豊大先生流・陸上競技のミカタ

陸上競技を見続けて半世紀。「かけっこ」をこよなく愛するオヤジの長文日記です。 (2016年6月9日開設)

松野明美

連載「懐かしVHS時代の陸上競技」#8~1989/第9回全日本実業団女子駅伝


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このシリーズ3度目のピックアップとなります『全日本実業団女子駅伝』、1989年の大会は岐阜の30㎞コース・5区間で行われたものです。
地元企業の西濃運輸がメイン・スポンサーで、「カンガルー・スポーツスペシャル」という冠がつけられています。

バブル時代と女子マラソン人気を反映して女子実業団チームが急増し、前々年までは地域実業団の混成チームを交えて行われていたのが、前年から単独チームのみによるレースとなって23チーム、そしてこの年には29チームが出場。翌年からは予選会を開催するということになっていき、解説者の見立てでは「予選会出場は50チーム近くになるのではないか」という日の出の勢いです。

その出場チームを列挙すると、
①セイコー電子工業(千葉)②日本電気(東京)③*埼玉銀行(埼玉)④日本ケミコン(宮城)⑤岡部工務店(茨城)⑥大京(東京)⑦*ホクレン(北海道)⑧松下通信工業(神奈川)⑨住友金属工業(茨城)⑩リクルート(東京)⑪川崎製鉄千葉(千葉)⑫*資生堂(東京)⑬西濃運輸(岐阜)⑭トヨタ自動車(愛知)⑮日本電装(三重)⑯本田技研鈴鹿(三重)⑰北國銀行(石川)⑱ダイハツ(大阪)⑲住友化工(和歌山)⑳ワコール(京都)㉑*ニッセイ(大阪)㉒三田工業(大阪)㉓ダイイチ(広島)㉔旭化成(宮崎)㉕*ベスト電器(福岡)㉖ニコニコドー(熊本)㉗*九州日本電気(熊本)㉘東陶機器(福岡)㉙沖電気宮崎(宮崎) *は初出場

実は30チームがエントリーしていたのですが、大会連覇中・過去8回中4度優勝の大本命、京セラ(鹿児島)が、エース荒木久美以下の故障者続出により出場辞退となりました。
30チームのうち、現存しているのはホクレン・松下通信(現パナソニック)・資生堂・ダイハツ・ワコール・東陶機器(TOTO)・京セラの7チームだけ。事実上他企業に引き継がれて存続しているのが、埼玉銀行(→しまむら)・リクルート(→積水化学)というところです。

直前の予想では、真木和・藤原恵らを中心に安定した実力者を揃えるワコールと、志水見千子・有森裕子といったルーキーに勢いがあるリクルートが「2強」。宮原美佐子がラストランを迎える旭化成、松野明美擁するニコニコドー、マラソン日本記録保持者の小島和恵が牽引する川鉄千葉、第6回の優勝を含め上位常連の三田工業などが、これに続く前評判となっています。
放送席実況は、落ち着いた語り口の多田護アナ。解説はマラソン界の重鎮・高橋進さん。ゲストとして旭化成監督就任2年目の宗茂さん。第1放送車実況は、落ち着かない語り口の椎野アナ。


◇1区(岐阜県庁~グランドボウル:3.1㎞)

県庁前の路上に並んだ1区の選手たち。正直に言うと、知ってる(覚えてる)顔が一つもありません。当時の1区は最短区間でもあり、エース級が投入されることはあまりなかった、ということもあります。ルーキーが多かったようです。
リクルートの長身ルーキー大塚由美子が飛び出しを図りますが、やがて吸収され、代わってニコニコドーの田代美保がスパート。旭化成に4秒差をつけて、幸先のいいスタートを切りました。以下、川鉄千葉、東陶、ダイハツ、リクルート、日本電気、日本ケミコン…と続いて、本命のワコールは急遽起用した李淳姫が振るわず、20秒差の13位と出遅れました。

今ではTV放送されるロードレースでは、必ず自動車メーカー1社が協賛社となって車両提供をするのが定着していますが、この大会ではまだそれがありません。大会運営車両には、自前(?)の1~2台の他は、なんと地元のタクシーを徴用してるんですね。そういえば、箱根駅伝なんかでも、自衛隊のジープが協力していましたっけね。
また、タイム計測にはまだランナーズチップなどなくて、おそらくビデオによる公式計時と思われます。私も、1988年の青梅マラソンに出た時、「ビデオ判定するのでゼッケンが見えるように腕を下げてゴールしなさい」と事前注意された覚えがあります。
ついでに、「ゼッケン」というのも1995年までは正式な陸上用語でした。最近はナンバー記載のないビブス(ネームカード)が用いられることが多いので、また「ゼッケン」という用語が復活してきています。

