陸上競技ならば距離の長短に関わらず起こり得ることですが、数センチの差が勝敗の明暗を分けるようなことが特に頻繁に起こる短距離種目では、

「いかに早くトルソーをゴール面に到達させるか」
が重要なテクニックとなってきます。
ほぼ同体でゴールになだれ込むような状況の時に、たとえば体の中心線や足の位置では僅かに負けているとしても、トルソーをより早く前に出すことができれば、そのレースで勝ちを制することができるからです。

というわけで、短距離ランナーはゴールの瞬間…本当に“瞬間”的に上体をグイッと前へ倒すことによって、トルソーすなわち肩や首の付け根を前へ出し、それこそ100分の1秒を削り出すようにして、競り合っていた相手に勝つということを試みます。この“フィニッシュ技”によって、僅かに不利だった形勢を逆転させるというケースが、短距離レースでは少なからず起きるのです。
リードを許していた相手を逆転するということは、その分ゴールタイムも実際に速くなっているわけですから、競っていようがいまいがこの技術をおろそかにしない、という姿勢はスプリンターにとって大きな課題です。


◆ストレートハードルでは必修科目
特にこの傾向が顕著なのが男子110mハードル、女子100mハードルといった直走路のみを使って行われるハードル競走で、最後(10台目)のハードルを越えてからフィニッシュまでの歩数が分かっていますから、多くの選手は意識して最後の一歩にこの“技”を繰り出してきます。
記憶に残るところでは2005年の日本選手権男子110mハードルで、この「必殺の前傾フィニッシュ」技術を得意としていた谷川聡選手が、ゴール寸前まで胸一つ先を走っていた内藤真人選手と同着に持ち込み、みごと世界選手権代表の座を手にしたというレースがありました。

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2005年日本選手権の男子110mH決勝ゴールシーン。
谷川聡選手(3レーン)と内藤真人選手(4レーン)の接戦。
他の選手を見ても、ほとんど強い前傾をかけている。


また、2014年・15年のインターハイ男子100mを連覇した大嶋健太選手(東京高→日大)は、片手を大きく前に突き出す独特のフィニッシュ・スタイルで知られています。
これは、スキーやスノーボードの対戦形式のレース(2人1組で競う「パラレル」や4人から6人で競う「クロス」など)では「体の一部がゴール面に到達した時がフィニッシュ」となっているため、選手は片手を大きく前に突き出してゴールするのですが、その姿勢によく似ています。もちろん陸上では手の先端がゴールを通過してもフィニッシュとはなりません。ですが片手を大きく前に出すことで、その付け根である肩すなわちトルソーを少しでも前に出す、ということになり、またそうする意志によって上体が瞬間的に前傾することにもなりますから、陸上競技のフィニッシュとしても理に適った体勢だと言えるでしょう。
大島選手は、3年生で迎えた15年インターハイでは、大本命に推されていたサニブラウン・ハキーム選手(城西大城西高)と大接戦を繰り広げ、最後にこの「得意技」を繰り出して100分の1秒差で破ってみせました。

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2015年インターハイ男子100m決勝。凄まじい追い込みを見せたサニブラウン(6レーン)を得意のフィニッシュで振り切った大嶋健太(4レーン)。サニブラウンのフィニッシュ姿勢も見事。



◆100年前の仰天フィニッシュ技

ところで、大昔、100年近く前のスプリント界では、「フライング・フィニッシュ」という技術が大真面目に取り入れられていたのをご存知でしょうか?
つまり、短距離走の最後の一歩をまるで走幅跳のように大きく「跳ぶ」ことによって、「早くゴールに到達することができる」、と信じられていた時期があったのです。
写真は1920年アントワープ(ベルギー)オリンピックにおける男子100mのフィニッシュ・シーン、優勝したチャーリー・パドック選手(アメリカ)が試みているのが、この技術です。
パドック選手は4年後のパリ大会ではイギリスのエイブラハムズ選手に敗れましたが、そのレースが舞台となった映画『炎のランナー』ではすでにこのフィニッシュ法は描かれておらず、主人公のエイブラハムズがコーチから「上体を倒す」フィニッシュ姿勢を指導されているシーンが見られます。

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1920年オリンピック男子100m決勝のゴール。両手を挙げて跳びながらフィニッシュしたパドック(USA)が優勝したことで、このフィニッシュ法の優位性がいっとき信じられた。

「フライング・フィニッシュ」が流行したのはほんの一時期で、「跳んだ方が速い」というのは全くの錯覚であり、それまでと同じリズムで駆け抜ける方が速いことが科学的にも実証されるに及んで、あっさりと姿を消してしまいました。


ところが、これとよく似た光景が現代のあるスポーツシーンにもしばしば登場するのに思い当たりませんか?…それは野球でよく見られる「一塁へのヘッドスライディング」です。駆け抜けた方が速いに決まっているのに、おまけにスライディングというのはベースのピンポイントを目指して「止まる」ための技術なのに、なぜアウトかセーフかの際どい瞬間にわざわざヘッドスライディングで減速をしようとする選手が後を絶たないのか、唯一「タッチを避ける必要もなくベースの好きな場所を踏んで駆け抜ける」ことが許されている一塁でこれを行うのか、私にはどうしても理解できません。

ま、これは例によって「余談」ということで。