豊大先生流・陸上競技のミカタ

陸上競技を見続けて半世紀。「かけっこ」をこよなく愛するオヤジの長文日記です。 (2016年6月9日開設)

ドーピング

不運な事故で済ませてはいけない…ドーピング禍の教訓


昨日から今日にかけて、当ブログの閲覧数がピョーン!♪と跳ね上がり、ビックリ仰天しているのでありますが、そのワケはと言いますと…。
検索キーワードすなわち、陸上競技のある女子選手名にあったようです。
なんたって、昨年までこの選手をイチ押しで応援してたブログなんて、他にないでしょうからね。

2018-07-20_LI

陸上界をお騒がせする「ドーピング違反で実業団駅伝優勝チームが失格」のバッド・ニュースが飛び込んできたのは、昨日のことです。
報道では該当選手の名前を明かしていませんし、相当陸上好き、女子長距離ファンの人でもないと、いったい誰が違反したのか見当もつかないでしょうけど。
優勝メンバーのうち「既に競技を引退」した選手といえば、該当するのはただ一人、私が大好きだったあの選手以外にはありません。
しかしねえ…それで閲覧数が増えるってのも、なんだかねえ。

ドーピングという行為は、欧米のように闇の販売ネットワークとアスリートの関係が切っても切れない「確信犯」の世界があるのと同時に、ここのところ日本でも取り沙汰されるように「知らず知らずのうちに犯していた」というケースも多々あります。ちょっと例外的なところでは、昨年1年間の出場停止を食らって今季戦線に復帰したブライアナ・マクニール(旧姓ローリンズ:女子100mH:USA)のように、「抜き打ちドーピング検査に対応できるよう居場所を明確にしておく」という義務に違反した、というようなケースもあります。

諸外国で“意図的な”ドーピングが後を絶たないのは、アスリートを追い回す闇のシンジケートによる「今度のは絶対にバレないから」という甘い囁きが止まないからだ、ということを聞いたことがあります。
ドーピング行為とADA(WADA=世界アンチドーピング機構を筆頭に各国に設けられているアンチドーピング機構)のせめぎ合いは、ある意味イタチごっこの様相を呈します。
たとえば現在も開催中の『ツール・ド・フランス』でかつて前人未到の7連覇を達成しながら、状況証拠を固められた結果最終的に本人が自白してそのすべてを抹消されたランス・アームストロング(USA)のケースのように、ADA(この場合はUSADA=全米アンチドーピング機構)の追及はあくまでも執拗で徹底しており、時として採取検体という物的証拠がなくても「御用!」となってしまうことがあります。
国家ぐるみの違反・隠蔽行為により、いまだに陸上界では国際舞台復帰がかなわないロシア陸連のケースも、生々しく思い出されます。
それでも違反者がなくならないのは、「(現時点では)絶対にバレない」薬物に助けられ、そうしたADAの執拗な追及を逃れきってスポーツ界に健在しているブラック・アスリートが、少なからず存在しているからだとも推察されます。

「確信犯」は禁止薬物による運動能力向上を狙っての行為ですが、「知らず知らず」は本人にその意思がまったくなく、摂取量も競技成績に影響するほどのことはない、というのが通例です。特に日本人選手の場合、「ドーピングは絶対悪」という認識が浸透しきっている上に、発覚した場合のリスクを重視する国民性(といいますか…)から、今のところ、少なくとも陸上競技で故意のドーピングをするアスリートは皆無と言っていいと思います。そうした日本人の特性は“闇”にもよく知られていますから、「悪魔の囁き」に追い回されるということも少ないようです。

しかし、古くは1990年代のトップ・スプリンターだった伊藤喜剛さんの例を持ち出すまでもなく、意図せず禁止薬物を摂ってしまう、あるいは他者によって“ハメられる”というケースは、将来を含めて十分に起こり得ることを、このニュースは改めて想起させてくれます。
ドーピングは故意であるか否かにかかわらず、行なってしまったことはあくまでも本人責任。「知らなかった」「そのつもりはなかった」では済まされないことであり、処分は致し方のないことです。(半年ほど前、カヌー選手が他者から「盛られた」事件がありましたが、本人にお咎めなしとの裁定については、私は「甘いなあ」と思っています。同様のケースで、中国のマラソン選手・孫英傑が競技生命を絶たれているのに比べて、ですが)
ひとつの教訓として、すべてのアスリートがこの件を真摯に受け止めてくれることを、願ってやみません。


