豊大先生流・陸上競技のミカタ

陸上競技を見続けて半世紀。「かけっこ」をこよなく愛するオヤジの長文日記です。 (2016年6月9日開設)

有森裕子

連載「懐かしVHS時代の陸上競技」#9~1991/第10回大阪国際女子マラソン


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今回のお宝映像は、あの有森裕子が日本女子マラソンのトップランナーに躍り出た、1991年1月の『大阪国際女子マラソン』です。
第10回の記念大会ということで、初代から4代目までの歴代優勝者が招待されるという豪華な顔ぶれの中で、国内的にはこの夏に開催される東京世界選手権の代表選考を兼ねた、熱い戦いが繰り広げられました。
出場した歴代女王は、第1回のリタ・マルキシオ(ITA)、第2・4回のキャリー・メイ(IRL)、第3回のカトリン・ドーレ(GER)、第5・6・8回のロレーン・モラー(NZL)で、いずれもこの時点では現役バリバリ。第7回のリサ・マーチン(AUS)と前回のロサ・モタ(POR)は残念ながら都合つかず。ですが、ソウル五輪のマラソン上位3人がいずれも大阪で優勝している、というのはなかなかなことですね。(モタのみ、五輪後の優勝)
歴代女王以外では、ソウル4位のタチアナ・ポロビンスカヤ(RUS)、ボストン・シカゴなどのメジャー大会を獲っている強豪リサ・ワイデンバック(USA)、大阪5年連続出場のレナタ・ココウスカ(POL)、チェコスロヴァキア記録を持つA.ペテルコヴァなど、海外招待選手は総勢15人。
国内招待選手は、浅井えり子(日本電気HE)、有森裕子、松本真由美(以上リクルート)、石倉あゆみ(京セラ)、黒崎しのぶ(大阪陸協)、田中弘子(旭化成)、鰍谷真由美、名雪多美代(以上セイコー電子)の8名です。

放送製作は関西テレビ(フジテレビ系列)。メイン実況は競馬の実況者として杉本清さんの先輩だった松本暢章アナ、解説は帖佐寛章陸連専務理事。第1放送車に塩田利幸アナと解説・豊岡示朗大阪体育大学教授、第2放送車に馬場鉄志アナと解説・澤木啓祐順天堂大監督、第3放送車に毛利八郎アナなど。
大会冠スポンサーは、第1回から第20回までダイエー・グループでした。
確か、『東京国際マラソン』もダイエーグループの協賛だったと思いますが、2分間、レースの映像を半画面に残しつつ延々とグループ各社(ローソンやビッグボーイ、オレンジページ、福岡ダイエーホークスに至るまで)をロール表示していくCMがとても印象深く、好感を持てるものでした。企業によるスポーツの応援はこうあって欲しい、と思わされる手法でしたね。
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さて、レースはトラックの周回時点から、中国のチェン・シンメイ(愛知教育大)がポンと飛び出し、以後のレースをずっとメイクしていくことになります。ソウル5位の趙友鳳に続き、同じ竹内伸也監督のもとで国際ランナーへの飛躍を目指すチェンは、少し腕振りなどの動きに固さが感じられるものの、スラリとした身体の割には太腿の肉付きなどなかなか逞しく、十分な素質を秘めていたように見受けられます。
長居公園の周回路に出たあたりでいったん吸収されますが、この飛び出しの影響で隊列は縦長の中にいくつかの小集団が形成される展開になります。
先頭は、チェンの他、リ・ジュワン(CHN)、ドーレ、ポロビンスカヤ、ワイデンバック、ココウスカ、ペテルコヴァ、浅井、有森、そしてマラソンデビュー戦の浅利純子(ダイハツ)という10人。

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先頭集団を力走する有森と、インタビューに答える小出監督

10㎞過ぎ。チェンが再びペースを上げると、浅井と浅利は追走集団についていけなくなり、後退。チェンはそのまま集団を引き離して再び単独首位に立ち、レースを見守っていた竹内監督は、「これはオーバーペース。そこまでの練習をしていないし、フォームも良くない」と、辛辣なコメントです。
それまで単独11番手にいた石倉を田中とヘレン・モロス(NZL)が交わしていき、その後にはモラーら数人の外国人ランナーに混じってリクルートの新人・佐藤千春が追走。500メートルほどの間に、1人(チェン)-7人-2人-2人-1人-7人、…という小刻みな塊が流れていきます。
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『大阪』のコース上の見どころは、中盤の御堂筋、後半の大阪城公園というのがお馴染みですが、本格的に御堂筋を南下する進路が取られたのは、この年からです。広々と開けた8車線の直線一方通行路にはお誂え向けの側道が1車線あって、マラソンの折り返しのために設計されたかのような趣があります。
折り返し直前の20㎞まで、独走態勢のチェンと追走集団は17分台の好ペースを続けてきており、集団の中にいる有森に、そろそろ「日本最高記録」の期待がコメントされ始めています。有森は前年の大会でマラソンデビューし、当時の初マラソン日本最高記録で6位となりました。その直前に『全日本実業団女子駅伝』で、アンカー区間賞を獲得したのは前回の記事でお伝えしたとおりで、20歳を過ぎて急速に台頭してきたランナーです。
91年1月時点で、2時間30分を切った日本人女性ランナーは小島和恵、宮原美佐子、兵頭勝代の3人しかいません。小島と宮原が既に現役を去り、兵頭もまたトライアスロン転向を決めていたこの時、新興勢力の急先鋒たる有森によって、2時間29分、28分を一気に跳び越え、27分台の快記録へと期待は高まります。

