豊大先生流・陸上競技のミカタ

陸上競技を見続けて半世紀。「かけっこ」をこよなく愛するオヤジの長文日記です。 (2016年6月9日開設)

スターティングブロック

<連載>100m競走を語ろう ⑧~フライングのルール変遷史・後篇



◆「一発失格」の波紋

2009年にIAAFによって制定された「一度でも不正スタートをした選手は競争から除外」というルールは、大きな論議を巻き起こしました。トップ選手から中学校・高校の部活レベルに至るまで、現役アスリートに与えた衝撃は大変なものでした。
それほどに、「1回は許されるフライング」という認識が短距離走に浸透しきっており、常習的に故意のフライングを続けてきた人、そうした行為や状況への対処に心を砕いてきた人にしてみれば、「短距離走の一要素が全否定された」というくらいの心持ちになったのでしょう。

従来どおり、微細な筋肉の動きでもスタブロが検知すればアウトなのか、完全な静寂を期待できない陸上競技場で他の物音などに反応してしまった場合はどうなるのか、隣の選手が動いたのにつられた場合も同罪なのか……さまざまな“想定論”が取り交わされましたが、そもそも「不正スタート」ということに対する考え方の甘さが、このような議論を巻き起こしたのだと私は思っています。
スプリンターの中には長い選手生活の中で「一度もフライングなどしたことがない」という人が少なからずいるはずで、それは「ピストルの音を聞いてからスタートする、ただそれだけのこと」を真摯に実践してきた者は、よほど運悪く何か別の音や動きに反応してしまった場合はともかく、集中力を高めスタートの技術と反応に磨きをかけてきた結果、そういうスプリンターとして当たり前の資質を身に着けているに違いないと思われるからです。
それまで「フライングをしても構わない」とか「仕方ない」と考えてきたスプリンターは、「絶対にフライングをしない」技術を磨くという新たな短距離走の一要素に取り組む、そういう新しい時代になったというだけのことだ、と思ったわけです。

もう一つ。
短距離走を「観る」側からしますと、フライングの繰り返しによってレースが冗長になることは大いに観戦の妨げになっていたのですが、今度はレースの重要な登場人物である選手の誰かが、いとも簡単に戦わずしてレーンを去っていくという可能性が高まることが懸念されました。新ルールが本格的に導入された2010年から、それはしばしば「現実」となって、そのレースに多くの時間と努力を傾けてきたであろう、そして時には海を超えてはるばると1つのレースだけのためにやって来た選手が、たった1回の過ちで無情にも退去させられる光景に、当事者のみならず観る者もまた心を痛めることになったのです。

そして遂に、世界中の陸上ファンは「最悪の事態」を目の当たりにします。
2011年のテグ世界選手権・男子100m決勝で、連覇がかかっていた陸上界最高のスター選手、「人類最速の男」ウサイン・ボルト(JAM)が失格となった時、全世界が深い溜め息とともに一瞬、「なんでこんなルールにしたんだ?」とやり場のない思いを抱いたのです。
けれども、ボルトには申し訳ないですが、しばし後になって私はこうも思いました。
あのボルトでさえ、このルールのもとでは問答無用に失格になる。それは、スタートに対する修練と集中が未熟だったことへの代償として、当然のことと考えなければならない。当のボルトは、未練はあっただろうが潔くレーンを立ち去った。それは100%、未熟な自分の過失だと承知していたからだろう。悪いのはスタートへの集中をどれほど大切にしなければならないかを甘く見ていた自分に他ならないと、ボルトは瞬時に理解したに違いない……この出来事を糧として、100m競走のスタートは良い方向に変わっていくに違いない、と。

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自身のフライングを瞬時に自覚し、天を仰いだU.ボルト。この後すぐにユニフォームを脱ぎ捨てました。(2011年IAAF世界選手権)



◆現状…まだ課題は多いけど

2013年、ルールに微修正が加えられ、微細な体の動きなど「スタート動作とはならない」と見なされたケースについては、たとえ機械が検知してリコール音が鳴らされたとしても「不正スタート」とはならず、ただ「紛らわしい動き」「正常なスタート完了を妨げた行為」として「警告」に留める、というようになりました。「警告」は2回重ねると「失格」になりますが、選手は意図しない細かい動きにまで神経を配るストレスからは、いくらか解放されることになりました。

