◆すべてが写真判定

ゴールが混戦になったとき、いまだに
「これは写真判定かっ!?
と思わず叫んでしまうアナウンサーがいます。これは陸上競技をよく知るはずのスポーツ・アナとしては、お粗末な実況と言わなければなりません。TVで中継されるほどの規模の大会では、結果的に接戦であろうとなかろうと、すべてのレースが写真判定(正しくはスリットビデオ判定)によって正式結果が記録されているからです。
大会で使われる写真判定装置は、レースの順位だけでなく、正式タイムを記録するための装置でもあります。ごく大雑把に言ってしまうと、俗に言う「電子計時システム」イコール、「写真判定装置」なのです。
現代では、科学秘術の進歩によって、大きなスポーツ競技大会は精密な電子機器や光学機器の活用によって運営されています。陸上競技の場合、計時・計測・着順判定という基幹的なところに関わることなので、この点について理解を深めておくことはとても重要です。すでに「フライング」にまつわる話の中で、そうした電子機器の一端については触れてきましたが、ここでその全貌を見ていくことにしましょう。
選手のパフォーマンスをどうやって測定しているのか、それがどのように観客や視聴者に知らされていくのか、機械によって計時・計測される「記録」をどのように解釈し、整理すべきなのか、いろいろと考えていきたいと思います。

◆電子計時創成期
電子計時システムが初めて公式に採用されたのは、1964年の東京オリンピックの、短距離種目に限ってのことです。
男子100m決勝を制したのはアメリカの“黒い弾丸”と呼ばれたボブ・ヘイズ選手で、タイムは10秒0の世界タイ記録・オリンピック新記録。電子計時で計測された正式タイムは10秒06でしたが、それまでの手動計時に比べると電子計時のタイムはどうしても0.2秒程度「遅く」なってしまうことが問題視され、事前の了解事項として「電子計時のタイムは0.05秒を差し引いた上で、百分の一秒単位を四捨五入した数値(つまり十分の一秒単位)を公認記録とする」というような申し合せがあったのだそうです。
ヘイズはまた、準決勝では電子計時による「9秒9」というタイムで走りましたが、この時は追風5.28mの参考記録に終わりました。いわば2度にわたって「幻の9秒台」を出して見せたヘイズの快走に、国立霞ヶ丘競技場は騒然となったものです。
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 「黒い弾丸」の異名をとったボブ・ヘイズ(右)。

ちなみに、当時の陸上競技の公式記録は0.1秒単位で、長距離・ロードレースは0.2秒単位(小数点以下はすべて偶数になります)でした。百分の一秒単位で計時できる時計はあっても、それを人の手で、百分の一秒単位が有意義になるほどに正確に操作することは、不可能だからです。

◆昔はみんな、手動計時
「手動計時よりも電子計時のほうが“遅く”なる」とは、どういうことでしょうか?
 

電子計時のなかった時代、どんなに大きな大会でも、トラックレースにはストップウォッチを使って手動計時をする計時審判員と、別に選手の着順を判定する着順審判員が大勢必要で、彼ら審判員はゴールライン真横の内側と外側に階段状に設けられた審判席に座って判定をしました。レースのスタートが近づくたびに、揃いのブレザーと白い帽子を被った“審判団”が足並みをそろえて入場してきて審判席に陣取り、終るとまた一糸乱れずという感じで立ち去っていく、といった光景が繰り返されたのです。
計時は1人の選手につき3人の審判が十分の一秒単位でタイムを計測し、そのうち2人以上のタイムが一致すればそのタイムを、3人とも一致しなかった場合は中間のタイムを採用することになっていました。
短距離種目では1レースに最大8人の走者が出場しますから、単純に言えば24名の計時審判が必要だったわけですが、その人数(プラス着順審判員)を収容できる審判席はかなり規模の大きなものが必要になりますし、人員を集めることも難しくなります。どうしていたかというと、1人の審判員が「1着と5着」「2着と6着」というように、右手と左手で2人の選手のタイムを測っていたのです。それでも計時審判員は12名が必要で、それだけの熟練計時員を揃えることはなかなかに大変なことだったはずです。

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 アナログ・ストップウォッチ(当時のものではありませんが仕様は類似)
 スタート/ストップ・ボタンは「親指の付け根で押す」のが正しい操作法。