「当該選手」によるコメントが日刊スポーツに掲載されていましたので、全文を引用させていただきます。ここに、経緯のすべてが語られていると思われます。くれぐれも、記事を斜め読みしただけで、「そうまでして勝ちたいか」とか「それで引退したのか」とか、ねじ曲がった感想は持たないでいただきたいと思います。
当該選手の痛恨の気持ちを受け止めて、ユニバーサルの選手たちが今年も「予選会」から元気に勝ち上がり、優勝争いを繰り広げてくれることを祈っています。

<7/19 日刊スポーツWeb記事より>

 昨年11月に行われた全日本実業団対抗女子駅伝で優勝したユニバーサルエンターテインメントの選手がドーピング検査で禁止薬物に陽性反応を示していた問題で、ユニバーサルエンターテインメントは19日、当該選手のコメントを発表した。

 当該選手は意図的な摂取を否定し、すでに引退している。コメントは以下の通り。

「このたびは、私の不注意により日本アンチ・ドーピング規定に違反してしまったことにより、陸上競技を開催またご支援いただいている関係者の皆様、ファンの皆様、所属チーム、及びアンチ・ドーピング活動を推進しておられる関係者の皆様に多大なるご迷惑をおかけしてしまいましたこと、深くおわび申し上げます」

 「今回の違反の経緯について、簡単にご説明させていただきます。本件について私が初めて認識したのは、日本アンチ・ドーピング機構から、クイーンズ駅伝2017終了後に行われたドーピング検査において、私の検体から禁止薬物が検出された旨の連絡を受けたときでした。しかし、私には、いわゆる『ドーピング』などというものは全く身に覚えのないことでしたので、連絡を受けた直後はすぐに事態を飲み込むことができずに混乱してしまいました」

 「私はこれまで何度かドーピング検査の対象になったことがありますが、違反したことは一度もありませんでした。私は日頃から市販薬やサプリメント等の服用もしておらず、また過去の検査では陰性であったのに、なぜ今回の検査では陽性となってしまったのか、その理由を考えた時、去年は婦人科系の疾患の治療のために通院していたということがあったため、それが理由ではないかと考えました」

 「そこで、治療をしていただいたお医者様に、これまでに私に投与または処方された薬の中に、禁止薬物があったかどうか伺ったところ、私のカルテを見たお医者様より、昨年9月末に1度だけ使用した注射の中に、禁止薬物が入っているとの指摘を受け、これにより違反の原因を把握したというのが事実の経過です」

 「私は今回の違反の指摘を受けるまで、疾患が婦人科系のものということで、なるべく自分の素性を伏せたい、また他人に知られたくないという気持ちがあり、お医者様に対して自分が競技者であることを伝えておりませんでした」

 「私は16年間にわたる選手生活の中で、通常の生活を送っていれば、まさかドーピング違反になるようなことはないだろうと思っておりましたが、競技人生の最後の最後で、このような事態を起こしてしまい、自分に競技者としての自覚が足りなかったと深く反省しております」

 「また今回の私の違反により、クイーンズ駅伝2017における所属チームの成績(総合成績優勝および区間成績)も失効することとなってしまい、所属チームのチームメート、スタッフ、またファンの皆様には大変申し訳なく、深くおわび申し上げます」

 「私はすでに陸上競技を引退しておりますが、クイーンズ駅伝2017における個人成績の失効及び1年3カ月間の資格停止という処分を重く受け止めるとともに、関係者の皆様に、あらためて深くおわび申し上げます」

やり投のアブデルラーマンが“追放”か?



