ドロドロとした国際情勢の犠牲となって、前モスクワ大会の意趣返しとしか見えないソヴィエト連邦をはじめとする東欧諸国のボイコットにより、オリンピックはみたび「四輪」での開催となってしまいました。
それでも、アメリカならではの活気と明るさに満ちた開会式は、そうした暗澹としたムードを払拭して、少なくとも私たち日本人は久々のオリンピックを堪能することができたのです。007も愛用した(?)人間ロケット装置で満場の度肝を抜き、リック・バーチが初めて総合演出を手掛けた「音楽で綴るアメリカ史」の壮大なアトラクション、ジョン・ウィリアムズがタクトを振るった有名なテーマ・ミュージック、台詞を忘れてしまったエドウィン・モーゼスのご愛敬などが、非常に印象的でした。
また、辣腕のビジネスマン、ピーター・ユベロスが組織委員長を務めたことで、大会は一大商業イベントとしての成功をおさめ、オリンピックは純粋なアマチュア・スポーツの祭典からの脱皮を果たします。より高レヴェルなスポーツの頂点を競うものになる一方で、金と利権が渦巻く魑魅魍魎の催しとなっていくきっかけとなったのが、このロス大会だったのです。

陸上界ではこの前年に初めての世界選手権がヘルシンキで開催され、「オリンピックのメイン競技」から「世界が注目するメジャー・スポーツ」への発展へと踏み出しました。その象徴的存在となったのが、この大会でジェシー・オーエンス以来の4冠を達成したカール・ルイスでした。


◆各種目の金メダリストと日本選手の成績
<男子>
   100m カール・ルイス(USA) 9"99 ※不破弘樹:2次予選
   200m  カール・ルイス(USA) 19"80(OR) ※不破弘樹:1次予選
   400m アロンゾ・バーバーズ(USA) 44"27 ※高野進:準決勝
   800m ヨアキム・クルス(BRA) 1'43"00(OR)
  1500m セバスチャン・コー(GBR) 3'32"53(OR)
  5000m サイド・アウィータ(MAR) 13'05"59(OR)
 10000m アルベルト・コヴァ(ITA) 27'47"54 ※金井豊:7位入賞 新宅雅也:決勝16位
 110mH ロジャー・キングダム(USA) 13"20
 400mH エドウィン・モーゼス(USA) 47"75 ※吉田良一:準決勝 大森重宣:予選
 3000mSC ジュリアス・コリル(KEN) 8'11"80
 4×100mR アメリカ 37"83(WR)
 4×400mR アメリカ 2'57"91 ※日本:予選
 マラソン カルロス・ロペス(POR) 2:09'21"(OR) 
宗猛:4位入賞 瀬古利彦:14位 宗茂:17位
 20kmW エルネスト・カント(MEX) 1:23'13"(OR)
 50kmW ラウル・ゴンザレス(MEX) 3:47'26"(OR)
 HJ ディートマル・メーゲンブルク(GER) 2m35 ※阪本孝男:予選
 PV ピエール・キノン(FRA) 5m75 ※高橋卓巳:決勝NM
 LJ カール・ルイス(USA) 8m54 ※臼井淳一:7位入賞
 TJ アル・ジョイナー(USA) 17m26 ※植田恭史:予選
 SP アレサンドロ・アンドレイ(ITA) 21m26
 DT ロルフ・ダンネベルク(GER) 66m60
 HT ユーハ・ティアイネン(FIN) 78m08 ※室伏重信:予選
 JT アルト・ハエルコーネン(FIN) 86m76 ※吉田雅美:5位入賞 溝口和洋:予選
 DEC デイリー・トンプソン(GBR) 8798p.(=WR/OR)


<女子>
   100m エヴェリン・アシュフォード(USA) 10"97(OR)
   200m  ヴァレリー・ブリスコ-フックス(USA) 21"81(OR)
   400m ヴァレリー・ブリスコ-フックス(USA) 48"83(OR)
   800m ドイナ・メリンテ(ROU) 1'57"60
 1500m ガブリエラ・ドリオ(ITA) 4'03"25
 3000m マリチカ・プイカ(ROU) 8'35"96(新種目)
 100mH ベニータ・フィッツジェラルド(USA) 12"84
 400mH ナワル・エル・ムタワケル(MAR) 54"61(新種目)
 4×100mR アメリカ 41"65
 4×400mR アメリカ 3'18"29
 マラソン ジョーン・ベノイトUSA) 2:24'52"(新種目)※佐々木七恵:19位 増田明美:DNF
  HJ ウルリケ・マイファルト(GER) 2m02(OR) ※福光久代・佐藤恵:予選
  LJ アニソアラ・スタンチウ(ROU)  6m96
  SP クラウディア・ロッシュ(GER) 20m48
  DT リア・スタルマン(NED) 65m36
  JT テッサ・サンダーソン(GBR) 69m56(OR)※松井江美・森実乃里:予選
  HEP グリニス・ヌン(AUS) 6390p.(五種競技から変更)


