今回“発掘”されたのは、平成元年5月14日に東京・国立霞ヶ丘競技場で行われた、『三菱電機 ’89東京国際陸上競技大会』です。
これは、どういう趣旨で開催されたものかイマイチよく覚えていません。現在なら『ゴールデングランプリ陸上』が、昔であれば『スポニチ国際陸上』という大会が行われていたのと同じ時期の国際大会ということで、おそらくその替わり目にイレギュラーで特設された大会ではなかったでしょうか?
いずれにしろ、国内のトラック&フィールド大会中継番組としては非常に珍しく、日本テレビによる製作・放映です。タイトルバックCGにも表現されているように、2年後の東京世界選手権の独占放送へ向けての予行演習、という意味合いだと思われます。
前年に開催されたソウル五輪やその直後に行われた『東芝スーパー陸上』の興奮も冷めやらず、フローレンス・グリフィス=ジョイナーがわざわざこの大会で「ラスト・ラン」をするために来日したのをはじめ、カール・ルイスを筆頭に外国人出場者はなかなか豪華です。
解説は高木直正、澤木啓祐、石田義久の各氏、実況は後年アナウンス部長も務めた舛方勝宏アナをメインに、松永、多昌、船越というこれまた後にエース級となる若手を並べています。
約1時間の収録ですが、採録された全種目の概要をお伝えしましょう。
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◇男子100m
2組に分けて行われ、1組はソウル五輪200m金メダルのジョー・デ・ローチ(USA)が10秒43で、2組は同100m王者のカール・ルイスがゴール寸前の逆転で、10秒39(-1.7)で制しました。
両組とも向かい風が強く、記録的には平凡でしたが、日本人選手は1組の鈴木久嗣、2組の松原薫、青戸慎司、不破弘樹、栗原浩司、高野進と当時の一線級がほぼ勢ぞろいする好メンバーでした。
写真はレース後、ルイスのインタビュー。聞き手は2000年シドニー五輪のサッカー中継、「ゴール!!」31連呼で顰蹙を買った船越アナ。オリンピックの実況担当に選ばれるだけでも名誉なことですけどね。
通訳は本連載第1回でご紹介した冠陽子さん。そうそう、この時の通訳で「アゲてる」だの「フォロってる」だのと奇怪なゴルフ用語を連発し、「なんだ、この知ったかぶりオバさんは?」と思ったのでした。この後ジョイナーへのインタビューではとある有望選手の名前を聞き違え(というか、自分でメモに書いたカタカナの字を読み違え)、ジョイナーの目を点にさせています。その後よほどお勉強をしたのでしょう、97年アテネ世界選手権の中継(TBS)時には、すっかり名通訳の貫禄を漂わせています。
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◇男子やり投
ソウル銀メダルで世界記録(87m66)保持者のヤン・ゼレズニー(CZS=次のバルセロナから五輪3連覇)、銅メダルのセポ・ラテュ(FIN)が出場する中、溝口和洋(ゴールドウィン)が6投目に83m52を投げてゼレズニーに逆転勝利。
溝口はこの年シーズンインとともに85m22の日本新記録を投げ、さらにこの大会の13日後には87m60の、今も日本記録リストに残る大記録を投擲しています。(最初の計測で世界記録を上回っていながら、どういうわけかメジャーをスチール製からビニール製に変えて再計測した結果、この記録になったという本人の談話があります)
当時の日本陸上界が誇った大エースは、1日12時間ものハードトレーニングでヘラクレスのような肉体を造り上げ、ワールドクラスの実力を示しました。投げた瞬間「あっ、逃げた!(力が左方向に流れた)」と口走りながらのこの記録。まさに、絶頂期と言えた時期の貴重な映像です。
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◇女子100m
ジョイナー去りしトラックに残されたのは、1984ロス五輪の金メダリスト、エヴェリン・アシュフォード(USA)。この日は室内60mで世界記録を出したネリー・クーマン(NED)の先行を、ラスト10mで差し切って貫禄の勝利です。やはり強い向かい風で記録は11秒34。3位はグレース・ジャクソン(JAM)でした。

◇女子10000m
当時の日本記録保持者・松野明美(ニコニコドー)こそ出ていませんが、荒木久美(京セラ)、朝比奈三代子(旭化成)、真木泉(ワコール)といったトップクラスが登場。この3人をカロリン・シュワロー(AUS)が引っ張る形でレースが進み、この年の大阪国際女子マラソン優勝のロレーン・モラー(NZL)や名古屋国際女子マラソンで2連覇を飾ったばかりの趙友鳳(CHN/東海銀行)、2年後の世界選手権マラソンでメダルを獲得する山下佐知子(京セラ)らが、離れた5位グループを形成します。
終盤はソウル五輪マラソン代表だった荒木と高卒2年目の新鋭・朝比奈の2人に絞られて、残り650mでスパートした荒木が32分59秒28(速報)で優勝。以下朝比奈、趙、真木、シュワローと続きました。
今見ると、小柄ながらどっしりと安定した走りの荒木は、その表情とともに、「女瀬古」のイメージですね。この翌年には北京アジア大会マラソンで趙との一騎討ちになり、19秒差で銀メダルになっています。
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◇男子三段跳

ケニー・ハリソン(USA)が17m45のPBを跳んで優勝。後に東京世界選手権で優勝し、1996アトランタ五輪では史上2人目の18mジャンパーとなる18m09で金メダルを獲得することになるハリソンですが、この大会の時点では、それまでのPBを一気に30㎝も超えて躍り出た新鋭、という位置づけでした。
世界記録(17m97)保持者のウィリー・バンクスはこの時滞日中で、「中京大職員」という肩書での出場でしたが、既に全盛期を過ぎた感は否めず、16m台の記録に終わっています。

◇女子走高跳
直前の静岡国際で1m97のアジア記録(現在でも歴代2位タイ)を出したばかりの金玲(ジン・リン=CHN)が、1m92を余裕でクリアして優勝。日本記録(1m95)保持者・佐藤恵は86を超えたところで膝の故障が悪化して棄権。日本の女子HJが、次から次へと世界と戦える選手を輩出していた時代、懐かしいですね。

◇女子5000mW
増田房子(東京女子体育大)が23分10秒13の日本新記録で優勝。4位までが公認日本記録を上回りました。現在の日本記録は20分42秒25(岡田久美子)ですから、女子競歩創世記といった時代だったんですね。

◇女子やり投
徐徳妹(CHN)が6投目の59m32で逆転優勝。番組イチ推しのビジュアル系アスリート、スエリ・ペレイラ・ドス=サントス(BRA)が58m76で2位、3位は58m28で松井江美(中京大豊田C)。
目にも鮮やかなハイレグ・スーツで度肝を抜いたのがドス=サントス。どんだけイチ推しだったかというと、こーんな写真(PLAYBOY誌に登場!)まで見せてくれたくらいです。この頃の女子やり投には、美人スロワーが多かったですね。
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◇おまけ
大会の最後に、ゲスト参加したフローレンス・グリフィス=ジョイナーが、夫のアル(1984ロス五輪三段跳金メダル)と並んでラストランを披露。トレードマークのワンレガー・スタイルで国立競技場の直線を颯爽と駆け抜け、フィニッシュはソウル五輪のポーズを再現。華麗な現役生活を締め括りました。
この9年後、彼女が突然不帰の客となってしまうとは、思いもよりませんでした。
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