「一発失格」のルールはいまだに細部が流動的で、「これがベスト」と言える形には治まっていないように思えます。
スプリンターたちは「ただ一度」のスタートのためにいっそうナーバスになり、運営側もまた同様です。先日の日本選手権・女子100m決勝で、一人の不正スタートもなかったにも関わらず、スタートが3回もやり直しされるというようなケースも発生しており、「今のは“警告”か“失格”か、それとも“お咎めなし”か?」の判定に時間がかかることなどもあって、まだまだ理想の形には至っていないと言わざるを得ません。

ただ、「戦術的なフライングが1度は許される」という従来のスプリンターが持っていた考え方は、駆逐することができたのではないでしょうか。先駆けて「一発失格」を取り入れた競泳の例を見るまでもなく、「スタートとはそういうものであり、失格は不正スタートに対する当然のペナルティだ」という考え方さえ定着すれば、何の問題もなく受け入れられていくだろうと思うのです。
あとは、「まさかのフライング」をしてしまわないよう、選手個々がより一層スタートの技術と反応を磨き上げること、そして全員の選手にいいスタートをさせるためにスターターや競技進行を司る役員も技術をより高めること、そしてスタジアムで観戦する観客も、トラック競技スタートの時間には静寂を心掛けるよう協力すること、です。近い将来に、競泳会場がそうであるように、「On your marks!」(競泳では「Take your marks」)のコールとともに数万人の観客が静まり返る、という光景が当たり前のものになってほしいものです。

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◆(余談)
本当に0.1秒未満での反応はないのか?
先に、「計時装置は合図から0.1秒未満での動作開始を検知した時は自動的にフライングを報せる」というようなことを書きました。これは、生理学的に確実と思われる人間の反応時間の限界をもとに、ある程度の余裕をとって設定した数値だと思われます。現時点では、どんなに速い反応を示した人でも0.12秒程度、これ以上速い場合は、反則にはならないものの「一発引っ掛けた」可能性が高いと思われます。
けれども、素人考えではこうも思われます。「本当に、人間が0.1秒未満で反応することはあり得ないのだろうか?」
100mを10秒を切るタイムで走破する、ということ自体が一般人にとっては「信じられないような超人の領域」なのですが、その上にスタートでピストルの音を聴いてから0.1秒未満のうちにスタートを開始できる「超人」がいたって、おかしくないのじゃないか?……という疑問です。

これはまったく私の個人的見解なのですが、過去に1回だけ、その奇跡を遂げた「超人」がいたのではないか、という「疑い」を持っています。その「超人」は、誰あろう1988年ソウル五輪で男子100mにいったんは「優勝」しながら、筋肉増強剤によるドーピング違反が発覚して成績を没収された、あのベン・ジョンソン(CAN)です。
ソウル五輪の男子100m準決勝で、ジョンソンは1度フライングを犯しました(当時のルールでは即失格ではありません)が、本人は驚いたような呆れたような表情で「冗談言うなよ!」といった仕草をしてみせました。この時のフライングは、一見正常なスタートが切られたかのように見えながら計時装置がジョンソンのスタート反応を「0.1秒未満」と検知してリコール音を鳴らしたもので、彼自身には嘘偽りなく「自覚」がなかったようなのです。結局渋々ながらも再スタートに応じたジョンソンは、今度も素晴らしいスタートを切って楽々と決勝進出を決めました。

この大会でのジョンソンは、「ベン・ジョンソン、筋肉のカタマリ!」という実況フレーズが有名になったほど、上半身・下半身ともに鎧のような筋肉に覆われ、まさに短距離走者として究極の肉体を誇示しているように見受けられました。後になってそれがドーピングの恩恵であったことが明らかになるのですが、そうして研ぎ澄まされた肉体はまた、針のように鋭く繊細な集中力をもたらしており、その結果が通常ではあり得ない「0.1秒未満の反応時間」を実現してしまったのではないか、という気がするのです。
もしそれがそのとおりだったとしても、ドーピング違反を犯していた以上はやはり通常ならばあり得なかったことになり、そこで「真実」を探ることは無意味ということになるでしょう。ただ、今後人間が今以上の鍛錬によって反応時間を短縮することができないとは言い切れないのでは?…という疑問は残ります。(あくまでも素人考えとして、ですよ)
そうなった時、あるいはその「聖域」が脅かされるようなデータが出るようになった時に、再びこの「0.1秒」が論議される時代が来ないとも限らない……まあ、これもファンとしての一つの「夢」ではありますね。

 