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◆ルイス伝説が始まった
1983年5月に、メキシコシティのような高地ではない場所で人類初めての電子計時9秒台となる9秒97を記録したカール・ルイス(当時22歳)は、その年の8月にヘルシンキで初開催された世界選手権で、100m・走幅跳・400mリレーの3種目に優勝し、オリンピックでは200mを含めた4冠への挑戦を宣言、どの種目も圧倒的な強さで易々とこれを達成しました。
4年後のソウル大会でも4種目の連覇を狙いましたが、200mで2位に敗れ400mRは準決勝でチームが失格したため2冠に終わりました。100mの優勝も、ドーピングで失格になったとはいえベン・ジョンソンに完敗する屈辱の後に転がり込んできたもので、不完全燃焼の感がありましたが、その後も長く現役生活を続け、最終的にはオリンピックで金9(当時全競技を通じ最多タイ)・銀1、世界選手権では金8・銀銅各1のメダルを獲得しています。

ルイスの特徴は、スプリントでもジャンプでも、非常にバランスの取れた軽やかで美しいフォームを見せてくれたことではないかと思います。そのため成績は常に安定しており、フィジカルさえ万全ならば他の追従を許さないという安心感がありました。
スプリントでは後半にスピードが落ちない、途中からグングンと他を引き離すタイプ。またジャンプでは、踏切板にピタリと足を載せてくるテクニックと華麗なシザース・フォームで魅了しました。LJでは滅多にファウルをしませんでしたが、実測9mを大きく超えていたと言われる痛恨のジャスト・ファウルがあったことは有名です。

とりわけ強さを発揮した走幅跳では、一時期65連勝という無敵の時代を築き上げました。連勝が始まってから66試合目の、しかも8m87(追風参考8m91)という生涯PBをマークした1991年東京世界選手権で、同僚マイク・パウエルの8m95に苦杯を舐めたのは、あまりにも皮肉でした。
35歳で迎えたアトランタ大会で、明らかにスプリント力の衰えていたルイスは3回目に渾身の8m50を叩き出してオリンピック4連覇を達成します。陸上競技では円盤投のアル・オーター以来2人目、全競技を通じても他にはセーリングのパウル・エルブストローム(DEN)しかいないという大記録、そのすべてが8m50以上という内容の濃い連覇でした。
「20世紀最高の陸上競技選手」を選定するとしたら、おそらくトップ3には確実に推される、真に偉大なアスリートでした。


◆ジョイナー一家登場!
男子三段跳ではアル・ジョイナーが優勝。女子の新種目・七種競技では、妹のジャッキー・ジョイナーが銀メダルを獲得しています。
女子200mで銀メダリストになったフローレンス・グリフィスはその後アルと結婚し、4年後のソウルで主演女優役を務めるフローレンス・グリフィス-ジョイナーとなります。ちなみにこの大会では蜘蛛の脚のように長く伸ばした爪がクローズアップされ、予選では宇宙人のような全身スーツ・スタイルで登場するなど、早くもファッション・リーダーの片鱗を見せています。
ジャッキーもソウルではLJと七種の2冠に輝き、92年バルセロナでは七種を連覇、世界選手権でも通算4個の金メダルを獲得、「クィーン・オブ・アスリート」の名を獲得することになります。



◆熾烈なオンナの戦い

今大会には、女子に3000m・マラソンという新種目が追加されました。かつて「800m以上の競走は女子には無理」と言われ、戦後1952年大会までの最長距離が200mだったことを思うと、隔世の感がありました。
女子マラソンでは、勝ったベノイトよりも脱水症状でフラフラの状態になりながら、大観衆の見守るトラックを懸命に歩ききったガブリエラ・アンデルセン(SUI)の話題で持ち切りとなりましたが、私はどうもこの手のお話が好きではありません。アンデルセン選手の壮絶なまでの精神力は確かに賞賛と感動に値するものだとは思いますが、間違いなくそれ以上の努力をした勝者やメダリストそっちのけで“感動話”が独り歩きするのは、スポーツ競技に対する正しい接し方とは思えないのです。
まあ、これは世間一般の感じ方ではないでしょうから、この辺で…。

