台そこそこというタイムが多く記録されていて、これもまた当時の世界レベルの実力だったと言われています。

その藤井が1年生で出場した帝大運動会(1902年11月8日)で、100mに優勝したのち「優勝者競走」という単走による記録挑戦レースに挑むことになりました。
この時に持ち込まれたのが、地球物理学者であり現代につながる東大地震研究の開祖とも言われる田中舘愛橘教授が開発したという、「電気時計」。文献によると
コース沿いの電線、1秒間に3cmずつ線を記録するテープ、スタートおよびゴール時を電線の電流遮断で記録するテープで構成され、二つのテープを科学用の計測尺で測定することでその間の時間が1/100秒単位でわかるというもの」
だったそうで、原理としては現在の光電管タイマーに似たものかな?と推測するほかありません。
この装置で計測された藤井のタイムは…なんと10秒24!
ちなみに、1912年のIAAF設立時に初めて世界記録として公認されたのは、直前のストックホルム五輪でロナルド・リピンコット(USA)がマークした10秒6、1900年から08年までのオリンピックの優勝記録(非公認)は、それぞれ11秒0、11秒0、10秒8でした。また日本が初めて選手を派遣したオリンピックは前記のストックホルム大会であり、短距離代表だった三島弥彦のタイムは12秒0と言われています。

常識で考えるならば、距離か計時装置、もしくは計時操作のいずれかが間違っていたとしか言いようがないのですが、田中舘教授は学者として超一流の名声と信望があり、また後に吉田茂と同期の外務官僚として有事の外交折衝に尽力した功績を内外から称えられることになる藤井自身も生涯この記録を信じて疑わなかったことなどから、正面切って異を唱える声は多くなかったようです。
私の大好きな、何とも鷹揚な明治のロマンを感じさせるエピソードということでご紹介した次第です。

 
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