<連載>100m競走を語ろう ⑥~フライングはこうして暴かれる



短距離走、特に100m競走について語る時、フライング(正しくはフォールス・スタート)について避けて通ることはできません。人はなぜフライングを犯してしまうのか、それを摘発・防止するためにどんな工夫や技術の歩みがあったのか、そのあたりを考えてみたいと思います。


◆フライング判定の仕組み
陸上競技短距離走の場合、号砲の前に「スタート動作を起こす」だけではなく、スタート動作に直接関係のない体の動きがあった場合も不正と見なされることがあります。
さらに厳密に言うと、号砲が鳴らされてから0.1秒未満の間にこれらの動きがあった場合も、不正スタートとなります。これは、現在の生理科学的知見では、「人間の反射神経では合図の音を聞いて動作を起こすのに少なくとも0.1秒以上の時間を要する」とされているためで、すなわち0.1秒より前に動作を起こした場合は「音を聞く前に脳が動作を開始する指令を発した」と解釈されるからです。
この微細な反応時間をチェックするために、スターティングブロックの使用が義務付けられているわけです。スタブロはスタートピストルと計時装置にケーブルで接続されていて、号砲が鳴って選手がスタートを切る、すなわちスタブロに選手の動きが伝わると瞬時に選手ごとの「号砲から動作開始までの時間」を計測し、コンピューターの画面に表示させます。この時間が0.1秒未満だった場合、即座に2度目の号砲音と警告音が鳴って不正スタートを報せるので、選手も即座にスタートのやり直しを知ってレースを中断することができるのです。
スターティングブロックは、スタート動作のために強く蹴られる圧力はもちろんのこと、ちょっとした体の動きがあってもそれが足にまで伝われば、その動きを感知して反応時間として計測します。「動きかけたけどやめた」くらいのピクリとした動作など、簡単に検知してしまいます。

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https://www.seiko-sts.co.jp/products/sports/cat02/002.html
(セイコータイムシステム株式会社HP)より


ちなみに、スタートピストルは一種の電子機器で、ピストルそのものから音が出ているわけではありません。
日本の代表的メーカーであるSEIKOのシステムの場合、ピストルを操作することによって選手のすぐ近くにある「サブピストル」と呼ばれる装置で雷管を爆発させて音を出しています。
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SEIKOのスタートピストルとサブピストル(黄色いボックス状の機器)
「セイコー陸上競技システム総合カタログ」より


いっぽう、オリンピックやダイヤモンドリーグなどの公式計時を担当するOMEGAでは、個々のスターティングブロックに装着されたスピーカーから電子音を出しています。
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OMEGA社製のスターティングブロックとスタートピストル
https://www.omegawatches.jp/ja/planet-omega/sport/our-sports/athletics/ より



0.0何秒かを競う競技では、スターターのピストルと選手との間にある距離は音の伝達時間が問題になりますし、また選手のスタート位置によって音が到達する時間が微妙に異なってしまいます。これらはそういった問題を解消するための装置です。

手動計時の時代には、雷管を爆発させて大きな音と炎を出す仕組みのピストルが使われていました。電子機器のスタートピストルもそれに似せた形状や音になっています。
もちろん、現在でもこうした計時システムを使えない規模の大会では雷管のピストルを使い、フライングの判定もスターターおよび出発審判員の目視によるものです。走者の動きを外から見ているこれらの役員も、号砲を聞いてから選手の始動を認識しますので、フライングの判定は意外に正確にできるものです。


ただ、電子機器のなかった時代には、いわゆる「見切り発進」を試みる走者がいました。俗に言う「引っかけてやる」という行為で、号砲のタイミングをあらかじめ予測してジャストミートのスタートを狙うというものです。
号砲とまったく同時ではさすがにフライングを取られますが、今では機械が反応してしまう0.0何秒かでのスタートならば、見逃されるチャンスがあります。たとえフライングを取られたとしても、当時は一発で失格になることはありませんでしたから、1回目のスタートでは「狙ったフライング」が後を絶たないような状況でした。優秀なスターターほど「用意」から「ドン!」までの間隔が一定しているので狙われやすかったというのが、皮肉です。