3000mでは、前年の世界選手権で1500mと3000mの2冠を、いずれも終始フロントランナーのまま獲得していた美人選手メアリー・デッカー=スレイニーに、地元の大きな期待が集まっていました。
同時に、南アフリカ(アパルトヘイト政策のため当時はIOC加盟できず)からイギリスに国籍変更してきた17歳のゾーラ・バッドが、裸足で走った5000mで当時の世界記録を破った(南アフリカ国籍当時のため認定されず)ことで俄かに注目され、激しいデッドヒートが予想されていました。

レースは例によってデッカーが速いペースで先頭を引っ張り、バッドがピタリと張り付きます。1300mあたりでデッカーはペースを落としてバッドを前に出させようという動きを見せますが、戦況は変わらず。しかし中盤でいよいよバッドが外側から抜きにかかり、これをデッカーが内から抜き返そうとした際に両者の脚が接触しました。バランスを崩して進路を塞ぐ形になったバッドに再度脚をからませたデッカーが転倒してインフィールドに倒れ込み、そのままDNFとなってしまいました。先頭に立ったバッドも大観衆の罵声を浴びせかけられて戦意を喪失したか、あるいはスパイクを履かない足に何らかのダメージを負っていたのか、終盤ズルズルと後退して結局7位。
横たわったまま苦悶の表情で泣き叫ぶデッカーの傍らには、倒れる際に
バッドの背中から引きちぎられたナンバーカードが落ちており、女の戦いの凄まじさを物語っていました。


◆マラソン最強トリオ散る

76年モントリオールで惨敗し、前回モスクワでは金メダル候補の瀬古利彦、宗兄弟という最強のメンバーを選出しながら参加できなかった日本マラソン・チームが、「今度こそは」とまったく同じ代表トリオをロスに送り込みました。
モスクワ以降、一時期故障によるブランクはありながら、80年福岡ではオリンピック2連覇のチェルピンスキーを一蹴し、81年ボストン、83年東京国際、オリンピック選考会となった同年福岡と、必殺のスパートで連勝を重ねる瀬古には死角がないと日本国内では期待が高まり、常にこれと好勝負を繰り広げる宗兄弟との表彰台独占という声すら上がりました。
ライヴァルと目されたのは、81年の福岡で世界歴代2位(後に1位の距離不足が判明し世界最高記録と認定される)を出し、83年世界選手権で優勝したロバート・ドキャステラ(AUS)。瀬古との直接対決がない彼を候補筆頭に推す声も海外には強くありました。その他の強豪選手、たとえばアメリカのアルベルト・サラザール(取り消されるまで世界最高記録保持者とされる)やロドルフォ・ゴメス(MEX)、ジュマ・イカンガー(TAN)などは、既に瀬古との勝負付けが済んでいる、という評価でした。

夕方5時にスタートしたレースは、比較的大きな集団からポロポロと少しずつ選手が離脱していくサバイバル戦の様相となり、まず宗茂が、そして30km過ぎにドキャステラが遅れていき、見守る日本人は「もう集団に強敵はいない」と瀬古の勝利を確信しました。ところがその瀬古も、35㎞目前でさほど苦しそうではないのに集団から取り残され、日本マラソン界の悲願は一瞬にして潰えてしまったのです。意外な脱落を招いたのは、選考会以降休むことのなかった、またレース直前に猛暑の日本で走り続けたオーヴァーワークによる体調不良でした。
終盤を迎えて急速にペースアップした集団には最後まで宗猛が食らいついていましたが、モスクワの10000mで銀メダリストになったスピードランナー、37歳のカルロス・ロペスがスパートすると、遂にメダル圏外に追い落とされてしまいました。

1着ロペス、2着ジョン・トレーシー(IRL)、3着チャールズ・スペディング(GBR)はいずれも下馬評にのぼらなかった大穴選手たちとはいえ、優勝タイムの2時間9分12秒(OR)は真夏のレースとしては破格のもので、仮に瀬古の体調が万全だったとしても最後の競り合いにまでついていけたかどうかは、疑問です。
ロペスはこの翌年に2時間7分12秒の世界最高記録を出し、瀬古・ドキャステラに代わるマラソン世界一の実力を証明して見せました。