25㎞を過ぎるとコースは大阪城公園へ。現在の簡素化された通り方ではなくて、いったん一般道路に出てから再入場するなど、変化にとんだ約2㎞半に及ぶ経路です。距離的にもいよいよ佳境という頃合いですし、短いながらも急峻なアップダウンもあり、選手を映すカメラのアングルが目まぐるしく変わる視覚的な効果も手伝って、「死闘」の雰囲気が自然に演出されたコースでした。
第6回から37回大会まで、この場面になるとTHE ALFEEのオリジナル曲が流されるというのも、好き嫌いはともかく、ユニークな演出でした。毎回新たなテーマ曲を32年間(31大会)提供し続けたというアルフィーの壮挙は、ギネスブックに認定されているそうです。
トップを行くチェンのリードはますます広がり、追走集団はリ・ジュワンがこぼれただけで6人がびっしりと肩を寄せ合って歩を進めます。
そのさらに後方では少し動きが出始めました。最初トップ集団にいた浅井・浅利を、後ろから来た田中・モロスが吸収。さらに、後方で一人マイペースを決め込んでいた石倉が猛然と追撃を開始し、場内で一気に4人をゴボウ抜きして9位に浮上します。目の前に子供が付き出した小旗を「ウルァ!」とばかりにパンチで叩き落とし、気合満点の表情で公園内を突っ走るところまではよかったのですが、この後突然「トイレタイム」に見舞われてしまい、大きく順位を落とすこととなりました。
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ドーレが引っ張る追走集団は、30㎞の給水所で一気に崩壊して、追走はドーレと有森の2人だけとなりました。さすがに脚色に衰えの見え始めたチェンとの差が、少しずつ詰まります。

この大会が、東西統合後に初めてドイツチームのユニフォームを着ての出場となったドーレ。第3回大会優勝のみならず、ここまで日本では広島ワールドカップを含め7戦6勝という抜群の親日ランナーです。生涯フルマラソン24勝という戦績は、川内優輝を別とすれば男女を通じて傑出した最多勝記録。歴代の女子マラソンランナーで、間違いなくベスト10に入ってくる名選手です。
そのドーレにマッチレースを挑む形となった有森は、マラソン2戦目とは思えない、また高校時代に常に『都道府県対抗女子駅伝』の岡山県補欠に甘んじていたというのが信じられない、端正で力強い脚運びで大金星を伺います。

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34㎞過ぎ、遂にチェンを捉え、優勝争いはドーレ、有森の一騎討に。
37.5㎞付近でスポンジを取ったドーレが、それを有森にも手渡そうと振り返った時、ちょうど一杯一杯になりつつあった有森は2メートルばかり後方にいて、少し頑張ってスピードを上げ追いついて受け取る、という動きがありました。その直後にCMブレイクが入り、明けた時には両者の間に10メートルばかりの差ができており、どうやら勝負ありの感があります。
残り4㎞、勝負には敗れつつありながらも有森の闘志は衰えず、懸命に落ち込みを抑えながら記録への挑戦が続きます。
結局、貫禄のドーレに揺るぎはなく、前年のロサ・モタより4秒速い2時間27分43秒でテープを切り、有森は18秒差、2時間28分01秒の堂々たる日本最高記録で2位を占めて、会心の笑顔・会心のガッツポーズでのフィニッシュとなりました。
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レースを盛り上げたチェンも29分台の大幅PBで3位に粘り切り、竹内監督の懸念を一蹴しました。以下ココウスカ、ペテルコヴァ、ワイデンバック、ポロビンスカヤ、リ・ジュワンと当初の先頭グループがそのまま順位をキープ。日本勢の2番手は、有森と同僚の佐藤千春となって、以下田中、浅利、浅井、石倉と続きました。第1回から10年連続出場の黒崎しのぶ(大阪陸協)は19位でレースをまとめています。

この快走で8月の東京世界選手権代表を射止めた有森は、猛暑のレースで銀メダルを獲得した山下佐知子(京セラ)に続く4位となり、ともに日本の女子マラソンが世界に打って出る足掛かりを築きました。
ロスおよびソウル五輪の結果が示すとおり、日本の女子マラソンはまだまだ世界で戦うには実力不足とされていた中から、ようやく現れた世界基準のランナーが、山下と有森だったわけです。(むろん、両者が“世界”の舞台である夏のレースに強い特性を持っていたというのも、大きな要因です)