男子やり投に89m21の記録を持ち、2015北京世界選手権の銀メダリストでもあるイハブ・アブデルラーマン選手(EGY)が、今年4月に採取されたサンプルがテストステロンに陽性反応を示したため、エジプトのアンチドーピング機構から資格停止を申し渡された、との報道が入ってきました。

Ihab Abdelrahman
http://www.iaaf.org/athletes/egypt/ihab-abdelrahman-239280
IAAF ‘Athletes’ページより


男子やり投はここ数年、アブデルラーマンをはじめケニアのジュリアス・イェゴ、トリニダードトバコのケショーン・ウォルコット、そしてつい数日前にU-20を制したインドのニアラジ・チョプラなど、この種目では馴染みの薄い“やり投新興国”から好選手が次々と現れており、ヨーロッパ勢中心の戦いに彩りを添えてくれています。そんな、日本にとっても期待が大きい種目の注目選手だけに、とても残念です。
今日あたりにB検体の検査結果が判明してアブデルラーマンの処分が「確定」する模様ですが、できれば間違いであってほしいと願うばかりです。

ドーピング禍がいっこうに収まらない陸上界の現状については、IAAFがロシアへの処分を確定させた時にも当ブログで書いたとおりです。「バレない不正」を人生賭けて(?)研究・開発・営業する輩が存在し続けているということは、信じがたい事実です。
http://blog.livedoor.jp/hohdaisense/archives/4278517.html

その一方で、ロシアチームのオリンピック陸上競技締め出しの確定によって、男子4×400mリレーへの日本チーム参加が正式決定し、加藤修也(早大)・北川貴理(順大)・田村朋也(住友電工)・佐藤拳太郎(城西大)の代表追加が昨日発表されました。すでに個人種目で代表になっているウィルシュ・ジュリアン(東洋大)・金丸祐三(大塚製薬)とともに、陸上のフィナーレとなる8月20日の決勝を目指すことになります。
正直、喜んでいいことなのかどうか分かりませんが、選手たちにはぜひとも「3分切り」を目標に、チャンスを活かしてもらいたいと思います。


<連載>100m競走を語ろう ⑧~フライングのルール変遷史・後篇



◆「一発失格」の波紋

2009年にIAAFによって制定された「一度でも不正スタートをした選手は競争から除外」というルールは、大きな論議を巻き起こしました。トップ選手から中学校・高校の部活レベルに至るまで、現役アスリートに与えた衝撃は大変なものでした。
それほどに、「1回は許されるフライング」という認識が短距離走に浸透しきっており、常習的に故意のフライングを続けてきた人、そうした行為や状況への対処に心を砕いてきた人にしてみれば、「短距離走の一要素が全否定された」というくらいの心持ちになったのでしょう。

従来どおり、微細な筋肉の動きでもスタブロが検知すればアウトなのか、完全な静寂を期待できない陸上競技場で他の物音などに反応してしまった場合はどうなるのか、隣の選手が動いたのにつられた場合も同罪なのか……さまざまな“想定論”が取り交わされましたが、そもそも「不正スタート」ということに対する考え方の甘さが、このような議論を巻き起こしたのだと私は思っています。
スプリンターの中には長い選手生活の中で「一度もフライングなどしたことがない」という人が少なからずいるはずで、それは「ピストルの音を聞いてからスタートする、ただそれだけのこと」を真摯に実践してきた者は、よほど運悪く何か別の音や動きに反応してしまった場合はともかく、集中力を高めスタートの技術と反応に磨きをかけてきた結果、そういうスプリンターとして当たり前の資質を身に着けているに違いないと思われるからです。
それまで「フライングをしても構わない」とか「仕方ない」と考えてきたスプリンターは、「絶対にフライングをしない」技術を磨くという新たな短距離走の一要素に取り組む、そういう新しい時代になったというだけのことだ、と思ったわけです。

もう一つ。
短距離走を「観る」側からしますと、フライングの繰り返しによってレースが冗長になることは大いに観戦の妨げになっていたのですが、今度はレースの重要な登場人物である選手の誰かが、いとも簡単に戦わずしてレーンを去っていくという可能性が高まることが懸念されました。新ルールが本格的に導入された2010年から、それはしばしば「現実」となって、そのレースに多くの時間と努力を傾けてきたであろう、そして時には海を超えてはるばると1つのレースだけのためにやって来た選手が、たった1回の過ちで無情にも退去させられる光景に、当事者のみならず観る者もまた心を痛めることになったのです。

