1976年盛夏は私自身は後のない浪人生活真っ最中、ということでさすがの私もオリンピック観戦にうつつを抜かしているばかりにはいかず、残念ながらこの大会についての思い出はあまりたくさんはありません。
当時高校生・受験生の間で人気があったラジオの深夜放送での聴取者投稿(ある設定の下にショート・ギャグ・ストーリーを創作するというコーナー)で、ひと頃やたらとこの大会のエピソードを題材にしたものが多くなったのを記憶しています。
(まあ、この大会と言えば一番の話題は体操のナディア・コマネチでしたがね)

前回急激に勢力を伸ばしてきた東ドイツが、各競技でさらに暴れまくったという印象の大会でした。競泳女子で13種目中11種目の金メダルをさらったのをはじめ、全競技のメダル・テーブルではソ連の金49個に次ぐ40個でアメリカの34個を上回り、陸上競技でも37種目中11種目に優勝、アメリカの金6個に大きな差をつけました。
いっぽうで、こうした東欧諸国のあまりの強さにステート・アマ(純粋なアマチュアリズムを標榜していた当時のオリンピック精神にふさわしくない、国家を挙げて育成・保護・褒賞された実質プロのアスリート)への批判や、国家ぐるみの巧妙なドーピングの疑いが囁かれるようになったのも、この大会からです。

また、大会直前になって南アフリカの人種差別政策に端を発した問題への抗議行動として、アフリカの主要国22か国がボイコットを決めました。ケニア、エチオピアなどの好選手がこぞって出場しないことになった陸上競技での影響は特に甚大で、大会は「四輪ピック」と揶揄され、その後の国際情勢の激動によって多くの国々が参加を見合わせた80年モスクワ大会、84年ロサンゼルス大会と、オリンピックは3大会続けて「ワールドワイド・イベント」の肩書を失ってしまうことになります。
そうした「オリンピックのいかがわしい部分」への忌避感が、私がこの大会をあまり記憶していない理由の一つだったかもしれません。


◆各種目の金メダリストと主な日本選手の成績
*URS=ソビエト連邦 GDR=東ドイツ GER=西ドイツ CZS=チェコスロバキア

<男子>
   100m ヘイズリー・クロウフォード(TTO) 10"06 ※神野正英:1次予選敗退
   200m  ドン・クォーリー(JAM) 20"23
   400m アルベルト・ファントレナ(CUB) 44"26
   800m アルベルト・ファントレナ(CUB) 1'43"50(WR)
  1500m ジョン・ウォーカー(NZL) 3'39"17
  5000m ラッセ・ヴィレン(FIN) 13'24"76 ※鎌田俊明:予選敗退
 10000m ラッセ・ヴィレン(FIN) 27'40"38 ※鎌田俊明:予選敗退
 110mH ギー・ドリュー(FRA) 13"28
 400mH エドウィン・モーゼス(USA) 47"64(WR)
 3000mSC アンデルス・ヤーデルード(SWE) 8'08"02(WR) ※小山隆治:予選敗退
 4×100mR アメリカ 38"33
 4×400mR アメリカ 2'58"65
 マラソン ワルデマール・チェルピンスキー(GDR) 2:09'55"0(OR) ※宗茂:20位 水上則安:21位 
宇佐美彰朗:32位
 20kmW ダニエル・バウチスタ(MEX) 1:24'40"6(OR)
 50kmW ―実施せず―
 HJ ヤチェク・ウショラ(POL) 2m25(OR)
 PV タデウス・スルサルスキー(POL) 5m50(=OR) ※高根沢威夫:決勝8位
 LJ アーニー・ロビンソン(USA) 8m35
 TJ ヴィクトル・サネイエフ(URS) 17m29 ※井上敏明:予選敗退
 SP ウド・バイエル(GDR) 21m05
 DT マック・ウィルキンズ(USA) 67m50(OR)
 HT ユーリ・セディフ(URS) 77m52(OR) ※室伏重信:決勝11位
 JT ミクロシュ・ネメト(HUN) 94m58(WR)
 DEC ブルース・ジェンナー(USA) 8618p.(WR)