“世界”で4位というのはそれほどに、当時としては素晴らしい快挙だったのですが、その一つ上の実績を挙げた山下が早々にバルセロナ五輪代表に内定したのとは裏腹に、有森の代表決定までの道のりが難渋し混乱を招いた経緯は、ご承知のとおり。陸連としては当初から実績抜群の有森を選ぶ腹積もりであったに違いないのですが、一人の選手がマスコミを巻き込んだアピールを仕掛けたことで、現場にも選考にも関係のない門外漢が大騒ぎする事態へと発展してしまい、前回のソウル男子に続いて「マラソン五輪代表選考」は一種の社会問題にまでなってしまったのです。
いずれにしろ、2大会連続五輪メダルという快挙を達成し、今なお女子マラソン界の重鎮として輝きを放ち続ける有森裕子の、鮮烈な出世レースがこの『第10回大阪国際女子マラソン』でありました。
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連載「懐かしVHS時代の陸上競技」#8~1989/第9回全日本実業団女子駅伝


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このシリーズ3度目のピックアップとなります『全日本実業団女子駅伝』、1989年の大会は岐阜の30㎞コース・5区間で行われたものです。
地元企業の西濃運輸がメイン・スポンサーで、「カンガルー・スポーツスペシャル」という冠がつけられています。

バブル時代と女子マラソン人気を反映して女子実業団チームが急増し、前々年までは地域実業団の混成チームを交えて行われていたのが、前年から単独チームのみによるレースとなって23チーム、そしてこの年には29チームが出場。翌年からは予選会を開催するということになっていき、解説者の見立てでは「予選会出場は50チーム近くになるのではないか」という日の出の勢いです。

その出場チームを列挙すると、
①セイコー電子工業(千葉)②日本電気(東京)③*埼玉銀行(埼玉)④日本ケミコン(宮城)⑤岡部工務店(茨城)⑥大京(東京)⑦*ホクレン(北海道)⑧松下通信工業(神奈川)⑨住友金属工業(茨城)⑩リクルート(東京)⑪川崎製鉄千葉(千葉)⑫*資生堂(東京)⑬西濃運輸(岐阜)⑭トヨタ自動車(愛知)⑮日本電装(三重)⑯本田技研鈴鹿(三重)⑰北國銀行(石川)⑱ダイハツ(大阪)⑲住友化工(和歌山)⑳ワコール(京都)㉑*ニッセイ(大阪)㉒三田工業(大阪)㉓ダイイチ(広島)㉔旭化成(宮崎)㉕*ベスト電器(福岡)㉖ニコニコドー(熊本)㉗*九州日本電気(熊本)㉘東陶機器(福岡)㉙沖電気宮崎(宮崎) *は初出場

実は30チームがエントリーしていたのですが、大会連覇中・過去8回中4度優勝の大本命、京セラ(鹿児島)が、エース荒木久美以下の故障者続出により出場辞退となりました。
30チームのうち、現存しているのはホクレン・松下通信(現パナソニック)・資生堂・ダイハツ・ワコール・東陶機器(TOTO)・京セラの7チームだけ。事実上他企業に引き継がれて存続しているのが、埼玉銀行(→しまむら)・リクルート(→積水化学)というところです。

直前の予想では、真木和・藤原恵らを中心に安定した実力者を揃えるワコールと、志水見千子・有森裕子といったルーキーに勢いがあるリクルートが「2強」。宮原美佐子がラストランを迎える旭化成、松野明美擁するニコニコドー、マラソン日本記録保持者の小島和恵が牽引する川鉄千葉、第6回の優勝を含め上位常連の三田工業などが、これに続く前評判となっています。
放送席実況は、落ち着いた語り口の多田護アナ。解説はマラソン界の重鎮・高橋進さん。ゲストとして旭化成監督就任2年目の宗茂さん。第1放送車実況は、落ち着かない語り口の椎野アナ。


◇1区(岐阜県庁~グランドボウル:3.1㎞)

県庁前の路上に並んだ1区の選手たち。正直に言うと、知ってる(覚えてる)顔が一つもありません。当時の1区は最短区間でもあり、エース級が投入されることはあまりなかった、ということもあります。ルーキーが多かったようです。
リクルートの長身ルーキー大塚由美子が飛び出しを図りますが、やがて吸収され、代わってニコニコドーの田代美保がスパート。旭化成に4秒差をつけて、幸先のいいスタートを切りました。以下、川鉄千葉、東陶、ダイハツ、リクルート、日本電気、日本ケミコン…と続いて、本命のワコールは急遽起用した李淳姫が振るわず、20秒差の13位と出遅れました。