そして遂に、世界中の陸上ファンは「最悪の事態」を目の当たりにします。
2011年のテグ世界選手権・男子100m決勝で、連覇がかかっていた陸上界最高のスター選手、「人類最速の男」ウサイン・ボルト(JAM)が失格となった時、全世界が深い溜め息とともに一瞬、「なんでこんなルールにしたんだ?」とやり場のない思いを抱いたのです。
けれども、ボルトには申し訳ないですが、しばし後になって私はこうも思いました。
あのボルトでさえ、このルールのもとでは問答無用に失格になる。それは、スタートに対する修練と集中が未熟だったことへの代償として、当然のことと考えなければならない。当のボルトは、未練はあっただろうが潔くレーンを立ち去った。それは100%、未熟な自分の過失だと承知していたからだろう。悪いのはスタートへの集中をどれほど大切にしなければならないかを甘く見ていた自分に他ならないと、ボルトは瞬時に理解したに違いない……この出来事を糧として、100m競走のスタートは良い方向に変わっていくに違いない、と。

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自身のフライングを瞬時に自覚し、天を仰いだU.ボルト。この後すぐにユニフォームを脱ぎ捨てました。(2011年IAAF世界選手権)



◆現状…まだ課題は多いけど

2013年、ルールに微修正が加えられ、微細な体の動きなど「スタート動作とはならない」と見なされたケースについては、たとえ機械が検知してリコール音が鳴らされたとしても「不正スタート」とはならず、ただ「紛らわしい動き」「正常なスタート完了を妨げた行為」として「警告」に留める、というようになりました。「警告」は2回重ねると「失格」になりますが、選手は意図しない細かい動きにまで神経を配るストレスからは、いくらか解放されることになりました。

「一発失格」のルールはいまだに細部が流動的で、「これがベスト」と言える形には治まっていないように思えます。
スプリンターたちは「ただ一度」のスタートのためにいっそうナーバスになり、運営側もまた同様です。先日の日本選手権・女子100m決勝で、一人の不正スタートもなかったにも関わらず、スタートが3回もやり直しされるというようなケースも発生しており、「今のは“警告”か“失格”か、それとも“お咎めなし”か?」の判定に時間がかかることなどもあって、まだまだ理想の形には至っていないと言わざるを得ません。

ただ、「戦術的なフライングが1度は許される」という従来のスプリンターが持っていた考え方は、駆逐することができたのではないでしょうか。先駆けて「一発失格」を取り入れた競泳の例を見るまでもなく、「スタートとはそういうものであり、失格は不正スタートに対する当然のペナルティだ」という考え方さえ定着すれば、何の問題もなく受け入れられていくだろうと思うのです。
あとは、「まさかのフライング」をしてしまわないよう、選手個々がより一層スタートの技術と反応を磨き上げること、そして全員の選手にいいスタートをさせるためにスターターや競技進行を司る役員も技術をより高めること、そしてスタジアムで観戦する観客も、トラック競技スタートの時間には静寂を心掛けるよう協力すること、です。近い将来に、競泳会場がそうであるように、「On your marks!」(競泳では「Take your marks」)のコールとともに数万人の観客が静まり返る、という光景が当たり前のものになってほしいものです。

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◆(余談)
本当に0.1秒未満での反応はないのか?
先に、「計時装置は合図から0.1秒未満での動作開始を検知した時は自動的にフライングを報せる」というようなことを書きました。これは、生理学的に確実と思われる人間の反応時間の限界をもとに、ある程度の余裕をとって設定した数値だと思われます。現時点では、どんなに速い反応を示した人でも0.12秒程度、これ以上速い場合は、反則にはならないものの「一発引っ掛けた」可能性が高いと思われます。
けれども、素人考えではこうも思われます。「本当に、人間が0.1秒未満で反応することはあり得ないのだろうか?」
100mを10秒を切るタイムで走破する、ということ自体が一般人にとっては「信じられないような超人の領域」なのですが、その上にスタートでピストルの音を聴いてから0.1秒未満のうちにスタートを開始できる「超人」がいたって、おかしくないのじゃないか?……という疑問です。