トップクラスのスプリンターの反応時間は、早い人で0.12秒から0.13秒くらい、スタートが苦手とされる人の場合はバラつきが大きく、0.15~0.18秒くらいです。0.2秒かかってしまっては、完全に「失敗スタート」と言えます。前章で述べたように、100m走における100分の何秒かは、走者にとって大変重要です。スタートで0.0何秒かを稼ぐということは距離にして数十センチを稼ぐことになり、それができれば極めて有利にレースを展開することができるのですから、ついついよからぬことを考える人が出てくるわけですね。
今でも小中学校レベルや地区大会などの規模で電子機器を使わずフライングも1回は許されるローカルルールが適用されているレースでは、そういうことを試みる輩がいるかもしれません。しかしそうして勝ち進んだところで、上のレベルの大会へ行ってつい悪い癖を出してしまうとレースをしないうちに失格してしまいます。「絶対にフライングをしない」心構えと習慣は、競技を始めた当初から徹底して身に着けるべき、スプリンターの第一歩と言ってよいでしょう。

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2015年北京世界選手権における男子100m決勝のリザルト。右端の「リアクションタイム」が、号砲が鳴って動作を起こすまでの時間です。スタートに難のあるボルトにしては好スタート、逆にスタート得意のはずのガトリンはやや失敗気味。これがフィニッシュの0.01秒の明暗を分けました。

フライングにまつわるお話は、まだまだ続きます。


 

<連載>100m競走を語ろう ⑤~ドッキドキのスタート・アクション



◆「イチニツイテ」「ヨーイ!」

短距離競走では、号砲によるスタート合図の前に、発走の合図をする「スターター(正しくは出発係)」という競技役員によって発せられる、「位置について=On your marks」と「用意=Set」という、二段階の「コール」があります。スタンディングスタートの中長距離走では、「位置について」の一回のみです。(陸上競技にあまり詳しくないと、これを知らない方が
意外に多くて、市井のマラソン大会などで「位置について……ヨーイ!」とやってしまいランナーをずっこけさせる、ということがあります)
以前はこのスタートコールは、「開催国の言語で行う」というルールだったのですが、2007年のルール改正で英語の「On your marks」「Set」に統一され、日本国内でも日本陸連が関与する規模の大会では、すべて英語でコールされることになっています。
スターター
  ※「セイコー陸上競技システム総合カタログ」より

短距離走で「位置について」のコールを受けたら、選手はスタートラインの手前ぎりぎりの所に(ラインに触れないように)両手を着き、あらかじめセットしたスターティングブロックに足を乗せて構えます。この構えで静止した状態が、「位置についた」と判断される体勢です。
スターターは、選手全員が「位置についた」ことを確認した上で、「用意」のコールをします。この合図で選手は腰を上げて体の重心を前に移動させることによって、すぐに全力ダッシュが始められる体勢をとります。
この姿勢を長時間続けることは体力的にも精神的にも困難で、1964年東京オリンピックの男子100m決勝でスターターを務めた故・佐々木吉蔵さんによれば、「『用意のヨ』から『ドン!』までは1.6秒から1.8秒が理想」とのことで、選手によっては「2秒を超えると眠くなる」と言う人もいるそうです。選手はそれほどに極限にまで張り詰めた精神状態に置かれるわけですが、近年はより正確で公平なスタートを期するあまりに少々この「間」が長くなる傾向があるように見受けられます。いずれにしろ、短距離走のスタートを取り仕切るスターターの仕事は、極めて繊細で熟練を要するものであることは確かです。

「位置について」の構えは、「用意」で腰を上げた時に最大限の爆発力が得られるよう、体格や体の使い方に合せた姿勢をそれぞれの選手が身に着けていて、それを実現するための手の開き具合と足の位置を決める必要があります。スタートの準備をする選手たちをよく観察していると、スタブロ本体を置く位置、左右の足を置く位置などを慎重に測りながら決めていく人もいれば、大ざっぱに位置決めしてから足を乗せてみて微調整していく人もいるなど、いろいろな流儀があるようです。

たとえば、往年の日本のエース・飯島秀雄さんやドーピングで偉業を台無しにしたベン・ジョンソンが得意にしていた「ロケットスタート」と呼ばれるスタイルでは、両手を大きく開き、足もできるだけ遠めに置いて、まるで地面に這いつくばるような低い体勢からスタートします。よほどの筋力と速いピッチがないと前には進めず倒れてしまったり空転してしまう、極端な前傾スタートです。通常は両手は「肩幅より少し広く」、前足は「ラインから1.5~2足長(「足長」は靴のサイズ)」、後ろ足は「前足から1~1.5足長」といったあたりが標準でしょうか。100m競走のスタート位置に並んだ全選手のスタブロの位置を見比べてみると、人によってかなり足の位置が異なることに驚かれるかもしれません。