今ではTV放送されるロードレースでは、必ず自動車メーカー1社が協賛社となって車両提供をするのが定着していますが、この大会ではまだそれがありません。大会運営車両には、自前(?)の1~2台の他は、なんと地元のタクシーを徴用してるんですね。そういえば、箱根駅伝なんかでも、自衛隊のジープが協力していましたっけね。
また、タイム計測にはまだランナーズチップなどなくて、おそらくビデオによる公式計時と思われます。私も、1988年の青梅マラソンに出た時、「ビデオ判定するのでゼッケンが見えるように腕を下げてゴールしなさい」と事前注意された覚えがあります。
ついでに、「ゼッケン」というのも1995年までは正式な陸上用語でした。最近はナンバー記載のないビブス(ネームカード)が用いられることが多いので、また「ゼッケン」という用語が復活してきています。

◇2区(~大垣市総合体育館:6.2㎞)
各チームの“2番手”が投入されることの多い、前半のエース区間。ニコニコドーは木村友香似の李周霞が懸命に首位を守ろうと粘りの走り。この頃の「助っ人外国人」といったら、女子では中国選手でしたね。
後続グループを鈴木博美(リクルート)が引っ張り、吉田光代(ダイハツ)が負けじと食い下がります。吉田はこの1か月後の『大阪国際女子マラソン』でブレイク、ダイハツの重厚なマラソン軍団の先陣を切った選手で、長身の美人ランナー、ということは私のヒイキ筋の一人でした。
先頭の李を吸収して3人の先頭集団となったところへ、後方から一気にぶち抜いたのが、ワコールの主軸の一人・岩本初美、23歳。区間記録を34秒も更新する走りで12人抜き、早くもここで本命が主導権を握る展開となりました。
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◇3区(~ドライブイン穂積:5.3㎞)
ニコニコドーがやや遅れて、先頭集団はワコール、リクルート、ダイハツの3チーム。後に日本を代表するランナーとなる志水見千子、藤村信子を従えて、この時点では“格上”の存在である藤原恵がジワジワとリードを築きます。
今思えば2区以降のワコールは、まさに盤石の布陣。この前年が初出場だったのですが、2位。今大会を皮切りに4連覇を果たしその次も2位。その6回全てに出場し、区間賞を4回獲得している藤原は、真木和とともに鉄壁の2枚看板でした。
結局リクルートに22秒差をつけたワコールが、大きくリード。3位以下はダイハツ、旭化成、ニコニコドー、東陶、川鉄千葉、三田工業、大京…と続いています。
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◇4区(~岐阜文化センター:10.0㎞)
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4区区間4位と復調の兆しを伺わせた増田明美。ワイプ画面は真木。

いよいよ山場の最長区間。先頭のワコールが真木和に引き継ぐと、リクルートは吉田直美、ダイハツは浅利純子、旭化成は朝比奈三代子、そしてニコニコドーは松野明美と、次々にエースが飛び出して行きます。ただし、吉田、浅利あたりはまだまだ若手の有望株といった存在。それよりは格上なのが、7位スタートのマラソン日本記録保持者・小島和恵(川鉄千葉)、そして14位スタートの増田明美(日本電気)といった面々です。
先頭を行く真木は、藤原と同様前後6回の大会(優勝4回・2位2回)すべてに出場していますが、常にエース区間を任されたために、松野や荒木久美、外国人ランナーなどの前に一歩及ばず、区間賞は一度もありません。しかしその安定度はエースの名にふさわしく、ワコール黄金時代の立役者であったことは間違いありません。95年の5度目の優勝時にアンカーでようやく区間賞に輝き、翌年のオリンピックマラソン出場へと大輪を咲かせた息の長い選手でした。2018年に乳癌のため亡くなっています。

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その真木が揺るぎない独走態勢を固める一方で、後方では口も軽いが足取りも軽い松野明美が猛然とスパーク。区間中盤で先行する3チームをまとめてゴボウ抜きすると、先頭の真木すらも射程に捉えようという勢い。ただ、5区の戦力を比較するとニコニコドーとしてはここでトップに立つ以外に勝ち目はなく、松野の孤軍奮闘もここまで、という感じでした。
朝比奈はこの年の日本選手権で、絶対優勝間違いなしと見られた松野に対して終盤大差を逆転し、一躍脚光を浴びたホープ。後にマラソンで日本記録も作りますが、どこか安定感に欠け、活躍期間の短い選手、といった印象でした。このレースでは追い抜かれた松野に対してまずまずの粘りを見せ、チームを上位に踏みとどまらせます。

中継所での1位・2位の差は24秒。さらに6秒遅れて旭化成、10秒差でダイハツ、リクルート、川鉄千葉…と続きました。

◇5区(~岐阜県庁前:5.4㎞)
ワコールのアンカーは久村香織。真木と同タイプの、安定感のあるランナーでした。
3位発進した旭化成は、これがラストランとなるソウル五輪代表の宮原美佐子。すぐに先行するニコニコドーを交わしてトップを猛追しますが、さらにその後ろから迫ってきたのがリクルート3人目のルーキー・有森裕子。後に女子マラソン界のレジェンドともなる有森が実業団駅伝に出場したのは、この年と翌年の2回だけで、そしてこれが唯一の区間賞となります。
いったんは宮原の前に出た有森でしたが、ゴール前の叩き合いではワールドカップマラソンで鮮やかなラストスパートを決めて銀メダルを獲得したこともある宮原が一枚上手。逆に4秒差をつけて2位でフィニッシュ、この時優勝したワコールに対しても、その差は11秒というところまで迫っていました。
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 2位宮原を猛追する有森裕子。左下はインタビューに答える松野。

