豊大先生流・陸上競技のミカタ

陸上競技を見続けて半世紀。「かけっこ」をこよなく愛するオヤジの長文日記です。 (2016年6月9日開設)

野口みずき

連載「懐かしVHS時代の陸上競技」#4 ~2001年/第21回全日本実業団女子駅伝


今回のお宝映像は、今までよりちょっと新し目の2001年12月収録モノ。私の「VHS時代」は2003年までですから、ほぼ末期作品ですね。
今も昔も私が一番好きな大会の一つ、それが『全日本実業団対抗女子駅伝』であります。ま、どんなにブログをサボってる時でも実業団各チームの新年度戦力特集だけは欠かさないのをご覧いただければ、さもありなん、ですかな。この大会の映像は、たぶんある時期からは欠かさず録画していると思いますので、追々他の年のものもご紹介することになるでしょう。
2001女子駅伝04

◇21世紀最初の女王は?
…などと、TBSの好きそうなフレーズでお恥ずかしい限りですが、こんにち『クィーンズ駅伝』とかって勝手な命名をされて行われている大会、2010年までは岐阜県の長良川競技場を発着点とする往復コースで行われていました。(さらに初期は、コースも距離も異なりました)
距離は今と同じフルマラソン・ディスタンス、6区間になっています。ただ現在の宮城コースは3区が最長区間でエース級が集中するのに比較して、当時は5区の方が長く、ここにいかに信頼できるランナーを投入できるかが勝負の鍵となっていました。また3区と5区は大部分が同じコースの行き帰り、かつほぼ直線の単調なレイアウトだったため、走る選手にとってはむしろタフなコースと言えたのかもしれません。

20世紀の20回を振り返ると、当初は単独でチームを組める実業団がないため、地区対抗戦のような形で実業団女子駅伝の歴史が始まりました。第8回あたりから本格的な企業対抗の様相となり、この大会を目標にチーム編成をする企業も増えてきました。
初期の強豪チームと言えば、山下佐知子や荒木久美を擁した京セラ、宮原美佐子、朝比奈三代子らの旭化成、深尾真美らの三田工業など。1989(平成元)年からはワコールの黄金時代が続き、4連覇を含む5度の優勝、これに対抗したのが小出義雄監督率いるリクルート。90年代後半は川上優子を擁する沖電気宮崎(この大会から沖電気。その後OKI~廃部)が台頭し、4年間で3度の優勝を飾ります。合間の98年には、大南・川島という2組の双子姉妹の活躍で東海銀行が初優勝。そして前回、20世紀最後の大会では、土佐礼子・渋井陽子の二枚看板を揃えた三井生命が初優勝を飾っています。

当時は10月から11月に東日本、淡路島(中部、北陸、関西および中国・四国)、九州で地域大会が開催され、これを予選会として各地区に割り当てられた上位出場枠に入ったチームが、12月第2週の本戦に出場を認められていました。1980年代の好況の波に乗った企業は次々と女子チームを誕生させ、90年代は有森裕子らマラソン選手の世界的活躍が後押しをする形となって、最盛期には40チーム以上が本戦出場を目指す状況となっていきました。

今大会の優勝候補は、2連覇を目指す三井住友海上(この年から合併により社名変更)。エドモントン世界選手権に土佐(銀メダル)、渋井(4位)と2人の代表を輩出して最有力視はされているものの、その片翼・土佐が欠場となった他、実はぎりぎりの6人体制という苦しい状況にありました。
対抗は大エース弘山晴美に加えて日立から移籍のエスタ・ワンジロを迎え、戦力充実の資生堂。
ワコール黄金時代を築き上げた藤田信之監督が立ち上げたグローバリーは、「ハーフの女王」野口みずきを核に淡路島駅伝を初出場で制覇。本戦でも台風の目となることが期待されます。
9月にマラソンの世界新記録を樹立したばかりの高橋尚子は出場ならず、リクルートからチーム体制を引き継いで5年目となる積水化学は苦戦が予想されます。
第一放送車実況は、どこに述語があるのかよく分からない椎野茂アナ。解説はいつもの増田さん。