◇2区(~大垣市総合体育館:6.2㎞)
各チームの“2番手”が投入されることの多い、前半のエース区間。ニコニコドーは木村友香似の李周霞が懸命に首位を守ろうと粘りの走り。この頃の「助っ人外国人」といったら、女子では中国選手でしたね。
後続グループを鈴木博美(リクルート)が引っ張り、吉田光代(ダイハツ)が負けじと食い下がります。吉田はこの1か月後の『大阪国際女子マラソン』でブレイク、ダイハツの重厚なマラソン軍団の先陣を切った選手で、長身の美人ランナー、ということは私のヒイキ筋の一人でした。
先頭の李を吸収して3人の先頭集団となったところへ、後方から一気にぶち抜いたのが、ワコールの主軸の一人・岩本初美、23歳。区間記録を34秒も更新する走りで12人抜き、早くもここで本命が主導権を握る展開となりました。
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◇3区(~ドライブイン穂積:5.3㎞)
ニコニコドーがやや遅れて、先頭集団はワコール、リクルート、ダイハツの3チーム。後に日本を代表するランナーとなる志水見千子、藤村信子を従えて、この時点では“格上”の存在である藤原恵がジワジワとリードを築きます。
今思えば2区以降のワコールは、まさに盤石の布陣。この前年が初出場だったのですが、2位。今大会を皮切りに4連覇を果たしその次も2位。その6回全てに出場し、区間賞を4回獲得している藤原は、真木和とともに鉄壁の2枚看板でした。
結局リクルートに22秒差をつけたワコールが、大きくリード。3位以下はダイハツ、旭化成、ニコニコドー、東陶、川鉄千葉、三田工業、大京…と続いています。
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◇4区(~岐阜文化センター:10.0㎞)
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4区区間4位と復調の兆しを伺わせた増田明美。ワイプ画面は真木。

いよいよ山場の最長区間。先頭のワコールが真木和に引き継ぐと、リクルートは吉田直美、ダイハツは浅利純子、旭化成は朝比奈三代子、そしてニコニコドーは松野明美と、次々にエースが飛び出して行きます。ただし、吉田、浅利あたりはまだまだ若手の有望株といった存在。それよりは格上なのが、7位スタートのマラソン日本記録保持者・小島和恵(川鉄千葉)、そして14位スタートの増田明美(日本電気)といった面々です。
先頭を行く真木は、藤原と同様前後6回の大会(優勝4回・2位2回)すべてに出場していますが、常にエース区間を任されたために、松野や荒木久美、外国人ランナーなどの前に一歩及ばず、区間賞は一度もありません。しかしその安定度はエースの名にふさわしく、ワコール黄金時代の立役者であったことは間違いありません。95年の5度目の優勝時にアンカーでようやく区間賞に輝き、翌年のオリンピックマラソン出場へと大輪を咲かせた息の長い選手でした。2018年に乳癌のため亡くなっています。

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その真木が揺るぎない独走態勢を固める一方で、後方では口も軽いが足取りも軽い松野明美が猛然とスパーク。区間中盤で先行する3チームをまとめてゴボウ抜きすると、先頭の真木すらも射程に捉えようという勢い。ただ、5区の戦力を比較するとニコニコドーとしてはここでトップに立つ以外に勝ち目はなく、松野の孤軍奮闘もここまで、という感じでした。
朝比奈はこの年の日本選手権で、絶対優勝間違いなしと見られた松野に対して終盤大差を逆転し、一躍脚光を浴びたホープ。後にマラソンで日本記録も作りますが、どこか安定感に欠け、活躍期間の短い選手、といった印象でした。このレースでは追い抜かれた松野に対してまずまずの粘りを見せ、チームを上位に踏みとどまらせます。

中継所での1位・2位の差は24秒。さらに6秒遅れて旭化成、10秒差でダイハツ、リクルート、川鉄千葉…と続きました。

◇5区(~岐阜県庁前:5.4㎞)
ワコールのアンカーは久村香織。真木と同タイプの、安定感のあるランナーでした。
3位発進した旭化成は、これがラストランとなるソウル五輪代表の宮原美佐子。すぐに先行するニコニコドーを交わしてトップを猛追しますが、さらにその後ろから迫ってきたのがリクルート3人目のルーキー・有森裕子。後に女子マラソン界のレジェンドともなる有森が実業団駅伝に出場したのは、この年と翌年の2回だけで、そしてこれが唯一の区間賞となります。
いったんは宮原の前に出た有森でしたが、ゴール前の叩き合いではワールドカップマラソンで鮮やかなラストスパートを決めて銀メダルを獲得したこともある宮原が一枚上手。逆に4秒差をつけて2位でフィニッシュ、この時優勝したワコールに対しても、その差は11秒というところまで迫っていました。
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 2位宮原を猛追する有森裕子。左下はインタビューに答える松野。