これはまったく私の個人的見解なのですが、過去に1回だけ、その奇跡を遂げた「超人」がいたのではないか、という「疑い」を持っています。その「超人」は、誰あろう1988年ソウル五輪で男子100mにいったんは「優勝」しながら、筋肉増強剤によるドーピング違反が発覚して成績を没収された、あのベン・ジョンソン(CAN)です。
ソウル五輪の男子100m準決勝で、ジョンソンは1度フライングを犯しました(当時のルールでは即失格ではありません)が、本人は驚いたような呆れたような表情で「冗談言うなよ!」といった仕草をしてみせました。この時のフライングは、一見正常なスタートが切られたかのように見えながら計時装置がジョンソンのスタート反応を「0.1秒未満」と検知してリコール音を鳴らしたもので、彼自身には嘘偽りなく「自覚」がなかったようなのです。結局渋々ながらも再スタートに応じたジョンソンは、今度も素晴らしいスタートを切って楽々と決勝進出を決めました。

この大会でのジョンソンは、「ベン・ジョンソン、筋肉のカタマリ!」という実況フレーズが有名になったほど、上半身・下半身ともに鎧のような筋肉に覆われ、まさに短距離走者として究極の肉体を誇示しているように見受けられました。後になってそれがドーピングの恩恵であったことが明らかになるのですが、そうして研ぎ澄まされた肉体はまた、針のように鋭く繊細な集中力をもたらしており、その結果が通常ではあり得ない「0.1秒未満の反応時間」を実現してしまったのではないか、という気がするのです。
もしそれがそのとおりだったとしても、ドーピング違反を犯していた以上はやはり通常ならばあり得なかったことになり、そこで「真実」を探ることは無意味ということになるでしょう。ただ、今後人間が今以上の鍛錬によって反応時間を短縮することができないとは言い切れないのでは?…という疑問は残ります。(あくまでも素人考えとして、ですよ)
そうなった時、あるいはその「聖域」が脅かされるようなデータが出るようになった時に、再びこの「0.1秒」が論議される時代が来ないとも限らない……まあ、これもファンとしての一つの「夢」ではありますね。

 

IAAF、ついにロシアをシャットアウト

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(日刊スポーツWEBサイトより)
 

今や陸上強国とは言い難いながら、それでも有力選手・人気選手を数多く抱えるロシアが、とうとう陸上競技チームとしてはリオ・オリンピックに出場できないことになってしまいました。
ちょっと思い浮かべるだけでも、女子PVのエレーナ・イシンバエワをはじめ、HJのアンナ・チチェロワにマリア・クチナ、110mHのセルゲイ・シュベンコフ、男子LJのアレクサンドル・メンコフといったタイトル・ホルダー、そしていつのオリンピックでも好選手を輩出する女子の中距離やロングスプリント、マイルリレー、男子投擲種目・・・さらにはトップ選手がすでに当事者として処分されているものの、すぐに巻き返せるだけの選手層を持っているはずの男女競歩や女子マラソン。
「潔白な選手に限って出場を認める救済策を…」云々の成り行きが気になりますが、まずは今年のDLシリーズでも続いているロシア不在の状況は、リオでも変わらずということになりそうです。 

もちろんドーピングは、ロシアだけの問題ではなく、陸上競技だけの問題でもありません。
最近の情報にも、見苦しい言い訳や嘆願を続けるマリア・シャラポア(テニス)やパク・テファン(競泳)の動向、あるいは長距離王国ケニアの監視体制の緩さが依然として問題になっていたり、ジャマイカの一部選手の失格が確実になったなどの話題もあります。 