◇1区(長良川競技場~加納新本町 6.6㎞)
正午、各地区予選会勝ち上がった29チームが一斉にスタート。区間の中ほどに控える金華橋をアクセントとするコースです。
序盤積極的に前を引っ張る構えを見せたのが、21歳の坂本直子(天満屋)、20歳の尾崎好美(第一生命)といった若手勢。後にオリンピック代表となる両者とも、実力・知名度ともにまだまだの時代です。
やがてこの顔ぶれの中では一枚上手の実績を誇る橋本康子(日本生命)が集団を引っ張り始め、縦長となった集団から次々と選手がこぼれていく展開。最後は橋本、川島真喜子(東海銀行)、西村(グローバリー)、小林(デンソー)の争いとなって、川島のラストスパートを冷静に捌いた橋本が、貫禄の区間賞です。3位デンソー、4位グローバリー。
本命の三井は12秒差の5位に付け、その直後に資生堂。積水は苦しい11位発進。6人の先頭集団に残る健闘を見せた尾崎好は、終盤失速して13位に後退し、坂本の天満屋は15位です。
2001女子駅伝01
1区終盤、スパートした川島真を橋本がロックオン。

◇2区(~岐阜県庁 3.3km)
僅差の首位争いから抜け出したのは、177㎝の藤原夕規子(グローバリー)と152㎝の里村桂(デンソー)という凸凹コンビ。全行程をびっしりと競り合ったまま第2中継所へ飛び込み、最後で僅かに里村が差し切りました。日本生命は後退して東海銀行が3位。後方の集団では三井がしぶとく上位をキープ、資生堂(尾崎朱美=好美の姉)も負けじと食い下がり、さらに後方から追い上げた那須川瑞穂が僅差の6位に積水を押し上げました。
22歳の美人ランナー那須川は区間賞を獲得。その後も駅伝では切れ味鋭いスピードを武器に再三区間賞を獲得することになる彼女が、長きにわたる選手生活で初めて手にした勲章でした。


◇3区(~大垣市林町 10.0km)

デンソー・永山育美とグローバリー・野口みずきが並んでスタート。息つく間もなく、川島亜希子(東海銀行)、渋井陽子(三井住友海上)、エスタ・ワンジロ・マイナ(資生堂)、吉田香織(積水化学)、田中めぐみ(あさひ銀行)、松岡理恵(天満屋)、羽鳥智子(第一生命)…と、まさに百花繚乱、各チームの命運を託されたエース・ランナーが次々に飛び立って行きます。
この時点での下位チームでは、21位で福士加代子(ワコール)、22位で川上優子(沖電気)、25位で高橋千恵美(日本ケミコン)、27位で岡本治子(ノーリツ)らがスタート。こちらのグループには、豪快なゴボウ抜きの期待がかかります。
この大会出場者の中で、福士と吉田はいまだ第一線の現役。大したもんですねえ。

2001女子駅伝02
渋井と野口、豪華な同世代対決。この時は渋井が勝つも、6年後の東京国際女子マラソン
では野口がリベンジ達成。


すでに「ハーフの女王」の異名をとり、3か月後のマラソン・デビューを控えていた野口は、実力者の永山をすぐに振り切ると、今度は7秒後方から突進してきた渋井と肩を並べるデッドヒートを繰り広げます。同学年ながら一足先にマラソン世界デビューを果たしていた渋井が、中間点を過ぎてスパート。やはりこの距離のスピードでは一日の長があり、徐々に野口との差が広がります。
結局盤石の走りで2連覇の軌道に乗った渋井がトップでリレー。野口もずるずると後退することなく傷を最小限に留め、13秒差の2位でこれに続きます。
後方で猛追を見せたのは、女子駅伝の“風物詩”となりつつあった福士加代子のチョンマゲ姿。中間点の5㎞を渋井より9秒速い15分09秒で通過すると、あっという間に3位グループに取りつきました。
最後はラストスパートに定評のある田中が首位から30秒差で3位通過を死守し、東海銀行、ワコール、天満屋、資生堂と第3中継所に雪崩れ込みます。この辺りは、さすがにエース揃いの3区というところ。福士は16人抜きの激走で渋井に25秒差をつける31分36秒の区間賞。区間記録保持者のワンジロはやや精彩を欠いて順位を2つ落とし、資生堂は苦しくなりました。
2001女子駅伝03
区間賞の福士とトップ通過の渋井が並んでインタビュー。渋井は終始浮かない表情。

