第1回アテネ大会以来100周年―「オリンピック・センテニアル」を謳った大会の開会式では、かつての各大会を象徴するヒーロー・ヒロインたちが1名ずつ登壇するという演出がありました。しかしながら開会式最大のヒーローは、病をおして聖火点灯者の大任を果たした「20世紀のザ・グレーテスト・オブ・アスリート」モハメド・アリだったでしょう。
なお開会式は前回のバルセロナで初めて夜間に行われたのですが、このアトランタ以降も踏襲され、ライティングやレーザー、炎、映像を駆使した大規模な演出が投入されるようになりました。とともに、長時間化による選手のコンディションへの影響や経費の高騰が問題となっていきます。
陸上競技では、世界的には何といってもマイケル・ジョンソン(USA)の異次元の走りやカール・ルイスの走幅跳4連覇が、そして日本選手の中では2大会連続メダルの有森裕子選手がクローズアップされ、大会後に刊行されたグラフィック誌のほとんどで表紙を飾りました。
有森選手の活躍についてはすでに別稿で振り返っていますので、今回は割愛しますが、その女子マラソンでもう一つの話題になったのが、陸上競技では史上初となる女性実況アナウンサーの起用です。
担当したテレビ朝日・宮嶋泰子アナウンサーは、通常の男性アナではとても太刀打ちできないほどに陸上競技に精通した方で、私個人の意見としては既に亡くなっていたTBS・石井智アナと双璧だったと思っています。
東京国際女子マラソンのメイン実況などを経て晴れの実況席に大抜擢され、淀みのないソフトな語り口は非常に良かったと思っているのですが、世間一般にはあまり評判がよろしくなかったらしいです。
私が記憶するオリンピックの女性実況アナは、宮嶋アナの他は1972年札幌冬季大会で女子フィギュアスケートを担当した方のみで、その後も現れていません。
昨今、女子アナと言えば番組のマスコット的役割に特化されて、負担の少ないインタヴュアーなどを任されてもあからさまな勉強不足でスポーツファンをシラケさせるという場面ばかりです。各界における女性の進出は今や当たり前のことなのに、スポーツ実況の分野ではまったく時代遅れの状況にあるのが、たいへん残念だと思っています。
◆各種目の金メダリストと日本選手の成績
<男子>
100m ドノヴァン・ベイリー(CAN) 9"84(WR) ※朝原宣治:準決勝 土江寛裕:1次予選
200m マイケル・ジョンソン(USA) 19"32(WR) ※伊東浩司:準決勝 馬塚貴弘:1次予選
400m マイケル・ジョンソン(USA) 43"49(OR) ※大森盛一:予選
800m ヴェービョルン・ロダル(NOR) 1'42"58(OR)
1500m ヌールディン・モルセリ(ALG)3'35"78
5000m ヴェヌステ・ニョンガボ(BDI) 13'07"96
10000m ハイレ・ゲブレセラシエ(ETH)27'07"34(OR) ※高岡寿成・花田勝彦:予選 渡辺康幸:DNS
110mH アレン・ジョンソン(USA) 12"95(OR)
400mH デリック・アドキンス(USA) 47"54 ※苅部俊二・山崎一彦・河村英昭:予選
3000mSC ジョセフ・ケテル(KEN) 8'07"12
4×100mR カナダ 37"69 ※日本:予選DQ
4×400mR アメリカ 2'55"99 ※日本(苅部・伊東・小坂田淳・大森):5位NR
マラソン ジョサイア・チュグワネ(RSA)2:12'36" ※谷口浩美:19位 大家正喜:54位 実井謙二郎:93位
20kmW ジェファーソン・ペレス(ECU) 1:20'07 ※池島大介:22位
50kmW ロベルト・コルゼニオウスキー(POL) 3:43'30" ※小坂忠弘:29位
HJ チャールズ・オースティン(USA) 2m39(OR) ※野村智宏:予選
PV ジャン・ガルフィオン(FRA) 5m92(OR) ※米倉照恭:予選
LJ カール・ルイス(USA) 8m50 ※朝原宣治:予選
TJ ケニー・ハリソン(USA) 18m09(OR)
SP ランディ・バーンズ(USA) 21m62
DT ラルス・リーデル(GER) 69m40
HT バラス・キシュ(HUN) 81m24
JT ヤン・ゼレズニー(CZS) 88m16
DEC ダン・オブライエン(USA) 8824p.