陸上競技に限って言えば、初めて金メダルを剥奪されたことで歴史にその名を残すこととなったベン・ジョンソン(CAN)の”活躍”した時期は、まさに暗黒史の幕開け時代だったと言えます。
IAAFのレコードブックには、おそらくドーピングの、それも国家ぐるみ・地域ぐるみの組織的ドーピングの成果であろうという心証を世界中の関係者が持っているにも関わらず、いまだに「世界記録」として刻まれ続けているものがいくつもあります。
男子円盤投・ハンマー投・女子400m・800m・4×400mR・砲丸投・円盤投・・・これらはいずれも、1980年代中盤からベルリンの壁が崩壊する1989年までの間に、ソ連または東ドイツなど東欧圏の選手によって樹立されたものです。この時期のこれらの種目に関しては、世界記録以外でも多くの記録がいまだに歴代ランキングの上位を占めていることからも、主としてパワー系種目における東欧諸国の選手によるパフォーマンスが突出していた事実は、当時を知る誰もが認めています。 

他に、最近具体的な証言が出てきつつあるという90年代前半の中国女子中長距離「馬軍団」による合法(あくまでも当時の基準で)ドーピング疑惑。1500mの世界記録は昨年22年ぶりに破られましたが、10000mのワン・ジュンシャの29分31秒78という記録は、当分近づくことすらできそうにありません。
フローレンス・グリフィス・ジョイナー(USA)による短距離2種目の世界記録も、あまりに突出していることと結果的にごく短い期間でのパフォーマンスだったことなど、疑惑を口にする人が今でも絶えません。本人が若くして亡くなっていることも、疑惑の根拠となると同時に、解明のチャンスが失われたことを意味する、と言われています。
保存された検体などの物的証拠が残っていないために、そうした証言が精査され事実と認定されない限りはこのまま闇の中ということにもなりそうですが、数々の「疑惑の世界記録」が公式に認められていることは、確かです。 

2000年をまたいで自転車の『ツール・ド・フランス』に総合7連覇の偉業を刻んだかに見えたランス・アームストロング(USA)は、ツール撤退後に別の違反選手による証言がきっかけとなってドーピングの状況証拠が固められ、最終的には「自白」によって全ての成績を抹消される、という処分に至りました。
つまり、物的証拠がなくても「バレる」可能性はあることを示した点に意義はあるのですが、あくまでも自転車競技という、伝統的にドーピングに対するモラルが低く、また陸上競技などに比べれば狭い世界での出来事で、結果を見れば「バレるべくしてバレた」という印象を持ったものです。

自転車競技に関連して、近藤史恵・著『エデン』 (新潮文庫)という、自転車のロードレースを題材にした小説のことを思い出しました。
ここには、「なぜドーピングが後を絶たないのか」という疑問に対するヒントとなるようなくだりが出てきます。
「今度のやつは、絶対にバレないよ」
という”悪魔の囁き”が、常にアスリートたちを追いかけ回している、という状況です。
これだけ多くのトップ・アスリートが汚名にまみれながら、なおも一向にドーピング禍が収束する気配を見せないのは、現実に不正を隠しおおせている事実がまだまだ存在し、そのことを何かの機会で知るアスリートが「バレなければ不正ではない」とばかりに追従するからではないか、と考えさせられます。

日本人的な感覚では、「悪いことして、もしバレたら大変」という意識が先行しますから、そういう感覚はなかなか理解しにくいところです。しかし、モラルだとかスポーツマンシップだとかの意識が薄い環境で育ってきたアスリート、あるいは自分の属する組織の意向に従う社会環境のもとにスポーツに取り組んできた者にとって、「バレそうにない不正と引き換えの栄光と富」の誘惑は、尋常ならざるものであるに違いありません。
ランスのケースなど、もし調査が一歩甘ければ、私たちファンが永久に騙され続けていた可能性も十分にあったのです。(むしろそのほうが、ファンの気持ちとしては幸せだったでしょうが…)それを受けて、「今度はバレない」と考える輩が出てくるのは、なかなか止められません。

公正に競わないスポーツに意味はないし、勝ち負けにスポーツの全ての意義があるわけでもありません。
その価値観を共有するだけで、多くの人々を失望させるような事態を未然に防ぐことは可能だろう、と思う反面、「悪魔の囁き」を仕掛けてくる闇の力は、思いのほか強大なものなのかもしれません。


 
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