少し前のことになってしまいましたが、先週土曜日にTBSテレビで『ものづくり日本の奇跡 日の丸テクノロジーがオリンピックを変えた』という番組が放送されました。パーソナリティは安住紳一郎アナと綾瀬はるか、そしてビートたけし、ゲストはバドミントンのタカマツペアです。
最初のコーナーでは、陸上競技の長距離走に「革命」をもたらした、鬼塚喜八郎さんのエピソードが紹介されました。

今では「asics(アシックス)」という社名で知られますが、私たちが現役の陸上部員だったン十年前の昔は、「オニツカタイガー」。当時すでに、アディダス、プーマ(いずれも西ドイツのメーカーで、それぞれの創業者は実の兄弟)と並んで「世界3大スポーツ・シューズ・メーカー」と呼ばれていました。
私たちが学校の部活動として陸上競技を始めるにあたって、先輩に学校指定のスポーツ用具店へ連れて行かれ、当然のように「これを買え」と言われたのが、オニツカタイガーのスパイクシューズとトレーニングシューズでした。まるで、陸上競技には他のメーカーが存在しないかのようでしたが、その前にちょっとだけサッカー部に在籍していた私は、サッカーでは同じようにアディダス一辺倒だったものですから、そんなもんかな、と妙に納得していました。
そのオニツカタイガーを敗戦後の裸一貫から創業し、世界のトップブランドへと育て上げたのが、鬼塚喜八郎さんです。
番組では、「すぐに足裏にマメができてしまうので、長い距離を走り込めない」という悩みを抱える若き長距離ランナー・君原健二さんに、「絶対にマメができないシューズを作る」と請け合って試行錯誤の末にこれを実現、君原選手の愛用シューズとなった「マジックランナー」というブランドの開発秘話をドラマ仕立てで紹介。(いかにドラマとはいえ、君原さんのイメージ違い過ぎです)
スタジオには、マジックランナーとともに前後して走りやすさを追求して開発され、円谷幸吉さんの愛用シューズとなった「マラップ」などが展示されていました。(円谷さんの伝記を見ると、彼が自身の“標語”としていた「青春は 汗と涙と マラップで」という川柳?があります)
マジックランナーのテーマだった「マメのできないシューズ」の最大の特徴は、シューズの内部にこもる熱を逃がすための細かい穴と「ベロ」の部分に施した細工。現代のシューズは素材そのものが通気性の高いトップ、衝撃を吸収するソールになっていますが、当時としてはまさに革命的なアイディアでした。
オニツカタイガーが、「たかがシューズ」にもたらした数々のアイディアは、今も至る所にその名残を見ることができます。代表的なものとして知られるのが、アシックス社のCIともなっている側面のラインです。
二股に分かれる流線形と交差する短い2本の直線…あのラインというのは、単なるブランド・マークではなく、シューズの形状を安定させ、しなやかな変化を実現するための重要な「パーツ」です。後年トップメーカーとなるNIKEをはじめ、プーマやミズノなど、多くのシューズのラインが共通した特徴を持っているのは、偶然ではないのです。1968年のメキシコシティ・オリンピックを見据えて開発されたこのオニツカのラインは当時「メキシコ・ライン」と呼ばれていました。

下段が「マジックランナー」、中段が「マラップ」、上段が今と同じ「メキシコライン」のシューズ。(たぶん「マラソンソーティ」?)
私が現役陸上部員だった頃は、まあお金がないこともありまして、あまり使う機会のなかったスパイクシューズは最初に買った一品を最後まで使い倒しました。カンガルー皮革のトップに、着脱可能な6本ピンのもので、確か「ランスパーク」というブランド名だったと思います。私は試合にもほとんど出ることがないほどのトホホな中長距離要員でしたから、レースで1回だけ、6ミリの短ピンを付けて国立霞ヶ丘競技場を走ったことがあるくらいです。(もちろん、短距離の練習も同じシューズでやっていました)
トレーニングシューズのほうは、何足目かに当時のトップブランドだった「マラップ」を買い、その後ブランド名は忘れましたが最新鋭の真っ赤なマラソンシューズに買い替えたのですが、いくらも使わないうちに盗まれてしまい、悔しい思いをしたものです。普段の練習で履くトレーニングシューズと、ロードレースで履くマラソンシューズを分けて使う、などということも経済的な都合で考えられない時代でした。
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ちなみに、当時は「スニーカー」という言葉はまだありません。
運動などに関係なく普段履いているスポーツ用シューズは、バスケットシューズかテニスシューズが主流で、一般名称としては「運動靴」。私が成人するくらいの年代からファッション・アイテムとしての「スニーカー」が登場し、これで一気に業績を拡大したスポーツメーカーも少なくありませんでした。そうした中で、アシックス(ちょうどその頃に社名変更したと思います)のブランド・イメージは、タウン・スニーカーのデザインとしては少々そぐわないものだったかもしれません。
また、私が現役だった頃には「ジョギング」という言葉もありませんでした。
準備運動として行うゆったりとしたランニングや、長い距離をゆっくりと走るトレーニングは「ジョッグ」と呼んでいました。日本全国どこでもそうだったかは分かりませんが、ジョギングという言葉も、スニーカーと同じ頃に「ジョギング・シューズ」「ジョギング・パンツ」といったアイテムとともに登場したファッション用語だったように思います。
ですから、私と同じくらいかそれ以前に学校で陸上をやっていた人間は今でも「ジョッグ」と言い、それ以外の人たちは「ジョグ」と言う。陸上を専門にやった人であれば、伝統として「ジョッグ」という言い方が続いていたでしょうから、年代だけでは分かりませんけどね。たった「ッ」一つがあるかないかで、その人の陸上への関わり方が、少しは見えてしまうというのは確かです。

陸上競技をする者が、唯一といっていいほど頼りとする用具、それがシューズです。
今では、オリンピックの陸上シーンを見ればわかるように、世界の趨勢はNIKEの圧倒的優勢。続いてボルトの登場で息を吹き返したプーマと、アディダス。日本人以外で日本のメーカーを利用している選手は、残念ながらあまり多くはありません。
もちろんそれは品質への評価云々よりも、営業やマーケティング、広報など、企業の総合的パワーの結果であり、日本の選手ですらご覧のように、契約メーカーは個々で異なります。
けれども、私は(今ではしがない市民ランナーのはしくれとなっておりますが)アシックスのシューズが好きですねえ!
特にロード・ランニングの分野で一時期は世界的にも圧倒的なシェアを誇っていたアシックスは、今でも最高品質の製品でランナーたちをサポートし続けている…そんな「アシックス信者」、もとい「オニツカタイガー信者」が多いのも、私たち古い世代の特徴なのかもしれませんね。