◇4区(~大垣市総合体育館 4.1km)
マラソンランナーの市河麻由美を短距離区間に充てなければならないところに、三井の苦しい台所事情が伺えました。
追走するグローバリー永井彩子、さらには天満屋の山崎智恵子がともに差を詰め、上位3チームは再び団子状態に接近してきますが、何とか市河が首位を守り切りました。上位チームは多少の順位変動はありながらも、約30秒の間に7チームがひしめく展開に変わりはありません。あさひ銀行が3位から7位に後退。資生堂は嶋原清子の力走で何とか食らいつき、5区・弘山に全てを委ねます。

◇5区(~陽南中学校 11.6km)
先頭・三井住友海上の5区は坂下奈穂美。
とかく「土佐・渋井の2枚看板」と言われる同チームにあって、実は最も監督の信頼厚く、それに応える走りを常に見せてきた駅伝マイスター。事実上、三井大躍進の大黒柱は坂下、というのも過言ではありません。美人の上に佇まいが何とも言えず格好よく、私が大好きな選手の一人でした。
ワコール所属時代にも優勝メンバーとなっており、2チームに跨って優勝に貢献したというのは大会史上初の快挙。後年唯一人、これに並んだのが豊田自動織機とユニバーサルエンターテインメントの新谷仁美。その新谷は、今年積水化学の一員となって前人未到「3チームで優勝メンバー」に挑むチャンスがあります。
なお10位以下のチームでも、北島良子(富士銀行)、安藤美由紀(第一生命)、藤川亜希(ラララ)、小鳥田貴子(デオデオ)、小﨑まり(ノーリツ)と、人気選手が数多く出走していた「華の5区」です。

その坂下が期待どおり、区間賞の走りでグローバリー田村育子以下を突き放し、遂に三井は独走態勢を確立します。
田村は翌年1500mで日本選手権3連覇、1500とマイルの日本記録を樹立する中距離の第一人者ですから、この最長区間は少し荷が重すぎたに違いありませんが、それにしては踏みとどまります。一旦並ばれた天満屋・山本奈美枝も競り落として、2位の座を譲りませんでした。
期待された資生堂の弘山晴美は、3区・ワンジロに続いて不発気味。ワコールを抜いただけで上位進出ならず、優勝はほぼ絶望的。
5区に大砲を置けることが戦略的にいかに重要かを、如実に物語る結果とはなりました。
2001女子駅伝05
第5中継所でチームの優勝に歓喜する、左から4区・市河、5区・坂下、介添の土佐。

◇6区(~長良川競技場ゴール 6.595km)
2位に59秒の大差をつけて第5中継所に飛び込んだ三井は、アンカーに入社2年目ながらその後長く中心選手として活躍する大平美樹を配して、盤石。興味はむしろ混戦の2位・3位争いとなります。
初出場・初優勝に僅かな望みを繋いだグローバリーは、アンカーの斉藤智恵子が力及ばず陥落。大南博美から大南敬美へ、最強ツインズ・リレーの東海銀行が、38秒差まで詰め寄って第2位。前半に主力選手を並べながらむしろ後半4区、6区の奮闘が目立った(山崎、北山ともに区間賞)天満屋が3位、4位資生堂、5位グローバリーまで、その差は1分04秒に過ぎませんでした。
以下、サニックス、スズキ、あさひ銀行、富士銀行、デンソーと、10位までの順位が続きます。
スズキ(現在はクラブチーム「スズキ浜松AC」として実業団非加盟)は大会の冠スポンサーでもあり、前々回3位、前回2位と躍進が続いてこの大会に期待するところ大きかったと思われますが、エースの松岡範子を故障で欠いたダメージは大きく、上位争いには一度も絡めませんでした。
翌年初優勝を飾る第一生命は12位、期待された積水化学は17位、ワコールは19位と惨敗です。

2000年から2009年までの10年間で実に7度の優勝を飾り、「駅伝女王」の名を欲しいままにする三井住友海上が、翌年小休止を挟むことになるとはいえ、その地盤をしっかりと固めた第21回大会でした。

