前回は、電子計時システム、中でもトラック競技の正式結果(タイムおよび着順)を判定するためのスリットビデオ・システムについて概略をご説明しました。
その中で、着順判定について少し補足することがありますので、今回はそこから再開したいと思います。


◆腰ナンバーって、何?
100m---Photofinish
スリットビデオによる判定写真を前にして、着順の区別とそれぞれのタイムが判ったとしても、それぞれが8人(あるいはそれ以上)の中のどの選手なのか、ということを人の目で判定する必要があります。
まあ、ユニフォームや外観からおおよそのところは判りますし、セパレート・レーンであればレーン位置からも見当はつきますね。ただ、ご覧のように選手の姿は宙に浮きあがって写っていることが多いので、位置関係によっては隣り合ったレーンのどちらかが判別しにくかったり、たまたま同じユニフォームを着ていて(ダイヤモンドリーグでは国やチームのユニフォームではなく契約するメーカーのユニフォームを着る場合が多いので、多くの選手が同じものを着用しています)取り違えてしまう、ということが起こり得ます。まして、中長距離のレースならば、レーンで選手を見分けることはできません。
そこで、選手個々にはユニフォームに装着が義務付けられているビブス(ナンバーカード)とは別に、レース直前にレーンナンバー(1500m以上の距離のレースではスタート時の内側からの並び順)を記した「腰ナンバーカード」というものが渡され、選手はシール状になっているこれを体の側面に貼り付けてスタートに臨むことになっています。

とは言っても、この腰ナンバーというやつ、特に最近の化繊素材のユニフォームでは貼ってもすぐに剥がれ落ちてしまうこともあり、それを嫌って太腿の外側に貼る選手もいるのですが、写真をご覧になれば分かるように、いまひとつ番号が判然としない場合もあります。選手が完全に重なり合って、奥側の選手のナンバーが見えないという場合もあります。長距離走では激しいレース中の動きや選手どうしの接触で、また汗に濡れて剥がれてしまうことも少なくありません。
正確な順位判定には、目視や一般的なビデオ映像の併用が必要になるケースもあるようです。

大規模な大会で800m以上の競走では、今ではランナーズチップが併用されており、おかげで全選手のスプリットタイムを知ることができますし、着順判定にも役立っているものと思われます。いずれは、これが短距離も含めた全トラックレースの出場選手に装着されていくことになるのではないでしょうか。
いずれにせよビブスと腰ナンバーの併用は観る者にとって混乱を招くこともあり、近年の大規模イベントではフロントのビブにはナンバーの代わりに選手名を記載することが定着しつつあるので、いずれこのあたりのルールも整理されて、「すぐ剥がれ落ちる」腰ナンバーは廃止されていくのではないか、と思っています。
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選手の個人名が入ったフロント・ビブ(バック・ビブにはIDナンバーが記載されている)と腰ナンバー。
3番目の選手など、剥がれ落ちる寸前。




◆(ちょっと余談)「コース」「ゼッケン」は今や死語

1996年に日本陸連の(つまり国内の)ルールに変更があり、それまで「コース」と呼んでいた「分割された走路」のことは「レーン」に、「ゼッケン番号」と呼ばれていた選手のID番号は「ナンバー」に、ゼッケン番号を記載したカードは「ゼッケン」から「ナンバーカード」に、それぞれ呼称が変更統一されることになりました。「コース」「ゼッケン」はともに、和製英語とは言えないまでも陸上競技用語としては日本独自の呼称で、英語圏の呼称に合せて改称した、というわけです。
それまで「1コース」「2コース」などと言っていたのが「1レーン」「2レーン」…に代わって、これをファンの間に浸透させる役割を担う立場にあった放送局の実況アナウンサーなどは大いに戸惑った様子がありましたが、今ではすっかり定着しています。