エバニュー(Evernew) スターティングブロック 平行連結式スタブロRST EGA017
エバニュー(Evernew) スターティングブロック 平行連結式スタブロRST EGA017

ジョンソン
  ベン・ジョンソンのロケットスタートの構え。

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細かいルールになりますが、「位置について」では「少なくとも片方の膝が地面に着いていること」を規定しています。このルールを曲解した審判員によって、2003年のパリ世界選手権でちょっとした「事件」がありました。
この大会で日本人として初めて短距離種目(ハードルを除く)のメダルを獲得することになる末續慎吾選手が、その200m決勝のスタートの際に、「位置についての姿勢がルールに抵触する」と指摘されて注意を受けたのです。末續選手の「位置について」は、左右の足の前後間隔が極端に少ない(つまり前足を極端に後ろに引いている)独特の構えで、このため「位置について」では両脚の膝が地面に着く体勢になります。前記のルールを生半可に理解していた審判が「両膝を着いてはいけない」と勘違いして注意を与えたというアクシデントでした。幸い末續選手は動ずることなく言われたとおりに姿勢を修正し、その慣れないスタートにも関わらず3着に食い込んで銅メダルを獲得しましたが、結果が悪ければ大問題にもなりかねない審判のミステークでした。
末次慎吾
  「なんば」と言われる末續慎吾選手のスタート独特の構え

◆永遠の課題「フライング」の判定
スタートのピストル音(「号砲」と言います)が鳴る前に走者がスタート動作を開始してしまうと、不正スタートとなる……これは常識ですね。
こうした不正スタートは通常「フライング」と呼ばれて、日常会話の中でも、ちょっと逸って行動を起こしたりする場合などに使われる言葉です。ただしこれは和製英語で、自転車競技やモータースポーツ、ヨット競技などの「助走をつけてスタートラインを通過するスタート方式」を表す「フライング・スタート」に由来しています。英語では「false start(フォールス・スタート)」と言うのが一般的で、これにはいわゆるフライング以外の不正スタートの意味も含まれます。

次回はこのフライング=不正スタートについて、ちょっと掘り下げてみましょう。

 

<連載>100m競走を語ろう ④~スプリントの生命線「スタート」


◆初め良ければ・・・スタートから目を離すな!

どんな競技でも、スタートはスプリント種目の生命線。アスリートは出遅れや失敗がないよう超人的な集中力をここに注ぎ込み、観客はその瞬間を息を呑んで見つめます。

100メートル競走は、たった10秒内外の時間で、すべてが決してしまいます。選手の疾走スピードは最大秒速11メートルを超えるわけですから、100分の1秒といえども移動距離にすれば10センチ以上ということになります。10センチといえば、ゴールを真横から見ていれば肉眼でもはっきりと認識できるほどの差であり、選手にとっては決定的な距離と言えます。

この10センチ、0.01秒を削り出すために、選手は時に己の人生を賭けて努力を積み重ねているのでありまして、特にスタートの成否はこの0.01秒という時間をいとも簡単に稼ぎ出したり、逆に放出してしまうという、極めて重要な局面なのです。


もちろん、「100m競走はスタートがすべて」などと言うつもりはありません。むしろスタートをあまり重要視しないことで好結果に結びつけたというスプリンターの話も、たくさんあります。それはそれとしてまた後述する機会もありましょうが、仮に同じようなトップスピードとスピード持続力を持つ選手が並走したとすると、勝敗を分けるのはやはり、スタートおよびそれに続くダッシュの能力と技術、そしてピストルの音を聞いてから走り出すまでの反応時間、ということになるのです。
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◆スタートにまつわるルール
100mをはじめとする短距離競走では、「スターティングブロック(以降、時々「スタブロ」と略します)を使用し」「両手を地面に着いた姿勢で構える」ことがルールとなっています。すなわち「クラウチングスタート」が義務付けられているのです。逆に、800m以上の中長距離競走では、スターティングブロックの使用も、地面に手を着く構えも認められません。
このルールがいつ明文化されたのかは調査不足で分かりませんが、私が記憶する昔には、「スタートの構えは自由」とされていて、短距離でスタンディングスタートをしても構いませんでしたし、ごく稀にですが800m競走でクラウチングスタートをする(さすがにスタブロは使いませんでしたが)選手をかなり大きな大会で目撃したこともあります。