女子マラソン、栄光再びへの道




いやもう、恥さらし連続の昨日の記事でしたな。
『第36回大阪国際女子マラソン』の放送が始まったとたん、番組のイチオシは「伊藤・重友」ではなくて「竹中・加藤」…なんだ、ワシの展望はテレビ屋の考えることと同じだったか。
「ペースメーカーがいない」などと書いたら、ちゃんとイロイス・ウェリングス、チェイエチ・ダニエルというお馴染みのラビットさんがいるし。(言い訳しますが、私、この2人はてっきり「招待選手」のリストにいるものと勘違いしてたのです。一昨年までの傾向で「大阪はPMが付かない」という先入観があって、つい早合点してしまいました)
そして、結果は「旧勢力」の一角・重友梨佐の快勝劇。
まったくお恥ずかしい展望記事を書いたもんです…。
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◆『大阪国際』は重友が優勝
PMがちゃんと付いてました、すんません…というのはまずは措いといて、そのペースがレース展開に微妙な波乱をもたらしました。
ウェリングスは昨年の大阪でも名古屋でも10kmあたりまでの導入ペース設定を任されたランナーで、大阪ではフラットな高速ペースを作り出し、名古屋ではしばしば実況で「乱高下」という言葉が叫ばれるほどの不安定なペースにしてしまった、要は巧いんだか下手なんだか分からないヒトです。
で、今回の大阪は「下手」のほうに出て、設定をかなり下回るスローペースでの入りとなりました。
おかげで序盤は、招待選手のほとんどと準招待・ネクストヒロインの何人かが入り混じる大集団が形成されながらも、5kmあたりからはまずまず落ち着いて、穏やかなレース模様になるかな、と思われました。

で、10kmでダニエル一人になったとたん、このPMがレースを動かしちゃいましたね。
このダニエルさん、昨年も中間点で一人になった(昨年は30kmまで担当)とたんに“スパート”をかけたもんで竹中理沙とセリ・チェピエゴが付いていけなくなり、結果福士加代子の独走を演出してしまったんですが、今回は早くも10kmで同じことが始まってしまいました。
集団は一気に縦長になって、重友が、伊藤が、そして竹中が、振り落とされていきます。ペースは10km以降、16分40秒台/5kmに上昇。
このペースアップに果敢に挑んでいったのが加藤岬と堀江美里、そして吉田香織。
堀江の対応力も少々意外でしたが、『さいたま国際』を走って凡走に終わった吉田が、ビックリするほど元気です。『さいたま』では先頭集団のペースに付いていけず、“美熟女コンビ”の那須川瑞穂(残念なことに、この大会を最後に引退したそうです)とともに後方に控える展開で消極性を批判された、なんてこともありましたが。
結果、吉田は残り3kmでリタイアとなりましたが、中盤戦を盛り上げた立役者となりました。35歳の職人は、まだまだ東京オリンピックを諦めてはいないそうですよ。

レースはご承知のとおり、早々に先頭集団から“脱落”したかに見えた重友が後方で立て直すや、一時盤石の態勢でトップに立った堀江を35㎞過ぎで逆転、2012年オリンピック選考会以来5年ぶり2度目の大阪優勝を飾りました。
女子の3大大会で同一レースを2度制した日本人選手はあまり多くなく、すでに廃止された東京国際の浅利純子(1995年・98年)、名古屋国際の高橋尚子(98年・2000年)、大阪では渋井陽子(2000年・09年)の例があるくらい。大阪の場合は赤羽有希子(2011年・13年)と福士加代子(2014年・16年)もいますが、いずれも1回は1位選手のドーピング失格による繰り上がりで、2度ゴールテープを切ったのは渋井に次いで重友が2人目、ということになります。
ちなみに、3大大会で通算3回優勝したというのは、浅利(上記の他93年大阪国際)、高橋(同・2005年東京国際)、野口みずき(2002年名古屋国際・03年大阪国際・07年東京国際)と、3人の金メダリストのみ。4回以上という例はありません。
こうしてみると、重友は堂々と日本女子マラソン界の歴史に名を刻む存在になった、と言えるかもしれません。あとは海外メジャータイトルか世界大会の金メダルが欲しいところですね。

竹中理沙と加藤岬は、どうしちゃったんでしょうね?
不安定なペースが敗因、とするには、あまりにもひ弱さが目に付く結果でした。
トレーニングやコンディショニングに関する情報が、私たち素人ファンのもとにまで伝わってこないのがもどかしいところですけど、両者とも昨年のタイムとほとんど変わらない結果には、1年間の成長を楽しみにしていただけに残念と言うほかはありません。特に竹中の場合は、大学時代の同級生だった田中華絵に先を越されてしまったことを奮起材料として、また出直しを図ってもらいたいものです。