ワコールの優勝タイムは1時間36分07秒で、前年京セラが記録した大会記録には8秒及ばず。しかし、これが4連覇への第一歩として、実業団女子駅伝の歴史に刻まれる快進撃が始まったのです。この時の総帥は、後にグローバリー、シスメックスを立ち上げた名将・藤田信之監督。95年の優勝以降は出場すら逃す大会が2年続き、98年に野口みずきらを伴ってチームを離れました。
21世紀のワコールは「福士加代子のワンマンチーム」というカラーに染まり尽くした感がありますが、現時点では一山麻緒、安藤友香というマラソン2枚看板を揃え、再び駅伝の覇権を競う候補チームへと変貌しつつあります。
なお4位以下は、ニコニコドー、ダイハツ、東陶機器、三田工業、川鉄千葉、というトップ8の顔ぶれでした。
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【短期集中連載】オリンピック回想 ⑧~1992年バルセロナ大会



“情熱の国”スペインが、第二次大戦以前からの悲願だったオリンピックを、サマランチIOC会長のお膝元として初開催。
1989年のベルリンの壁崩壊、91年のソヴィエト連邦消滅を承けて、参加チームに「EUN(独立国家共同体)」という見慣れない名称が登場しました。これは、ソ連消滅後に各々独立国となりながらも個々にはIOC未加盟だったためにとられた救済措置で、ロシア・アルメニア・アゼルバイジャン・ベラルーシ・ウクライナ・カザフスタン・ウズベキスタン・グルジア・モルドバ・キルギスタン・タジキスタン・トルクメニスタンの12か国による合同チーム、つまり実質的には旧ソ連チームということになります。(バルト3国は別個に参加)
また従来西ドイツ(GER)と東ドイツ(GDR)に分かれていたドイツ(GER)も統一国家として迎える初の大会、ということになりました。
旧ユーゴスラヴィアの各地では、国家的バックボーンを持つことができないアスリートのため「独立参加選手団(IOP)」という個人資格での出場チームが結成され、オリンピック旗のもとに参加しました。
また、アパルトヘイト政策の緩和を評価されて、南アフリカ共和国(RSA)が初参加を果たしています。

オリンピックはようやくワールドワイドなビッグ・イヴェントとしての真価を発揮し始めた感があり、ロス大会以来のコマーシャリズムやNBAドリームチームなどのプロ選手の参加により、中興の時代へと進み始めました。


◆各種目の金メダリストと日本選手の成績
<男子>
   100m リンフォード・クリスティ(GBR) 9"96 ※井上悟・青戸慎司:2次予選 杉本龍勇:1次予選
   200m  マイケル・マーシュ(USA) 20"01
   400m クインシー・ワッツ(USA) 43"50(OR) ※高野進:8位入賞 渡辺高博:1次予選
   800m ウィリアム・タヌイ(KEN) 1'43"66
  1500m フェルミン・カチョ(ESP) 3'40"12
  5000m ディーター・バウマン(GER) 13'12"52
 10000m ハリド・スカー(MAR) 27'46"70 ※浦田春生:14位 大崎栄:予選
 110mH マーク・マッコイ(CAN) 13"12 ※岩崎利彦:2次予選
 400mH ケヴィン・ヤング(USA) 46"78(WR) ※斎藤嘉彦・山崎一彦:予選
 3000mSC マシュー・ビリル(KEN) 8'08"84
 4×100mR アメリカ 37"40(WR)※日本(青戸・鈴木久嗣・井上・杉本):6位入賞
 4×400mR アメリカ 2'55"74(WR) ※日本:予選
 マラソン ファン・ヨンジョ(KOR) 2:13'23" 
森下広一:銀メダル 中山竹通:4位 谷口浩美:8位
 20kmW ダニエル・プラッツァ(ESP) 1:21'25
 50kmW アンドレイ・ペルロフ(EUN) 3:50'13" ※今村文男:18位 園原健弘:22位小坂忠弘:24位
 HJビエル・ソトマイヨル(CUB)2m34
 PV マキシム・タラソフ(EUN) 5m80 ※佐野浩之:予選
 LJ カール・ルイス(USA) 8m67 ※森長正樹:予選
 TJ マイク・コンリー(USA) 18m19w ※山下訓史:予選
 SP マイク・スタルス(USA) 21m70
 DT ロマス・ウバルタス(LIT) 65m12
 HT アンドレイ・アブドゥヴァリエフ(EUN) 82m54
 JT ヤン・ゼレズニー(CZS) 89m66(OR) ※吉田雅美:予選
 DEC ロベルト・ズメリク(CZS) 8611p.
 