<女子>
   100m アンネクレート・リヒター(GER) 11"08
   200m  ベーベル・エッケルト(GDR) 22"37(OR)
   400m イレーナ・シェビンスカ(POL) 49"29(WR)
   800m タチアナ・カザンキナ(URS) 1'54"94(WR)
 1500m タチアナ・カザンキナ(URS) 4'05"48
 100mH ヨハンナ・シャレル(GDR) 12"77
 4×100mRドイツ 42"55(OR)
 4×400mR 東ドイツ 3'19"23(WR)
  HJ ローズマリー・アッカーマン(GDR) 1m93(OR) ※曽根幹子:予選敗退
  LJ アンゲラ・フォイクト(GDR)  6m72 ※湶純江:予選敗退
  SP イワンカ・フリストワ(BUL) 21m16(OR)
  DT エヴェリン・シュラーク(GDR) 69m00(OR)
  JT ルート・フックス(GDR) 65m95(OR)
  PEN ジークルン・ジークル(GDR) 4745p.


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◆新長距離王ヴィレンの2種目連覇
全体を通じて個人2冠に輝いた選手が、3人。このうち男子400mと800mという史上唯一の組み合わせでの2冠となったアルベルト・ファントレナ(CUB)も印象的でしたが、何といっても前回ミュンヘンに続いて長距離2冠を連覇したラッセ・ヴィレン(FIN)の活躍が光りました。

ミュンヘンの10000m決勝の中盤で転倒しながら、ロン・クラークの持っていた世界記録を7年ぶりに更新して優勝したのを皮切りに、かつて1952年ヘルシンキ大会で「人間機関車」の異名をとったエミール・ザトペック(CZS)以来の長距離2冠を達成すると、この大会でも後の世界記録保持者カルロス・ロペス(POR)の作るハイペースを残り1周少々のところで悠然と交わして金メダル。続く5000mでも、この種目ではオリンピック史上初となる連覇を達成しました。
フィンランドは第二次世界大戦以前のオリンピックでは、金メダル通算9個(カール・ルイスと並ぶ陸上競技での最多)を獲得したパーボ・ヌルミをはじめ、長距離王国の名を欲しいままにしていた国ですが、戦後はこれといった選手がなかなか現れず、ようやく「王国復活」の旗頭としてヴィレンの名は世界に轟き渡りました。

驚かされたのは、さらに最終日のマラソンにも登場し、後半まで優勝したチェルピンスキーやショーターらとトップグループで互角に渡り合っていたことです。マラソンを含めた長距離3冠は、かのザトペックただ一人が成し遂げた空前絶後の偉業ですが、さすがに終盤息切れして得意のラスト勝負に持ち込むことなく5位に終わっています。
それでも、10000m・5000mの各予選と決勝、マラソンを合わせた大会中の走破距離は72195mということになります。ザトペックの当時は10000mに予選はなく、現在でも一発決勝で行われるようになっていますから、今後100kmウルトラマラソンなどの新種目が採用されない限り、唯一無二の記録として残ることになりそうです。
(10000m予選は1972年ミュンヘンから2000年シドニーまで実施されました。現在では参加標準記録を厳しくすることによって、出場選手数をコントロールしています)

なお、男子三段跳ではヴィクトル・サネイエフ(URS)がメキシコシティ以来の3連覇を達成しました。これは陸上競技では円盤投アル・オーター(USA)と後年走幅跳で達成するカール・ルイスの4連覇に次ぐ記録で、いまだトラック、ロード競技で達成した選手はいません。リオ大会では、ウサイン・ボルトとシェリー・アン・フレイザー=プライス、ティルネッシュ・ディババの3人が、この偉業にチャレンジすることになります。




◆エドウィン・モーゼス登場

男子400mHでは、20歳の新鋭エドウィン・モーゼス(USA)が世界新記録で優勝し、以後長らく続く不敗伝説の序章を飾ることになりました。
この年の全米選手権に突如現れた無名の新人・モーゼスは、春までに1回しか走ったことのなかった400mHのレースで、当時前例のない全ハードル間を13歩で押し切るという破格のテクニックで優勝をさらい、一躍世界のトップスターに躍り出たのです。以後、決勝レースで107連勝(予選を含めたレースでは122連勝)という無人の野を行くがごとき黄金時代を続け、不参加だったモスクワ大会を挟んで84年のロサンゼルス大会でも優勝しました。もしモスクワ大会にアメリカが参加していれば、前項にある「トラック種目での3連覇」の偉業は、彼によって達成されていたのはまず間違いないところです。
ロス大会では選手宣誓の大役を任され、途中で文言を忘れてしまい場内の笑いを誘った光景が、彼の誠実な人柄とあいまって世界中に好感を与えたことが思い出されます。