なぜ「短距離はクラウチングスタートが義務」となったのか?……おそらく、スタートの姿勢そのものよりも、現在では計時システムの重要な1パートとなっているスターティングブロックの使用をマストとする必要からではないか、と思われます。つまり、「フライング判定にスタブロの使用は不可欠」だからです。

スタートの構えが自由だった時代には、「もしかしたらスタンディングスタートの方が有利なのではないか?」という議論が常にありましたし、現在でも上記の縛りがない小学生の競技などでは、このことが話題になります。
クラウチングスタートの原理は、ごく簡単に言ってしまえば「前につんのめる力」を推進力に変えるということで、これにより、緩慢になりがちな「動作の始まり」をスピードアップさせるということです。つまり鋭いスタートダッシュを生むために最適の方法、ということです。
しかしながら、そのためには本当につんのめって転倒してしまわないように、体を支える強い脚力や体幹も必要になります。だから、筋力の十分でない小学生程度の子供では、むしろスタンディングスタートのほうが、初めからランニング・フォームがとれるために滑らかにスピードアップできるとされていて、これを科学的に検証した事例などもあります。

また、スターティングブロックなしにクラウチングスタートを行おうとすると、スパイクシューズを履いていたとしても水平に近い向きに前足を蹴り出す際に滑ってしまい、どうしてもうまくいきません。

「スターティングブロックを用いる」「クラウチングスタートを行う」という短距離走の2つのスタート・ルールは、切っても切り離せない関係になるわけですね。

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◆クラウチングスタートの始まり
クラウチングスタートを初めて世に知らしめたのは、近代オリンピックの第1回・アテネ大会(1896年)で100mと400mの短距離2冠に輝いた、トーマス・バーク(アメリカ)だと言われています。記録は100が12秒0、400が54秒2でした。現在の女子高校生の全国レベルくらいですが、これが当時の世界最高峰でした。
彼が実際にどのようなスタイルのスタートをしていたのかは、残された写真からでしか窺い知ることはできませんが、現在のクラウチングスタートとさほど変わりないように見受けられます。
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左から2人目がバーク選手。隣のレーンの選手が木の杭のようなものを使って構えているのが、面白い光景ですね。
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◆スタブロのない時代

陸上短距離選手を主人公にして描かれた映画『炎のランナー』(1981年、イギリス)では、1924年のパリ・オリンピックがクライマックスの舞台となっています。
控室からレースのトラックに向かう選手たちの寡黙な表情が迫力たっぷりに描かれているシーンがありますが、どの選手も手に銀色の鏝(こて)のようなものを持っています。
これは、スタートの位置に足を入れる穴を掘るためのスコップなんですね。すでにクラウチングスタートが当たり前になっていたこの当時、どの選手も自分専用の“マイ・スコップ”を持って競技に臨んだ様子がよく分かるひとコマです。スターティングブロックが登場するのは1948年のことですから、戦前はオリンピックといえども常にこうした光景があって、レース前の選手の“儀式”になっていたのです。アテネ大会当時のバーク選手が穴を掘っていたかどうかは写真からは確認できませんが、スタンディングスタートの構えをとる選手の中にも、軽く靴で引っ掻く程度の足場を掘っていたらしき跡は見受けられますね。
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各々の“マイ・スコップ”で足場の穴を掘る選手たち。(映画『炎のランナー』より)



◆木槌の時代

時代が下って記録映画『東京オリンピック』(1965年、東宝)では、100m決勝のスタート位置に集まった選手たちが、地面に木槌を打ち付ける様子がスローモーションで紹介されます。

今でも土のグラウンド用としてありますが、この当時はまだ全天候型トラックがなく、自分の足の位置にスタブロを五寸釘のようなもので地面に固定するという作業が、どんな大きな大会でも短距離のスタート前の“儀式”でした。ただし、スタブロも木槌も、大会側が用意したものです。映画では、釘を打つ金属音が乾いた響きをたてて、独特の緊張感を見事に演出しています。

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スタブロを打ち付けるボブ・ヘイズ。「スタート前の選手たちは、緊張のあまり、むしろ悲しげに見える…」とナレーションが入ります。(記録映画『東京オリンピック』より)

現在の全天候型トラック用のスタブロは、舗装樹脂に押し付けるようにして爪のような金具を食い込ませるだけで、簡単に固定されます。そして、競技で使用されるものの多くは、ケーブルで計時システムに接続されています。したがって、大規模な競技用のスターティングブロックは一般的なスポーツ用具メーカーの製品ではなく、その競技会をサポートする時計メーカーによって製作・提供されているものです。
 

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