<女子>
   100m ゲイル・ディヴァース(USA) 10"82
   200m  グウェン・トーレンス(USA) 21"81
   400m マリー-ジョゼ・ペレク(FRA) 48"83
   800m エレン・ファンランゲン(NED) 1'55"54
 1500m ハッシバ・ブールメルカ(ALG) 3'55"30
 3000m エレーナ・ロマノワ(EUN) 8'46"04
  10000m デラルツ・ツル(ETH) 31'06"02 ※真木和:12位 五十嵐美紀:14位 鈴木博美:予選

 100mH ヴーラ・パトリドウ(GRE) 12"64
 400mH サリー・ガネル(GBR) 53"23
 4×100mR アメリカ 42"11
 4×400mR EUN 3'20"20
 マラソン ワレンティナ・エゴロワ(EUN) 2:25'40" ※有森裕子:銀メダル 山下佐知子:4位 小鴨由水:29位
 10kmW チェン・ユエリン(CHN) 44'32"(新種目) ※板倉美紀:23位 佐藤優子:24位

 HJ ハイケ・ヘンケル(GER) 2m02 ※佐藤恵:7位入賞
 LJ ハイケ・ドレクスラー(GDR)  7m14
 SP スヴェトラナ・クリヴェリョワ(EUN) 21m06
 DT マリツァ・マルテン(CUB) 70m06
 JT シルケ・レンク(GER) 68m34
 HEP ジャッキー・ジョイナー-カーシー(USA) 7044p. 



◆群雄割拠の大会

男子走幅跳で3連覇(400mRを合わせ通算8個の金メダル)を達成したカール・ルイスや、女子七種競技で連覇を飾った ジャッキー・ジョイナー-カーシーなどを除いては“スーパースター”級の目立ち方をした選手を見つけにくい大会でしたが、その分、各種目のスペシャリストたちが個性を発揮し、ビッグネームに負けない実績と名声を勝ち得るようになってきたのだと言えるでしょう。テレビ放送の充実や世界選手権の定着によって、種目の隅々まで情報が伝わるようになった恩恵もあるかもしれません。

たとえば、女子100mに優勝したゲイル・ディヴァースなどは、この時代を代表する個性的な女子アスリートの一人でしょう。
100mでは次のアトランタでも連覇しますが、ともに際どい勝負をハードラーならではのフィニッシュ技でものにした勝利でした。彼女がスタート前に行う、フィニッシュの瞬間をイメージするポーズは有名なルーティーンでした。
ただ、本職であるはずの100mHでは決勝で断然先頭を走っていながら10台目を引っ掛けて転倒寸前となり5着に沈み、ギリシア史上初の女性メダリスト、パラスケビ・ヴーラ・パトリドウという新たなヒロインを誕生させる結果となってしまいました。この種目、ディヴァースは世界選手権では91年から2001年までの5大会(97年は欠場)で金3、銀2を獲得する一方、オリンピックは2大会連続下位入賞に留まっています。


また、女子200mには「3位」の欄に、“ブロンズ・コレクター”の異名をとったマリーン・オッティ(JAM/現SLO)の名があります。
80年モスクワ大会に初出場して200m銅メダルを獲得したオッティは、ジャマイカの女子短距離パイオニアの一人。続くロス大会は100、200ともに銅メダル。ソウルではメダルなしに終わりますが、この大会で“復活”するや、アトランタでは100、200で“シルバー・コレクター”に昇格、40歳で出場した2000年シドニー大会では4位に終わりましたが、1位マリオン・ジョーンズの失格によって“いつもの”銅メダルが転がり込んできました。この間、世界選手権では金2、銀3、銅5のメダルを獲得。
その後スロベニアに国籍変更したオッティは、2007年の大阪世界選手権にも来日、驚くべきことに2012年、52歳でヨーロッパ選手権のリレーチーム入りを果たしています。

87年ローマ世界選手権からソウル五輪、91年東京と、女子走幅跳でジャッキー・ジョイナー-カーシーに敗れ続けたハイケ・ドレクスラーが、遂にこの大会で“クィーン”を撃破して83年ヘルシンキ世界選手権以来の金メダルに返り咲いたシーンも忘れられません。
彼女もまた長く活躍を続けた選手で、2000年シドニー大会に出てきたときは「えっ!?」と思ってしまいましたが、まさかそこでオリンピック2つ目の金メダルを獲ってしまうとは…。

こうした個性的な選手たちにそれぞれ根強いファンがついて、陸上競技の奥行きをどんどん深めていったことは、嬉しい傾向でした。


◆男女マラソン、モンジュイックの激闘
日本選手団は、リレー強化策が実を結び始め、男子400mRでみごと予選・準決勝を突破して6位に入賞、以後のオリンピック、世界選手権では「決勝の常連国」として悲願のメダルに向けて進んでいくことになります。
マイルリレーでも、エース高野進を要とする最後のレースとなったこの大会、3組2着+2の予選で惜しくも3着、プラスの3番手で決勝を逃しはしたものの、前年の世界選手権に続く好リレーでその後への期待を抱かせました。