そこへいくと、堀江の自己ベスト更新・自らレースを作っての2位はお見事でした。
トラックでも駅伝でも大きな実績のない地味な存在が、マラソンという種目に関してはトップランカーに名を連ねつつあるという、女子ではこれまでにないタイプの選手ですね。(ちょっと大南姉妹を彷彿とさせますが)
「25分は切れないだろう」という私の唯一的中した予想が残念ではありましたけど、これで世界選手権代表のチャンスは残りました。強豪が多数控える名古屋ウィメンズの結果によって枠からこぼれる可能性も大ですが、その場合はぜひとも、昨年のゴールドコースト制覇を上回る、海外レースでのさらなるPB更新を目指してもらいたいです。

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◆ネガティブ・スプリットって、簡単に言うけど…
ところで、今回の大会ではしきりに「ネガティブ・スプリットへの期待と評価」が随所でコメントされていました。
近年の女子マラソンの傾向として、後半にペースが跳ね上がるネガティブ・スプリットを刻まないと世界レベルには太刀打ちできない、という考え方なのですが、ちょっと引っ掛かるところがあります。

重友はペースが跳ね上がった10km過ぎでいったん自重したことによって、ネガティブまでは行かずとも絵に描いたようなイーブン・ペース(前半72分10秒・後半72分12秒)を実現したわけですが、これがもし、2年前の代表選考基準にかかっていたとしたら、どうだったでしょう?
2014年の横浜国際女子マラソンで、優勝しながら「前半のペースアップに付いていかなかった消極性」を指摘されて代表選考から漏れた、田中智美選手の事例が思い起こされます。陸連の選考方針が変化したんだと言えばそれまでですが、どうもこの種の、レース展開に関する個々の考え方にまで期待や評価をお上が下すというのは、納得がいかないのです。
先行して逃げ粘ろうが、集団走から一撃のスパートで決めようが、後方集団から追い上げようが、42kmを走った結果がすべてではないでしょうか?結果が悪ければ、「あそこでああしなきゃダメじゃないか!」と批判されるのは仕方ないにしても、ハナから「こういうレースをしないとダメだ」と決めつけるのは、いかがなものかという気がします。

ネガティブ・スプリットというのは、前半のハイレベルな探り合いがあって、勝負所で圧倒的なスピード変化を実現してこそのものだと思います。私たちが目の当たりにできた典型的な事例は、2000年名古屋国際での高橋尚子による、中間点過ぎからの破壊的なペースアップです。あれこそは、日本女子マラソン黄金時代の象徴とも言えた、「女王のレース」でした。それを実現する走力があって、初めてネガティブ・スプリットは戦術として意味が出てくるものだと思うのです。
人為的に前半抑え目のペースを造って、「さあ、後半は上げなさい」というやり方で、果たして今のレベルの日本の女子選手たちが本当に世界のレースを体感することができるのかどうか、甚だ疑問です。
その意味では、ある意味無茶なペースをメイクした今回のPMの仕事ぶりは、かえってレースに波風を立たせた結果となって、良かったのかもしれません。穏やかなスローペースで中間点まで進んで、大集団から誰が仕掛けるか、という展開も見てみたかった気はしますけど、レースは生き物ですからどうなっても対応する力がないと、世界には出ていけない、ということですね。

その点、重友の優勝は、まだまだ世界に抗するには力不足。前半を自重したのであれば、せめて35-40kmを16分台でまとめて実際に後半を1分以上は速くしないと、世界基準のレースには敵いません。
ただ、一つ勝つパターンを経験したことによって、ようやく5年前の輝きを取り戻すきっかけにはなった、と言えるでしょう。 本当なら、速いペースや乱高下するペースにも付いて行って、その上で後半自らペースアップする、35㎞までの堀江の走りと中間点過ぎの重友の走りが一人の選手によって実現できたとき、日本の女子マラソンは再び世界の中心軸となり得るのだろうと思います。

 
ギャラリー
  • 『第42回全日本実業団対抗女子駅伝』大胆展望
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