豊大先生流・陸上競技のミカタ

陸上競技を見続けて半世紀。「かけっこ」をこよなく愛するオヤジの長文日記です。 (2016年6月9日開設)

マリーン・オッティ

【短期集中連載】オリンピック回想 ⑨~1996年アトランタ大会



第1回アテネ大会以来100周年―「オリンピック・センテニアル」を謳った大会の開会式では、かつての各大会を象徴するヒーロー・ヒロインたちが1名ずつ登壇するという演出がありました。しかしながら開会式最大のヒーローは、病をおして聖火点灯者の大任を果たした「20世紀のザ・グレーテスト・オブ・アスリート」モハメド・アリだったでしょう。
なお開会式は前回のバルセロナで初めて夜間に行われたのですが、このアトランタ以降も踏襲され、ライティングやレーザー、炎、映像を駆使した大規模な演出が投入されるようになりました。とともに、長時間化による選手のコンディションへの影響や経費の高騰が問題となっていきます。

陸上競技では、世界的には何といってもマイケル・ジョンソン(USA)の異次元の走りやカール・ルイスの走幅跳4連覇が、そして日本選手の中では2大会連続メダルの有森裕子選手がクローズアップされ、大会後に刊行されたグラフィック誌のほとんどで表紙を飾りました。

有森選手の活躍についてはすでに別稿で振り返っていますので、今回は割愛しますが、その女子マラソンでもう一つの話題になったのが、陸上競技では史上初となる女性実況アナウンサーの起用です。
担当したテレビ朝日・宮嶋泰子アナウンサーは、通常の男性アナではとても太刀打ちできないほどに陸上競技に精通した方で、私個人の意見としては既に亡くなっていたTBS・石井智アナと双璧だったと思っています。
東京国際女子マラソンのメイン実況などを経て晴れの実況席に大抜擢され、淀みのないソフトな語り口は非常に良かったと思っているのですが、世間一般にはあまり評判がよろしくなかったらしいです。

私が記憶するオリンピックの女性実況アナは、宮嶋アナの他は1972年札幌冬季大会で女子フィギュアスケートを担当した方のみで、その後も現れていません。
昨今、女子アナと言えば番組のマスコット的役割に特化されて、負担の少ないインタヴュアーなどを任されてもあからさまな勉強不足でスポーツファンをシラケさせるという場面ばかりです。各界における女性の進出は今や当たり前のことなのに、スポーツ実況の分野ではまったく時代遅れの状況にあるのが、たいへん残念だと思っています。

◆各種目の金メダリストと日本選手の成績
<男子>
 100m ドノヴァン・ベイリー(CAN) 9"84(WR) ※朝原宣治:準決勝 土江寛裕:1次予選
 200m  マイケル・ジョンソン(USA) 19"32(WR) ※伊東浩司:準決勝 馬塚貴弘:1次予選
 400m マイケル・ジョンソン(USA) 43"49(OR) ※大森盛一:予選
 800m ヴェービョルン・ロダル(NOR) 1'42"58(OR)
 1500m ヌールディン・モルセリ(ALG)3'35"78
 5000m ヴェヌステ・ニョンガボ(BDI) 13'07"96
  10000m ハイレ・ゲブレセラシエ(ETH)27'07"34(OR) 
※高岡寿成・花田勝彦:予選 渡辺康幸:DNS
 110mH アレン・ジョンソン(USA) 12"95(OR)
 400mH デリック・アドキンス(USA) 47"54 ※苅部俊二・山崎一彦・河村英昭:予選
 3000mSC ジョセフ・ケテル(KEN) 8'07"12
 4×100mR カナダ 37"69 ※日本:予選DQ
 4×400mR アメリカ 2'55"99 ※日本(苅部・伊東・小坂田淳・大森):5位NR
 マラソン ジョサイア・チュグワネ(RSA)2:12'36" 
谷口浩美:19位 大家正喜:54位 実井謙二郎:93位
 20kmW ジェファーソン・ペレス(ECU) 1:20'07 ※池島大介:22位
 50kmW ロベルト・コルゼニオウスキー(POL) 3:43'30" ※小坂忠弘:29位
 HJ チャールズ・オースティン(USA) 2m39(OR) ※野村智宏:予選
 PV ジャン・ガルフィオン(FRA) 5m92(OR) ※米倉照恭:予選
 LJ カール・ルイス(USA) 8m50 ※朝原宣治:予選
 TJ ケニー・ハリソン(USA) 18m09(OR)
 SP ランディ・バーンズ(USA) 21m62
 DT ラルス・リーデル(GER) 69m40
 HT バラス・キシュ(HUN) 81m24
 JT ヤン・ゼレズニー(CZS) 88m16
 DEC ダン・オブライエン(USA) 8824p.
 