その高野は、すでに東京世界選手権で短距離界の悲願であった決勝進出を果たしていました。この大会でも、準決勝で有力選手のデレク・レドモンド(GBR)が負傷DNFに沈んだアクシデントに助けられた感もありましたが、再度決勝を走る栄誉に浴しました。短距離種目での入賞は、“暁の超特急”と謳われた吉岡隆徳さん以来、60年ぶりの快挙でした。
この大会あたりから、アスリートを応援する家族や縁故の人々がテレビなどでクローズアップされることが多くなり、高野にも愛妻の支えが云々という“感動物語”が付いて回ったものです。まさかその後、あんなことになるとはねえ…。

女子マラソン・有森裕子の件については他の稿で触れましたので、ここでは詳しく振り返りません。
その女子と同じように、男子マラソンも終盤の「モンジュイックの丘」で、ファン・ヨンジュと激しいマッチレースを展開したのが若きエース・森下広一。デビュー戦の91年別大、92年東京国際と、2度にわたって中山竹通とのデッドヒートを制して2戦2勝で臨んだこの大会でした。相手のファンもマラソン3戦2勝、92年の別大で8分台の記録を出して2位と、
経歴も風貌もよく似た2人はこの先よきライヴァルとして活躍することが期待されていましたが、ともに故障に泣いて大成しきれなかったのは残念でした。
前年猛暑の東京で世界チャンピオンの座に就いた谷口浩美は、20kmの給水ポイントで転倒しシューズが脱げるというハプニングに遭い、着実に追い上げながらも8位入賞に留まりました。「コケちゃいました」という笑顔でのコメントは、世界王者としての余裕と照れの表現と見えましたが、モンジュイックでの優勝争いに加わっていてもおかしくない好調ぶりでしたから、「もしも」の先を想像しないではいられませんでした。

 

有森裕子さんの偉業


NHKの新番組(?)『その涙には理由(わけ)がある』第1回は、マラソンの有森裕子さんでした。番組企画としてはなんだかテレビ朝日『Get Sports』の中の1コーナーのパクリみたいな感じがしますが、まあいいでしょう。
有森さんの「涙」と言えば、銅メダルを勝ち取ったアトランタ・オリンピックのレース後インタビューで、「初めて自分で自分を誉めたい」という"名言”とともに流した涙ですね。

有森さんは岡山・就実高校、日体大時代は無名のランナーでしたが、当時「大卒は採用しない」方針だったリクルート陸上部に「押しかけ」のような形で入部、小出義雄監督の下でマラソン転向のアドバイスを受け、1990年の大阪国際女子マラソンでデビュー・6位入賞を果たします。
2度目のマラソンとなった翌年の大阪で、2位ながら当時の日本新記録(2時間28分01秒・・・まだ「日本最高記録」という言い方だったかもしれません)を出し、同年8月の東京世界選手権代表に選ばれます。猛烈な残暑の中で行われた世界選手権の女子マラソンでは、ワンダ・パンフィル(POL)、山下佐知子(京セラ)、カトリン・ドーレ(GER)に次いで4位入賞を果たしました。
当時、日本の女子マラソンはまだまだ世界との差が大きいと思われており、いかに地元の利があったとはいえ、4位入賞はもろ手を挙げて賞賛されるほどの快挙でした。しかし、それ以上に山下さんの銀メダルという大快挙があり、その山下さんが翌年のバルセロナ・オリンピックの代表に内定したことで、有森さんの快挙は少し霞んでしまった感があります。このことが、翌年の春先に、ちょっとした騒動を引き起こすことになります。(私の記憶では、事前に「世界選手権でメダルなら代表内定」といった告知はなく、その場で決まった「ご褒美」だったと思います)

オリンピック代表の選考レース3つが終わり、東京国際は谷川真理選手(資生堂)、大阪国際は初マラソンの小鴨由水選手(ダイハツ)と松野明美選手(ニコニコドー)が、前年の有森さんによる日本最高記録を上回って1・2位を占めました。この時点で、「小鴨はほぼ確実、残り1枠は有森か、松野か」というムードがあり、危機感を抱いた谷川選手は名古屋国際にもエントリーしますが、無名の大江光子選手(日本生命)に敗れて2位となってしまいます。
世間は「3人目の代表は誰か?」に注目し、例の松野選手による「私を選んでください」会見などもあって、外野席は大騒ぎとなりました。
これは私の推測ですが、騒いでいたのは世間(マスコミ)と当人(松野さん)だけで、陸連的には案外すんなりと、「山下・小鴨・有森」の3人を選んだのではないでしょうか?それほどに、「世界4位」という実績は、もし山下さんが上にいなければそのまま「代表内定」がされていてもおかしくはないほど、当時の日本女子マラソン界では大きなアドバンテージになり得たからです。
補欠にも松野さんではなく谷川さんが選ばれたのは、「松野はトラック競技で代表を目指す道がある」(実際にそのとおりにはなりませんでした)からというよりも、谷川さんの実力のほうを高く評価したのではないか、と思っています。
それはともかく、有森さんは陸連の「見立て」どおりにバルセロナの本番でその実力を証明し、みごと銀メダルを獲得してみせたのでした。 