熟練のプロではあっても、人間による計時は機械の正確さには到底及びません。
計時審判員は、スタートのピストルが放つ閃光または煙を見てストップウォッチのボタン(一度押せば時計が動き、もう一度押せば止まります。別のボタンを押すことによって「リセット」されます)を押し、選手のゴールインを見て再び押します。「スタートの反応時間」のところでも触れたように、人間はある合図を感知して何らかの行動を起こすのに、どうしてもなにがしかの時間がかかります。走者のスタートの動きがスタブロに伝わるまでの時間は0.1何秒かということをお話ししましたが、これが親指(正確には親指の付け根の関節)でストップウォッチのボタンを押すという動作の場合、さらに時間がかかります。
その一方で、人間の心理はゴールインする選手の動きをあらかじめ予測することによって、ゴールの瞬間はほぼ同時にストップウォッチを押してしまうのです。つまり、おおむね「合図からストップウォッチの始動までの時間」の分、記録されたタイムは実際よりも速いものになってしまうというわけです。
事実、東京五輪の100m決勝のレースで参考記録として手動計時されたタイムは、2つが9秒9、1つが9秒8を示していたと言われます。従来どおりの計時ルールであれば、ヘイズの優勝記録は当時の世界記録を破る「9秒9」だったことになります。


◆手動と電動の共存時代
その後、電子計時が普及し出して陸上短距離の公認記録が電子計時によるものと手動計時によるものの「二本立て」になった時期がありましたが、科学的に検証されたところで、「電動と手動のタイムの差異は、平均0.24秒」というデータが出されました。ランキングを作成する際など、手動で「10秒0」ならば、電動なら「10秒24」と換算されて扱われたのです。
0.24秒といえば、仮にフィニッシュ時に秒速10m(=時速36㎞)で疾走しているとすれば、距離にして2.4メートルもの違いになるわけですから、とんでもない誤差だとも言えます。


ところが、「人間なら誰でも平均0秒24速いタイムを計測してしまうよう時計を押してしまう」というのであればまだ割り切れるのですが、中には電子計時とほぼ同じ数値を手動で計時できる、という人がいます。スタートの時の反応時間による「遅れ」と同じく、ゴールの瞬間も「いまゴールだ、押せ!」という指令を脳が発してから押す習慣をつけることでほぼ同じ反応時間を“追加”することになり、結果的に電子計時と同じようなタイムを計測できるよう訓練した場合です。
実を言いますと、陸上観戦歴半世紀の私はこの「特技」の持ち主で、スタジアムでゴールの真横に陣取ってデジタル・ストップウォッチ(百分の1秒単位で計測可能)を片手に競技を観戦していれば、電子計時で計測された正式タイムとプラスマイナス百分の5秒程度の誤差で計時することができます。(もちろん、たまに失敗もありますが)
軽く自慢話をしてしまいましたが、ここで重要なのは、
「手動計時というのは、短距離走のタイム測定法としてはそれほどに誤差の大きい、いい加減なものだ」
ということです。電子計時の導入がもう1年遅れれば、ボブ・ヘイズは「人類初の9秒台ランナー」としてその時は途轍もない賞賛を集めたかもしれませんが、後になって振り返れば、「実はまがい物の9秒台ランナーだった」などと言われなくて済んだ、とも言えるでしょう。

人類が初めて電子計時により「9秒台」に突入したのは、その4年後のメキシコシティ・オリンピック(アメリカのジム・ハインズによる9秒95)。
その直前の全米選手権で、ハインズを含む3名のアメリカ人選手が9秒9を記録し(電子計時でのタイムはそれぞれ10秒03、10秒10、10秒14だったが、この大会では手動計時のほうを正式採用)、「人類初の9秒台・世界新記録」としてIAAFにも公認されましたが、すでに手動計時に対する懐疑的な見解も高まってきており、ハインズはメキシコで文句なしの「機械が測った9秒台」を叩き出すことで「本物」を証明してみせました。
100m競走で人類が9秒台の世界に突入する、まさにぴったりのタイミングで、電子計時は手動計時にとって代わる時代を迎えたことになるわけです。

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人類初の9秒台スプリンター、ジム・ハインズ。
その向こう側は当時同じく手動9秒9の世界記録保持者だったチャーリー・グリーン。


ただしメキシコシティは標高2240メートルに位置する「高地」であるため、「空気が薄い場所で出た記録の取り扱い」という別の議論を招くことになりました。ハインズの記録はその後15年間にわたって世界記録に君臨し続けますが、1983年5月にアメリカの大学生カール・ルイスが初めて“平地”での“電子計時”9秒台(9秒97)を達成するまで、「正真正銘の9秒台の時代とはならなかった」という意見もあります。同じ年の7月にカルビン・スミス(アメリカ)が“高地”で15年ぶりに9秒93の世界新記録を出し、ようやく男子100mの記録の歴史は再び動き始めることになります。
(続く)