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<女子>

 100m ゲイル・ディヴァース(USA) 10"94
 200m  マリー-ジョゼ・ペレク(FRA) 22"12
 400m マリー-ジョゼ・ペレク(FRA) 48"25(OR)
 800m スヴェトラナ・マステルコワ(RUS) 1'57"73
 1500m スヴェトラナ・マステルコワ(RUS) 4'00"83
 5000m ワン・ジュンシャ(CHN) 14'59"88(3000mから変更)※志水見千子:4位入賞 弘山晴美・市川良子:予選
  10000m フェルナンダ・リベイロ(POR)31'01"63(OR) ※千葉真子:5位 川上優子:7位 鈴木博美:16位

 100mH リュドミラ・エンクィスト(SWE) 12"58 ※金沢イボンヌ:1次予選
 400mH ディオン・ヘミングス(JAM) 52"82(OR)
 4×100mR アメリカ 41"95
 4×400mR アメリカ 3'20"91
 マラソン ファツマ・ロバ(ETH)  2:26'05" ※有森裕子:銅メダル 真木和:12位 浅利純子:17位
 10kmW エレーナ・ニコライエワ(RUS) 41'49"(OR) ※三森由佳:DQ

 HJ ステフカ・コスタディノワ(BUL) 2m05(OR)
 LJ チオマ・アジュンワ(NGR)  7m12
 TJ イネッサ・クラヴェツ(UKR) 15m33(新種目)
 SP アストリト・クンバーヌス(GER) 20m56
 DT イルケ・ヴィルダ(GER) 69m66
 JT ヘリ・ランタネン(FIN) 67m94 ※宮島秋子:予選
 HEP ガーダ・シュアー(SYR) 6780p. 


◆M.ジョンソンの“異次元の記録”

エディ・マーフィー似の風貌で、長身ながらスラリと脚が長いわけではなく、重心の低いどちらかと言えば見栄えのよくないピッチ走法で走るマイケル・ジョンソンは、この大会で200mに19秒32、99年の世界選手権では400mに43秒18という世界記録を樹立しました。特に200mの記録は、それまでの自己の記録を0.34秒も破るもので、2位のフランキー・フレデリクス(NAM)も歴代2位の19秒68だったのですが、圧倒的な大差をつけてゴールしました。
私は、80年代に東欧諸国の選手たちによって残された“灰色の”世界記録を別にすれば、この200m19秒32は最も永くレコード・ブックに残る「異次元の記録」だという感想を持ったものです。まさか、わずか12年後の大会で破る人間が出てこようとは、まったく思えなかったのです。
とにかく、この時点でのM.ジョンソンは、カール・ルイスにも比肩する陸上界の“ザ・グレーテスト”であったことは間違いありません。

もう一人、“異次元”の高みにあった選手が、女子走高跳に優勝したステフカ・コスタディノワです。
87年ローマ世界選手権で2m09の世界新記録を出してから、9年の時を経てようやくオリンピックの頂点に立ったのがこの大会でした。近年ようやくブランカ・ブラシッチやアンナ・チチェロワなどが「あと僅か」のところまで迫る記録を跳んでいるものの、それまでは世界歴代パフォーマンスのトップ10はほとんどコスタディノワの記録で占められていました。そして、“異次元の世界記録”は、いまだ燦然と輝いています。

◆走るファッションモデル
女子のスーパースターは、短距離2冠、400m連覇を果たしたマリー-ジョゼ・ペレク。開会式ではフランス選手団の旗手を務め、モデルのような颯爽としたいでたちが鮮烈に記憶に残っています。
400mでは次の大会のヒロインとなるキャシー・フリーマン(AUS)を、200mではマリーン・オッティ(JAM)をねじ伏せるかのような勝ちっぷりとともに、その“たたずまい”の美しさがひときわ輝いていた名選手でした。


