日本にとって、敗戦直後の48年ロンドンオリンピック以来、唯一選手団を送ることのできなかった痛恨の大会として知られますが、もう一つ大きな出来事として、テレビ朝日による1社独占放映権の獲得という椿事がありました。
従来、そしてこれ以降も、オリンピックの中継放送はNHKと民放各局が共同制作・編成にあたる「ジャパンコンソーシャム」(当時は「ジャパンプール」)によって行われているのですが、この大会に限り、ちょうど1977年に日本教育テレビ(NET)から全国朝日放送(テレビ朝日)への改称・改組を行ったその記念事業として、テレビ朝日が前大会の6倍以上もの金額で放映権を落札したのです。
結果的に、莫大な放映権料の代償は、日本選手の出場しない、一般の視聴者にとっては何の魅力もない番組ということになってしまいました。またこの時の“実績”が仇となって、以後のオリンピック放映権料が天井知らずの高騰を続けていくきっかけともなったことは、オリンピックの商業化の促進とも相まって、大きな影響を残すこととなりました。

とにかく、アメリカをはじめ日本、西ドイツ、カナダ、ケニア、中国(前年にIOC加盟を果たし初参加が予定されていた)、韓国など約50か国が参加を見合わせ、イギリスなども政府の承認を得られずNOC独自の参加という立場のため国旗や国歌を使用しないという、なんとも異形の大会となったモスクワ・オリンピック。
勢い私自身も、大学生活を謳歌する遊び盛りの時期だったこともあり、この大会のTV中継はあまり見ていません。それでも大好きな陸上競技だけは、経験の浅いテレビ朝日の拙い実況などにいちいちツッコミを入れたりしながら、深夜の録画放送に見入っていました。


◆各種目の金メダリストと、“幻の”日本代表選手
*URS=ソヴィエト連邦 GDR=東ドイツ

<男子>
   100m アラン・ウェルズ(GBR) 10"25
   200m  ピエトロ・メンネア(ITA) 20"19 ※豊田敏夫
   400m ヴィクトル・マルキン(URS) 44"60
   800m スティーヴ・オヴェット(GBR) 1'45"40
  1500m セバスチャン・コー(GBR) 3'38"40
  5000m ミルツ・イフター(ETH) 13'20"91 ※喜多秀喜、森口達也
 10000m ミルツ・イフター(ETH) 27'42"69 ※喜多秀喜、伊藤国光、中村孝生
 110mH トーマス・ムンケルト(GDR) 13"39
 400mH フォルケル・ベック(GDR) 48"70 ※長尾隆史
 3000mSC ブロニスラウ・マリノウスキー(POL) 8'09"70 ※新宅雅也
 4×100mR ソヴィエト連邦 38"26
 4×400mR ソヴィエト連邦 3'01"08
 マラソン ワルデマール・チェルピンスキー(GDR) 2:11'03"
※瀬古利彦、宗茂、宗猛
 20kmW マウリツィオ・ダミラノ(ITA) 1:23'35"5(OR)
 50kmW ハルトヴィヒ・ガウデル(GDR) 3:49'24"(OR)
 HJ ゲルト・ヴェッシク(POL) 2m36(WR) ※片峰隆、阪本孝男
 PV ウラディスラウ・コザキエヴィッチ(POL) 5m78(WR) ※高橋卓巳
 LJ ルッツ・ドンブロウスキー(GDR) 8m54 ※臼井淳一、吉本敏寿
 TJ ヤチェク・ウドミュー(URS) 17m35
 SP ウラディミール・キセリョフ(URS) 21m35(OR)
 DT ヴィクトル・ラシュチュプキン(URS) 66m64
 HT ユーリ・セディフ(URS) 81m80(WR)※室伏重信
 JT ダイニス・クーラ(URS) 91m20
 DEC デイリー・トンプソン(GBR) 8495p.