ワコールの優勝タイムは1時間36分07秒で、前年京セラが記録した大会記録には8秒及ばず。しかし、これが4連覇への第一歩として、実業団女子駅伝の歴史に刻まれる快進撃が始まったのです。この時の総帥は、後にグローバリー、シスメックスを立ち上げた名将・藤田信之監督。95年の優勝以降は出場すら逃す大会が2年続き、98年に野口みずきらを伴ってチームを離れました。
21世紀のワコールは「福士加代子のワンマンチーム」というカラーに染まり尽くした感がありますが、現時点では一山麻緒、安藤友香というマラソン2枚看板を揃え、再び駅伝の覇権を競う候補チームへと変貌しつつあります。
なお4位以下は、ニコニコドー、ダイハツ、東陶機器、三田工業、川鉄千葉、というトップ8の顔ぶれでした。
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有森裕子さんの偉業


NHKの新番組(?)『その涙には理由(わけ)がある』第1回は、マラソンの有森裕子さんでした。番組企画としてはなんだかテレビ朝日『Get Sports』の中の1コーナーのパクリみたいな感じがしますが、まあいいでしょう。
有森さんの「涙」と言えば、銅メダルを勝ち取ったアトランタ・オリンピックのレース後インタビューで、「初めて自分で自分を誉めたい」という"名言”とともに流した涙ですね。

有森さんは岡山・就実高校、日体大時代は無名のランナーでしたが、当時「大卒は採用しない」方針だったリクルート陸上部に「押しかけ」のような形で入部、小出義雄監督の下でマラソン転向のアドバイスを受け、1990年の大阪国際女子マラソンでデビュー・6位入賞を果たします。
2度目のマラソンとなった翌年の大阪で、2位ながら当時の日本新記録(2時間28分01秒・・・まだ「日本最高記録」という言い方だったかもしれません)を出し、同年8月の東京世界選手権代表に選ばれます。猛烈な残暑の中で行われた世界選手権の女子マラソンでは、ワンダ・パンフィル(POL)、山下佐知子(京セラ)、カトリン・ドーレ(GER)に次いで4位入賞を果たしました。
当時、日本の女子マラソンはまだまだ世界との差が大きいと思われており、いかに地元の利があったとはいえ、4位入賞はもろ手を挙げて賞賛されるほどの快挙でした。しかし、それ以上に山下さんの銀メダルという大快挙があり、その山下さんが翌年のバルセロナ・オリンピックの代表に内定したことで、有森さんの快挙は少し霞んでしまった感があります。このことが、翌年の春先に、ちょっとした騒動を引き起こすことになります。(私の記憶では、事前に「世界選手権でメダルなら代表内定」といった告知はなく、その場で決まった「ご褒美」だったと思います)

オリンピック代表の選考レース3つが終わり、東京国際は谷川真理選手(資生堂)、大阪国際は初マラソンの小鴨由水選手(ダイハツ)と松野明美選手(ニコニコドー)が、前年の有森さんによる日本最高記録を上回って1・2位を占めました。この時点で、「小鴨はほぼ確実、残り1枠は有森か、松野か」というムードがあり、危機感を抱いた谷川選手は名古屋国際にもエントリーしますが、無名の大江光子選手(日本生命)に敗れて2位となってしまいます。
世間は「3人目の代表は誰か?」に注目し、例の松野選手による「私を選んでください」会見などもあって、外野席は大騒ぎとなりました。
これは私の推測ですが、騒いでいたのは世間(マスコミ)と当人(松野さん)だけで、陸連的には案外すんなりと、「山下・小鴨・有森」の3人を選んだのではないでしょうか?それほどに、「世界4位」という実績は、もし山下さんが上にいなければそのまま「代表内定」がされていてもおかしくはないほど、当時の日本女子マラソン界では大きなアドバンテージになり得たからです。
補欠にも松野さんではなく谷川さんが選ばれたのは、「松野はトラック競技で代表を目指す道がある」(実際にそのとおりにはなりませんでした)からというよりも、谷川さんの実力のほうを高く評価したのではないか、と思っています。
それはともかく、有森さんは陸連の「見立て」どおりにバルセロナの本番でその実力を証明し、みごと銀メダルを獲得してみせたのでした。 