◆日本選手健闘
男子短距離シーンには、朝原宣治・伊東浩司という2大エースが現れ、100と200でそれぞれ準決勝進出を果たしました。
朝原はこの頃、走幅跳との「二刀流」でしたね。学生時代に8m13というPBを出して、むしろこちらで先に注目を集めていたものです。前年の世界選手権ではマイク・パウエルとただ2人だけ、「一発で予選記録クリア」を果たして決勝に進出しています。
この大会の100mでは、わずかの差で準決勝5着でした。日本の男子100mが、戦後最もファイナリストに近づいたレースだったでしょう。
伊東はこの大会の2年後に、アジア大会で100と200にアジア記録、特に100mでは場内の速報掲示板に「9.99」の文字を表示させ、日本の陸上界を興奮の坩堝に叩き込んだ準決勝のレースがありました。(正式タイムは10秒00)

その伊東が助っ人参加した男子マイルリレーでは、前回までの大黒柱・高野進が抜けたにも関わらず、現在も残る日本記録3分00秒76というタイムで5位に食い込みました。ヨンケイのほうはバトンミスで失格してしまったとはいえ、いよいよ日本のリレー戦略が本格化してきた大会です。

女子の健闘もなかなかで、マラソン以外でも長距離2種目では3人の選手が入賞を果たしました。
10000m5位の千葉真子は翌年のアテネ世界選手権で銅メダルを獲得し、途中ブランクを経て2003年の世界選手権ではマラソンで銅メダルという、女子選手では唯一の複数種目メダル獲得者になりました。
女子の長距離は現在でも好選手が次々に現れますが、この当時のレヴェルは素晴らしいものがあり、弘山晴美、鈴木博美、千葉、川上優子らがバトルを繰り広げた97年日本選手権の10000m決勝などは、陸上史に残る名勝負だったと思っています。

 

【短期集中連載】オリンピック回想 ⑧~1992年バルセロナ大会



“情熱の国”スペインが、第二次大戦以前からの悲願だったオリンピックを、サマランチIOC会長のお膝元として初開催。
1989年のベルリンの壁崩壊、91年のソヴィエト連邦消滅を承けて、参加チームに「EUN(独立国家共同体)」という見慣れない名称が登場しました。これは、ソ連消滅後に各々独立国となりながらも個々にはIOC未加盟だったためにとられた救済措置で、ロシア・アルメニア・アゼルバイジャン・ベラルーシ・ウクライナ・カザフスタン・ウズベキスタン・グルジア・モルドバ・キルギスタン・タジキスタン・トルクメニスタンの12か国による合同チーム、つまり実質的には旧ソ連チームということになります。(バルト3国は別個に参加)
また従来西ドイツ(GER)と東ドイツ(GDR)に分かれていたドイツ(GER)も統一国家として迎える初の大会、ということになりました。
旧ユーゴスラヴィアの各地では、国家的バックボーンを持つことができないアスリートのため「独立参加選手団(IOP)」という個人資格での出場チームが結成され、オリンピック旗のもとに参加しました。
また、アパルトヘイト政策の緩和を評価されて、南アフリカ共和国(RSA)が初参加を果たしています。

オリンピックはようやくワールドワイドなビッグ・イヴェントとしての真価を発揮し始めた感があり、ロス大会以来のコマーシャリズムやNBAドリームチームなどのプロ選手の参加により、中興の時代へと進み始めました。