  

<女子>
   100m リュドミラ・コンドラチェワ(URS) 11"06
   200m  ベーベル・ヴェッケル(GDR) 22"03(OR)
   400m マリタ・コッホ(GDR) 48"88(OR)
   800m ナゼジダ・オリザレンコ(URS) 1'53"43(WR)
 1500m タチアナ・カザンキナ(URS) 3'56"56(OR)
 100mH ヴェラ・コミソワ(URS) 12"56(OR)
 4×100mRドイツ 41"60(WR)
 4×400mR ソヴィエト連邦 3'20"12
  HJ サラ・シメオニ(ITA) 1m97(OR) ※八木たまみ
  LJ タチアナ・コルパコワ(URS)  7m06(OR)
  SP イローナ・スルピアネク(GDR) 22m41(OR)
  DT エヴェリン・ヤール(GDR) 69m96(OR)
  JT マリア・コロン(CUB) 68m40(OR) ※松井江美
  PEN ナゼジダ・トカチェンコ(URS) 5083p.(WR)


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◆コーとオヴェット…史上最強のライヴァル対決
男子のトラック種目はアメリカ、ケニアなどの不在がもろに影響してか、全般に記録は低調でした。フィールド種目では好記録が続出し、また女子では多くの種目でオリンピック記録が塗り替えられたのとは対照的です。
男子100mは、イギリスのアラン・ウェルズがキューバのレナードとの同タイム接戦を制しました。ウェルズは現時点では白人選手として最後の男子100mチャンピオン…それどころか次の大会以降、非黒人選手はただの一人として決勝進出すらしていません。

しかし、この大会にはボイコット諸国の動向に関係なく、世界中の注目を集めるレースがありました。中距離界の話題を独占してきた2人のイギリス人ライヴァル、セバスチャン・コーとスティーヴ・オヴェットの対決です。

2人が頭角を顕し始めたのは1977年頃のことで、78年には主に800mで、激しく英国記録を塗り替え合うことになります。ジュニア時代の72年にクロスカントリー大会で一度対戦があったきりの2人は、この年のヨーロッパ選手権であいまみえ、コーから英国記録保持者の座を奪ったオヴェットが先着しますが、優勝は東ドイツの選手にさらわれてしまいます。
翌79年はコーの年となり、1日で800m(1分42秒33)、1マイル(3分48秒95)と2つの世界記録を更新すると、その40日後には1500mでも世界新記録(3分32秒03)を叩き出し、さらに翌年には1000mでも世界新(2分13秒40)を出して、同時に4種目の世界記録保持者となります。
するとオヴェットは、コーの1000m世界新の直後に1マイルで3分48秒8とコーの記録を破ると、1500mでも3分32秒09(レコードブック上は両者ともに3分32秒1のタイ記録)と記録を上げ、両者のつばぜり合いは収まることがありません。
800mはともかく、1500mと1マイルでのオヴェットはこの間の2年以上無敗で、44連勝を続けてきているのです。
しかも、78年のレース以来、両者は一度も同じレースで競い合ったことがありません。78年のレース中にあったちょっとした接触トラブルをもとにマスコミはその険悪な不仲を喧伝し、レース予想の唯一の拠り所である両者のデータを並べてライヴァル物語に拍車をかけていきました。

いよいよオリンピックが幕を開け、まずは800m。オヴェットにとっては絶対的な自信のある1500mへ向けての小手調べのようなものでしたが、決勝のレースは極端なスローペースになり、オヴェットは中団、コーは後方からレースを進めます。鐘が鳴って始まったスパート合戦で先にいいポジションをとったオヴェットが、上昇に手間取ったコーに差を詰めさせず、逃げ切りました。コーは「人生最悪の戦術だった」と悔しがったのも後の祭り、後がなくなって1500mで“無敵”のオヴェットを破るしかありません。

やはり超スローペースで推移した1500mで今度はコーが終始先頭の横にピタリとつけ、オヴェットはそのコーをマーク。
オヴェットとしては1500mは渡さないという自信過剰が災いしたのでしょうか、徐々に上がるペースの中でコーを捕まえにいくタイミングを失い、直線で先頭のシュトラウプ(GDR)を交わしたコーがそのまま逃げ切りました。オヴェットは絶妙のペースで逃げたシュトラウプを捉えきれずに3着。
 
2人はその後も世界新合戦を続けますが、4年後のロサンゼルス・オリンピックでは、800m決勝でブラジルのヨアキム・クルスに金メダルをさらわれ、コーは銀メダル、明らかにピークを過ぎていたオヴェットは最下位に敗れました。犬猿の仲を噂された2人がレース後、肩を並べて何事かを語らい合いながらトラックを去っていく姿が非常に印象的でした。1500mではコーが連覇を達成して面目を保ちましたが、オヴェットは決勝で「勝てない」と見るや、レースを放棄してしまいました。
セバスチャン・コーが2012年ロンドン・オリンピックの組織委員長を務め、現在IAAF会長のポストに就いていることは、ご存じのとおりです。