番組では、このあたりの経緯にはほとんど触れず、「バルセロナ以降」の有森さんの苦悩と葛藤について、当事者・関係者の証言を集めながら振り返っていました。そこに、「涙の理由」がある、というストーリーです。
96年アトランタ・オリンピックの代表に再度選ばれた時にも、4つの選考会(北海道マラソンを含む)で最高のタイムをマークした鈴木博美選手(リクルート)が選ばれず、 夏の北海道で優勝した有森さんがタイムでは遅いのに選ばれたことに対するバッシングがあった、というのですが、さてこれもどうでしょう?
確かに「一番速いタイムの選手がなぜ選ばれないのか?」という声が上がったのは記憶していますが、代表になった浅利純子選手(ダイハツ)、真木和選手(ワコール)、そして有森さんは、いずれも選考レースで印象的な優勝を飾っており、鈴木選手は大阪国際で2着だったのです。しかも有森選手はオリンピック・メダリスト、浅利選手は93年の世界チャンピオンです。これもまた、陸連はすんなりこの3名を選出した、と考えるのが妥当です。しいて言うならば、初マラソンだった真木選手に対して、あわよくばダブル代表をと目論んでいたリクルート陣営からの「異議あり」の声ではなかったか、と記憶しています。
(余談ですが、「大阪2着」は松野さんに始まって、鈴木さん、弘山晴美さん、千葉真子さん、森本友さんと、5回連続して「代表次点」になっています)

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そのアトランタのレース。番組ではレースそのものはごくごくダイジェストでしか流してくれませんでしたが、おそらく13km前後の地点かと思われるこの先頭集団のシーン、なかなかのメンバーが映っています。
先頭を引っ張るのは88年ソウル五輪銅メダルのカトリン・ドーレ(GER)と前年の世界チャンピオン、マリア・マニュエラ・マシャド(POR)、有森と並んで優勝したファーツマ・ロバ(ETH)、その奥に2000年シドニー五輪の銀メダリスト、リディア・シモン(ROM)、一人おいて右端に連覇を狙うヴァレンティナ・エゴロワ(RUS)が見えます。この大会で本命視されていたのは、ボストンマラソン3連覇中のウタ・ピッピヒ(GER)でしたが、早々に先頭から脱落してしまいました。

この中から20km手前でロバ選手が一人飛び出しました。しかし当時はまったくの無名選手であり、またエチオピアの女子選手が今ほど高く評価されていなかったこともあって、誰も追いかけようとしません。「ロバの耳に鈴をつけに行く」には、グループにビッグネームが揃いすぎており、牽制状態に陥ったのです。
「そのうち落ちてくるだろう」と読んでいたロバの足色は衰える気配がなく、30km付近で「このままでは手遅れになる」と判断した有森さんが、勇気を振り絞ってスパート。バルセロナの時とは逆に、いったん有森さんに置いていかれたエゴロワ選手がこれを追走・逆転する展開となって、上位3人の趨勢が固まりました。ゴール間近ではドーレ選手の激しい追い上げを受けながらも、有森さんはエゴロワ選手とともに2大会連続のメダルを手にすることになったのでした。

レース後に発した「自分で自分を誉めたい」という言葉のネタ元は、有森さんが無名の高校生だった頃に始まった『都道府県対抗全国女子駅伝』で、3年連続して補欠になりクサっていた時、その開会式でゲストだった高石ともやさん(有名人市民ランナーの草分けとも言えるフォークシンガー)が、選手たちへの激励の意味を込めて語った(歌った?)「誰に知られなくても、自分で自分を誉めてあげてもいいんじゃない?」というフレーズだそうです。 その言葉を胸に温めて、初めてそれが口に出せるレースができた喜び、そしてそれまでの苦しみ、それが涙の理由であったと、そういうことです。

日本の女子陸上競技選手として史上2人目のメダリスト、史上初(唯一)の連続メダリストとなった有森さんの偉業は、夏のオリンピックがやってくるたびに、これからも永く語り継がれるでしょう。私が忘れられないのは、有名になったレース後のコメントではなく、バルセロナでもアトランタでも、先頭を走る選手を追いかけてスパートした、その勇気と決意の表情の凛々しさです。
そして有森さんは、栄光に甘んじることなく、今なお各地の市民大会でゲストランナー、ボランティアランナーとして走り続けることで、マラソン界への恩返しを実践しています。私も、地元の『かすみがうらマラソン』(10マイルの部)で、ゆっくりと前を走る有森さんを追い越しながら、その小さな手とタッチしてもらった思い出があります。
増田明美さんなどとは別の意味で、いつまでも女子マラソンの語り部であってほしいと思っています。 

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