◆各種目の金メダリストと日本選手の成績
<男子>
   100m リンフォード・クリスティ(GBR) 9"96 ※井上悟・青戸慎司:2次予選 杉本龍勇:1次予選
   200m  マイケル・マーシュ(USA) 20"01
   400m クインシー・ワッツ(USA) 43"50(OR) ※高野進:8位入賞 渡辺高博:1次予選
   800m ウィリアム・タヌイ(KEN) 1'43"66
  1500m フェルミン・カチョ(ESP) 3'40"12
  5000m ディーター・バウマン(GER) 13'12"52
 10000m ハリド・スカー(MAR) 27'46"70 ※浦田春生:14位 大崎栄:予選
 110mH マーク・マッコイ(CAN) 13"12 ※岩崎利彦:2次予選
 400mH ケヴィン・ヤング(USA) 46"78(WR) ※斎藤嘉彦・山崎一彦:予選
 3000mSC マシュー・ビリル(KEN) 8'08"84
 4×100mR アメリカ 37"40(WR)※日本(青戸・鈴木久嗣・井上・杉本):6位入賞
 4×400mR アメリカ 2'55"74(WR) ※日本:予選
 マラソン ファン・ヨンジョ(KOR) 2:13'23" 
森下広一:銀メダル 中山竹通:4位 谷口浩美:8位
 20kmW ダニエル・プラッツァ(ESP) 1:21'25
 50kmW アンドレイ・ペルロフ(EUN) 3:50'13" ※今村文男:18位 園原健弘:22位小坂忠弘:24位
 HJビエル・ソトマイヨル(CUB)2m34
 PV マキシム・タラソフ(EUN) 5m80 ※佐野浩之:予選
 LJ カール・ルイス(USA) 8m67 ※森長正樹:予選
 TJ マイク・コンリー(USA) 18m19w ※山下訓史:予選
 SP マイク・スタルス(USA) 21m70
 DT ロマス・ウバルタス(LIT) 65m12
 HT アンドレイ・アブドゥヴァリエフ(EUN) 82m54
 JT ヤン・ゼレズニー(CZS) 89m66(OR) ※吉田雅美:予選
 DEC ロベルト・ズメリク(CZS) 8611p.
 


<女子>
   100m ゲイル・ディヴァース(USA) 10"82
   200m  グウェン・トーレンス(USA) 21"81
   400m マリー-ジョゼ・ペレク(FRA) 48"83
   800m エレン・ファンランゲン(NED) 1'55"54
 1500m ハッシバ・ブールメルカ(ALG) 3'55"30
 3000m エレーナ・ロマノワ(EUN) 8'46"04
  10000m デラルツ・ツル(ETH) 31'06"02 ※真木和:12位 五十嵐美紀:14位 鈴木博美:予選

 100mH ヴーラ・パトリドウ(GRE) 12"64
 400mH サリー・ガネル(GBR) 53"23
 4×100mR アメリカ 42"11
 4×400mR EUN 3'20"20
 マラソン ワレンティナ・エゴロワ(EUN) 2:25'40" ※有森裕子:銀メダル 山下佐知子:4位 小鴨由水:29位
 10kmW チェン・ユエリン(CHN) 44'32"(新種目) ※板倉美紀:23位 佐藤優子:24位

 HJ ハイケ・ヘンケル(GER) 2m02 ※佐藤恵:7位入賞
 LJ ハイケ・ドレクスラー(GDR)  7m14
 SP スヴェトラナ・クリヴェリョワ(EUN) 21m06
 DT マリツァ・マルテン(CUB) 70m06
 JT シルケ・レンク(GER) 68m34
 HEP ジャッキー・ジョイナー-カーシー(USA) 7044p. 



◆群雄割拠の大会

男子走幅跳で3連覇(400mRを合わせ通算8個の金メダル)を達成したカール・ルイスや、女子七種競技で連覇を飾った ジャッキー・ジョイナー-カーシーなどを除いては“スーパースター”級の目立ち方をした選手を見つけにくい大会でしたが、その分、各種目のスペシャリストたちが個性を発揮し、ビッグネームに負けない実績と名声を勝ち得るようになってきたのだと言えるでしょう。テレビ放送の充実や世界選手権の定着によって、種目の隅々まで情報が伝わるようになった恩恵もあるかもしれません。

たとえば、女子100mに優勝したゲイル・ディヴァースなどは、この時代を代表する個性的な女子アスリートの一人でしょう。
100mでは次のアトランタでも連覇しますが、ともに際どい勝負をハードラーならではのフィニッシュ技でものにした勝利でした。彼女がスタート前に行う、フィニッシュの瞬間をイメージするポーズは有名なルーティーンでした。
ただ、本職であるはずの100mHでは決勝で断然先頭を走っていながら10台目を引っ掛けて転倒寸前となり5着に沈み、ギリシア史上初の女性メダリスト、パラスケビ・ヴーラ・パトリドウという新たなヒロインを誕生させる結果となってしまいました。この種目、ディヴァースは世界選手権では91年から2001年までの5大会(97年は欠場)で金3、銀2を獲得する一方、オリンピックは2大会連続下位入賞に留まっています。