番組では、このあたりの経緯にはほとんど触れず、「バルセロナ以降」の有森さんの苦悩と葛藤について、当事者・関係者の証言を集めながら振り返っていました。そこに、「涙の理由」がある、というストーリーです。
96年アトランタ・オリンピックの代表に再度選ばれた時にも、4つの選考会(北海道マラソンを含む)で最高のタイムをマークした鈴木博美選手(リクルート)が選ばれず、 夏の北海道で優勝した有森さんがタイムでは遅いのに選ばれたことに対するバッシングがあった、というのですが、さてこれもどうでしょう?
確かに「一番速いタイムの選手がなぜ選ばれないのか?」という声が上がったのは記憶していますが、代表になった浅利純子選手(ダイハツ)、真木和選手(ワコール)、そして有森さんは、いずれも選考レースで印象的な優勝を飾っており、鈴木選手は大阪国際で2着だったのです。しかも有森選手はオリンピック・メダリスト、浅利選手は93年の世界チャンピオンです。これもまた、陸連はすんなりこの3名を選出した、と考えるのが妥当です。しいて言うならば、初マラソンだった真木選手に対して、あわよくばダブル代表をと目論んでいたリクルート陣営からの「異議あり」の声ではなかったか、と記憶しています。
(余談ですが、「大阪2着」は松野さんに始まって、鈴木さん、弘山晴美さん、千葉真子さん、森本友さんと、5回連続して「代表次点」になっています)

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そのアトランタのレース。番組ではレースそのものはごくごくダイジェストでしか流してくれませんでしたが、おそらく13km前後の地点かと思われるこの先頭集団のシーン、なかなかのメンバーが映っています。
先頭を引っ張るのは88年ソウル五輪銅メダルのカトリン・ドーレ(GER)と前年の世界チャンピオン、マリア・マニュエラ・マシャド(POR)、有森と並んで優勝したファーツマ・ロバ(ETH)、その奥に2000年シドニー五輪の銀メダリスト、リディア・シモン(ROM)、一人おいて右端に連覇を狙うヴァレンティナ・エゴロワ(RUS)が見えます。この大会で本命視されていたのは、ボストンマラソン3連覇中のウタ・ピッピヒ(GER)でしたが、早々に先頭から脱落してしまいました。

この中から20km手前でロバ選手が一人飛び出しました。しかし当時はまったくの無名選手であり、またエチオピアの女子選手が今ほど高く評価されていなかったこともあって、誰も追いかけようとしません。「ロバの耳に鈴をつけに行く」には、グループにビッグネームが揃いすぎており、牽制状態に陥ったのです。
「そのうち落ちてくるだろう」と読んでいたロバの足色は衰える気配がなく、30km付近で「このままでは手遅れになる」と判断した有森さんが、勇気を振り絞ってスパート。バルセロナの時とは逆に、いったん有森さんに置いていかれたエゴロワ選手がこれを追走・逆転する展開となって、上位3人の趨勢が固まりました。ゴール間近ではドーレ選手の激しい追い上げを受けながらも、有森さんはエゴロワ選手とともに2大会連続のメダルを手にすることになったのでした。

レース後に発した「自分で自分を誉めたい」という言葉のネタ元は、有森さんが無名の高校生だった頃に始まった『都道府県対抗全国女子駅伝』で、3年連続して補欠になりクサっていた時、その開会式でゲストだった高石ともやさん(有名人市民ランナーの草分けとも言えるフォークシンガー)が、選手たちへの激励の意味を込めて語った(歌った?)「誰に知られなくても、自分で自分を誉めてあげてもいいんじゃない?」というフレーズだそうです。 その言葉を胸に温めて、初めてそれが口に出せるレースができた喜び、そしてそれまでの苦しみ、それが涙の理由であったと、そういうことです。

日本の女子陸上競技選手として史上2人目のメダリスト、史上初(唯一)の連続メダリストとなった有森さんの偉業は、夏のオリンピックがやってくるたびに、これからも永く語り継がれるでしょう。私が忘れられないのは、有名になったレース後のコメントではなく、バルセロナでもアトランタでも、先頭を走る選手を追いかけてスパートした、その勇気と決意の表情の凛々しさです。
そして有森さんは、栄光に甘んじることなく、今なお各地の市民大会でゲストランナー、ボランティアランナーとして走り続けることで、マラソン界への恩返しを実践しています。私も、地元の『かすみがうらマラソン』(10マイルの部)で、ゆっくりと前を走る有森さんを追い越しながら、その小さな手とタッチしてもらった思い出があります。
増田明美さんなどとは別の意味で、いつまでも女子マラソンの語り部であってほしいと思っています。 

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