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<女子>
100m ゲイル・ディヴァース(USA) 10"94
200m マリー-ジョゼ・ペレク(FRA) 22"12
400m マリー-ジョゼ・ペレク(FRA) 48"25(OR)
800m スヴェトラナ・マステルコワ(RUS) 1'57"73
1500m スヴェトラナ・マステルコワ(RUS) 4'00"83
5000m ワン・ジュンシャ(CHN) 14'59"88(3000mから変更)※志水見千子:4位入賞 弘山晴美・市川良子:予選
10000m フェルナンダ・リベイロ(POR)31'01"63(OR) ※千葉真子:5位 川上優子:7位 鈴木博美:16位
100mH リュドミラ・エンクィスト(SWE) 12"58 ※金沢イボンヌ:1次予選
400mH ディオン・ヘミングス(JAM) 52"82(OR)
4×100mR アメリカ 41"95
4×400mR アメリカ 3'20"91
マラソン ファツマ・ロバ(ETH) 2:26'05" ※有森裕子:銅メダル 真木和:12位 浅利純子:17位
10kmW エレーナ・ニコライエワ(RUS) 41'49"(OR) ※三森由佳:DQ
HJ ステフカ・コスタディノワ(BUL) 2m05(OR)
LJ チオマ・アジュンワ(NGR) 7m12
TJ イネッサ・クラヴェツ(UKR) 15m33(新種目)
SP アストリト・クンバーヌス(GER) 20m56
DT イルケ・ヴィルダ(GER) 69m66
JT ヘリ・ランタネン(FIN) 67m94 ※宮島秋子:予選
HEP ガーダ・シュアー(SYR) 6780p.
◆M.ジョンソンの“異次元の記録”
エディ・マーフィー似の風貌で、長身ながらスラリと脚が長いわけではなく、重心の低いどちらかと言えば見栄えのよくないピッチ走法で走るマイケル・ジョンソンは、この大会で200mに19秒32、99年の世界選手権では400mに43秒18という世界記録を樹立しました。特に200mの記録は、それまでの自己の記録を0.34秒も破るもので、2位のフランキー・フレデリクス(NAM)も歴代2位の19秒68だったのですが、圧倒的な大差をつけてゴールしました。
私は、80年代に東欧諸国の選手たちによって残された“灰色の”世界記録を別にすれば、この200m19秒32は最も永くレコード・ブックに残る「異次元の記録」だという感想を持ったものです。まさか、わずか12年後の大会で破る人間が出てこようとは、まったく思えなかったのです。
とにかく、この時点でのM.ジョンソンは、カール・ルイスにも比肩する陸上界の“ザ・グレーテスト”であったことは間違いありません。
もう一人、“異次元”の高みにあった選手が、女子走高跳に優勝したステフカ・コスタディノワです。
87年ローマ世界選手権で2m09の世界新記録を出してから、9年の時を経てようやくオリンピックの頂点に立ったのがこの大会でした。近年ようやくブランカ・ブラシッチやアンナ・チチェロワなどが「あと僅か」のところまで迫る記録を跳んでいるものの、それまでは世界歴代パフォーマンスのトップ10はほとんどコスタディノワの記録で占められていました。そして、“異次元の世界記録”は、いまだ燦然と輝いています。
◆走るファッションモデル
女子のスーパースターは、短距離2冠、400m連覇を果たしたマリー-ジョゼ・ペレク。開会式ではフランス選手団の旗手を務め、モデルのような颯爽としたいでたちが鮮烈に記憶に残っています。
400mでは次の大会のヒロインとなるキャシー・フリーマン(AUS)を、200mではマリーン・オッティ(JAM)をねじ伏せるかのような勝ちっぷりとともに、その“たたずまい”の美しさがひときわ輝いていた名選手でした。
◆日本選手健闘
男子短距離シーンには、朝原宣治・伊東浩司という2大エースが現れ、100と200でそれぞれ準決勝進出を果たしました。
朝原はこの頃、走幅跳との「二刀流」でしたね。学生時代に8m13というPBを出して、むしろこちらで先に注目を集めていたものです。前年の世界選手権ではマイク・パウエルとただ2人だけ、「一発で予選記録クリア」を果たして決勝に進出しています。
この大会の100mでは、わずかの差で準決勝5着でした。日本の男子100mが、戦後最もファイナリストに近づいたレースだったでしょう。
伊東はこの大会の2年後に、アジア大会で100と200にアジア記録、特に100mでは場内の速報掲示板に「9.99」の文字を表示させ、日本の陸上界を興奮の坩堝に叩き込んだ準決勝のレースがありました。(正式タイムは10秒00)
その伊東が助っ人参加した男子マイルリレーでは、前回までの大黒柱・高野進が抜けたにも関わらず、現在も残る日本記録3分00秒76というタイムで5位に食い込みました。ヨンケイのほうはバトンミスで失格してしまったとはいえ、いよいよ日本のリレー戦略が本格化してきた大会です。
女子の健闘もなかなかで、マラソン以外でも長距離2種目では3人の選手が入賞を果たしました。
10000m5位の千葉真子は翌年のアテネ世界選手権で銅メダルを獲得し、途中ブランクを経て2003年の世界選手権ではマラソンで銅メダルという、女子選手では唯一の複数種目メダル獲得者になりました。
女子の長距離は現在でも好選手が次々に現れますが、この当時のレヴェルは素晴らしいものがあり、弘山晴美、鈴木博美、千葉、川上優子らがバトルを繰り広げた97年日本選手権の10000m決勝などは、陸上史に残る名勝負だったと思っています。