また、女子200mには「3位」の欄に、“ブロンズ・コレクター”の異名をとったマリーン・オッティ(JAM/現SLO)の名があります。
80年モスクワ大会に初出場して200m銅メダルを獲得したオッティは、ジャマイカの女子短距離パイオニアの一人。続くロス大会は100、200ともに銅メダル。ソウルではメダルなしに終わりますが、この大会で“復活”するや、アトランタでは100、200で“シルバー・コレクター”に昇格、40歳で出場した2000年シドニー大会では4位に終わりましたが、1位マリオン・ジョーンズの失格によって“いつもの”銅メダルが転がり込んできました。この間、世界選手権では金2、銀3、銅5のメダルを獲得。
その後スロベニアに国籍変更したオッティは、2007年の大阪世界選手権にも来日、驚くべきことに2012年、52歳でヨーロッパ選手権のリレーチーム入りを果たしています。

87年ローマ世界選手権からソウル五輪、91年東京と、女子走幅跳でジャッキー・ジョイナー-カーシーに敗れ続けたハイケ・ドレクスラーが、遂にこの大会で“クィーン”を撃破して83年ヘルシンキ世界選手権以来の金メダルに返り咲いたシーンも忘れられません。
彼女もまた長く活躍を続けた選手で、2000年シドニー大会に出てきたときは「えっ!?」と思ってしまいましたが、まさかそこでオリンピック2つ目の金メダルを獲ってしまうとは…。

こうした個性的な選手たちにそれぞれ根強いファンがついて、陸上競技の奥行きをどんどん深めていったことは、嬉しい傾向でした。


◆男女マラソン、モンジュイックの激闘
日本選手団は、リレー強化策が実を結び始め、男子400mRでみごと予選・準決勝を突破して6位に入賞、以後のオリンピック、世界選手権では「決勝の常連国」として悲願のメダルに向けて進んでいくことになります。
マイルリレーでも、エース高野進を要とする最後のレースとなったこの大会、3組2着+2の予選で惜しくも3着、プラスの3番手で決勝を逃しはしたものの、前年の世界選手権に続く好リレーでその後への期待を抱かせました。

その高野は、すでに東京世界選手権で短距離界の悲願であった決勝進出を果たしていました。この大会でも、準決勝で有力選手のデレク・レドモンド(GBR)が負傷DNFに沈んだアクシデントに助けられた感もありましたが、再度決勝を走る栄誉に浴しました。短距離種目での入賞は、“暁の超特急”と謳われた吉岡隆徳さん以来、60年ぶりの快挙でした。
この大会あたりから、アスリートを応援する家族や縁故の人々がテレビなどでクローズアップされることが多くなり、高野にも愛妻の支えが云々という“感動物語”が付いて回ったものです。まさかその後、あんなことになるとはねえ…。

女子マラソン・有森裕子の件については他の稿で触れましたので、ここでは詳しく振り返りません。
その女子と同じように、男子マラソンも終盤の「モンジュイックの丘」で、ファン・ヨンジュと激しいマッチレースを展開したのが若きエース・森下広一。デビュー戦の91年別大、92年東京国際と、2度にわたって中山竹通とのデッドヒートを制して2戦2勝で臨んだこの大会でした。相手のファンもマラソン3戦2勝、92年の別大で8分台の記録を出して2位と、
経歴も風貌もよく似た2人はこの先よきライヴァルとして活躍することが期待されていましたが、ともに故障に泣いて大成しきれなかったのは残念でした。
前年猛暑の東京で世界チャンピオンの座に就いた谷口浩美は、20kmの給水ポイントで転倒しシューズが脱げるというハプニングに遭い、着実に追い上げながらも8位入賞に留まりました。「コケちゃいました」という笑顔でのコメントは、世界王者としての余裕と照れの表現と見えましたが、モンジュイックでの優勝争いに加わっていてもおかしくない好調ぶりでしたから、「もしも」の先を想像しないではいられませんでした。

 
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