「ゼッケン」の方は、本来が馬術用語のため今でも競馬などでは普通に使われていますし、市民マラソン大会などでは参加者に分かりやすいようにとの配慮からか、公式文書であっても今なお使われている場合がありますが、正式の陸上競技用語としては完全に「死語」。
また、国際的には「ナンバーカード」という代わりに「ビブ(ビブス)=もともとの意味は〈よだれかけ〉」という用語のほうが主流になっています。
これは、前項にあるように「IDナンバー(ビブス・ナンバー)カード」と「腰ナンバー(レーン・ナンバー)カード」との区別を明瞭にするためで、大会を通しての選手個人のIDとなる(したがって複数の種目に出場する場合も同じナンバーを用いる)ナンバーと、レースごとの並び順を表示する腰ナンバーの2種類のナンバーが併用されている、その混乱を防ぐための言い換えです。
前項にもあるように、現在では体の前後に装着するナンバーカードのフロント(胸)の方には選手名が記載されることが多く、番号が記載されていないのに「ナンバーカード」はおかしいじゃないか、という理由もあるのでしょう。

いずれにしても、「陸上競技にはもはや『コース』とか『ゼッケン』という用語は存在しないよ」というのは、中高年のロートル世代にとっては、ちょっとしたトリビアかもしれません。

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◆(これも余談)100年以上前に存在した「電子計時」…そのタイムは?

日本の陸上競技史を語る上で、創成期のグレート・アスリートとして欠かすことができない藤井實という選手がいました。
1880年(一説では1881年)生まれの藤井は旧制一高(現在の東京大学教養学部)から東京帝国大学法科大学(現在の東大法学部)に進んだ文武両道の俊才で、短距離だけでなく棒高跳や投擲種目などにも異能を発揮したマルチ・アスリートでした。世界記録を認定する国際陸連(IAAF)が発足するのは1912年のストックホルム・オリンピック開催後ですが、それ以前の1906年に、棒高跳で3m90という記録を跳んでいます。1904年のセントルイス・オリンピックの優勝記録が3m50、08年ロンドン・オリンピックが3m71ですから、これは「推定世界記録」。100mではおおよそ11秒台そこそこというタイムが多く記録されていて、これもまた当時の世界レベルの実力だったと言われています。

その藤井が1年生で出場した帝大運動会(1902年11月8日)で、100mに優勝したのち「優勝者競走」という単走による記録挑戦レースに挑むことになりました。
この時に持ち込まれたのが、地球物理学者であり現代につながる東大地震研究の開祖とも言われる田中舘愛橘教授が開発したという、「電気時計」。文献によると
コース沿いの電線、1秒間に3cmずつ線を記録するテープ、スタートおよびゴール時を電線の電流遮断で記録するテープで構成され、二つのテープを科学用の計測尺で測定することでその間の時間が1/100秒単位でわかるというもの」
だったそうで、原理としては現在の光電管タイマーに似たものかな?と推測するほかありません。
この装置で計測された藤井のタイムは…なんと10秒24!
ちなみに、1912年のIAAF設立時に初めて世界記録として公認されたのは、直前のストックホルム五輪でロナルド・リピンコット(USA)がマークした10秒6、1900年から08年までのオリンピックの優勝記録(非公認)は、それぞれ11秒0、11秒0、10秒8でした。また日本が初めて選手を派遣したオリンピックは前記のストックホルム大会であり、短距離代表だった三島弥彦のタイムは12秒0と言われています。

常識で考えるならば、距離か計時装置、もしくは計時操作のいずれかが間違っていたとしか言いようがないのですが、田中舘教授は学者として超一流の名声と信望があり、また後に吉田茂と同期の外務官僚として有事の外交折衝に尽力した功績を内外から称えられることになる藤井自身も生涯この記録を信じて疑わなかったことなどから、正面切って異を唱える声は多くなかったようです。
私の大好きな、何とも鷹揚な明治のロマンを感じさせるエピソードということでご紹介した次第です。