2000年代の初頭、マラソン強国の一角にあった中国に、孫英傑(スン・インチェ)という強い選手がいました。
活躍期間は短かったのですが、両腕をダラリと下げ、まるで「気をつけ!」をしているかのようにほとんど腕振りをしない独特のフォームで、強烈な印象を残したランナーです。
2002年プサンのアジア大会では、当時日の出の勢いにあった福士加代子選手をまったく寄せ付けずに長距離2冠を達成します。この時の福士選手のパフォーマンスが5000m=14分55秒19(セカンドベスト)、10000m=30分51秒81(PB・日本歴代2位)というハイレベルなものだったことからも、いかに孫選手の走力が凄まじかったかが伺えます。さらに驚いたことに、アジア大会の翌週には北京国際マラソンに出場して、2時間21分21秒の好タイムで初優勝を飾っているのです。
翌年のパリ世界選手権・5000mで銅メダルを獲得した孫は、その年の北京国際マラソンで2時間19分39秒、これは高橋尚子選手が持っていたアジア・レコードを破る快記録で、2005年に野口みずき選手に更新されるまで記録の上ではアジア最強の女子マラソン・ランナーとして、日本にとって脅威の存在となりました。
2004年のアテネ・オリンピックにはトラックで出場し、同僚の邢慧娜(シン・フイナ)が大番狂わせの金メダルを獲得する一方で6位に終わっています。
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http://www.lifeweek.com.cn/2005/1117/13647.shtml より

2005年10月、北京国際マラソンで4連覇を達成した孫は、なんと翌日行われた中国全国運動会の10000mにも出場。ここで、思いもかけない厄災に遭遇します。
レースでアテネ金の邢に次ぐ2着、タイムも31分03秒09とマラソン(2時間21分01秒)の翌日とは思えないタフネスぶりを発揮した孫選手はしかし、ドーピング検査で筋肉増強剤に陽性反応を示して、失格・出場停止処分を受けることになったのです。
後の調べで、チームメイトの某選手が10000mレース当日に孫選手のドリンクに禁止薬物を混入したためと判明したものの、ドーピング管理はあくまでも“自己責任”ということで、孫選手の処分が取り消されることはありませんでした。むろん、北京国際マラソンの時点では検査に引っ掛かることもなく、成績はそのまま残されています。
2008年の北京オリンピックを大きな目標にしていた孫選手は、この2年間の出場停止で競技への意欲を失い、フェードアウトするようにして国際舞台から姿を消していってしまいました。中国マラソン界ではその後継者として、周春秀(2006年アジア大会優勝)、白雪(2009年世界選手権優勝)といった好ランナーが輩出されましたが、現在では日本以上に深刻な低迷状態を迎えています。

あの、孫英傑ほどに極端ではないとはいえ、同じように両腕をダラリと下げる走法の2人の女子ランナー…同じスズキ浜松ACの清田真央と安藤友香が、今日の『名古屋ウィメンズマラソン』の注目選手です。
オリンピック代表を賭けたデッドヒートで名勝負の一つとなった昨年のレースから1年。みごと代表の座を射止めた田中智美(第一生命G.)と1秒差に泣いた小原怜(天満屋)の姿はありませんが、その後に続いた清田、岩出玲亜(ノーリツ)、桑原彩(積水化学)、竹地志帆(ヤマダ電機)、加藤麻美(パナソニック)らがこぞって出場。初マラソン組として、清水美穂(ホクレン)、石井寿美(ヤマダ電機)などとともに、屈指のスピードランナー安藤の名が目を惹きます。成長株の宇都宮亜依(宮崎銀行)や、19位に終わった大阪に続いてチャレンジする新井沙紀枝(大阪学院大)などの若手もいて、なかなか楽しみなメンバーが揃いました。
国内ロードレース・シーズンを締めくくるビッグ・レース、大いに満喫したいものですね。