“情熱の国”スペインが、第二次大戦以前からの悲願だったオリンピックを、サマランチIOC会長のお膝元として初開催。
1989年のベルリンの壁崩壊、91年のソヴィエト連邦消滅を承けて、参加チームに「EUN(独立国家共同体)」という見慣れない名称が登場しました。これは、ソ連消滅後に各々独立国となりながらも個々にはIOC未加盟だったためにとられた救済措置で、ロシア・アルメニア・アゼルバイジャン・ベラルーシ・ウクライナ・カザフスタン・ウズベキスタン・グルジア・モルドバ・キルギスタン・タジキスタン・トルクメニスタンの12か国による合同チーム、つまり実質的には旧ソ連チームということになります。(バルト3国は別個に参加)
また従来西ドイツ(GER)と東ドイツ(GDR)に分かれていたドイツ(GER)も統一国家として迎える初の大会、ということになりました。
旧ユーゴスラヴィアの各地では、国家的バックボーンを持つことができないアスリートのため「独立参加選手団(IOP)」という個人資格での出場チームが結成され、オリンピック旗のもとに参加しました。
また、アパルトヘイト政策の緩和を評価されて、南アフリカ共和国(RSA)が初参加を果たしています。

オリンピックはようやくワールドワイドなビッグ・イヴェントとしての真価を発揮し始めた感があり、ロス大会以来のコマーシャリズムやNBAドリームチームなどのプロ選手の参加により、中興の時代へと進み始めました。


◆各種目の金メダリストと日本選手の成績
<男子>
   100m リンフォード・クリスティ(GBR) 9"96 ※井上悟・青戸慎司:2次予選 杉本龍勇:1次予選
   200m  マイケル・マーシュ(USA) 20"01
   400m クインシー・ワッツ(USA) 43"50(OR) ※高野進:8位入賞 渡辺高博:1次予選
   800m ウィリアム・タヌイ(KEN) 1'43"66
  1500m フェルミン・カチョ(ESP) 3'40"12
  5000m ディーター・バウマン(GER) 13'12"52
 10000m ハリド・スカー(MAR) 27'46"70 ※浦田春生:14位 大崎栄:予選
 110mH マーク・マッコイ(CAN) 13"12 ※岩崎利彦:2次予選
 400mH ケヴィン・ヤング(USA) 46"78(WR) ※斎藤嘉彦・山崎一彦:予選
 3000mSC マシュー・ビリル(KEN) 8'08"84
 4×100mR アメリカ 37"40(WR)※日本(青戸・鈴木久嗣・井上・杉本):6位入賞
 4×400mR アメリカ 2'55"74(WR) ※日本:予選
 マラソン ファン・ヨンジョ(KOR) 2:13'23" 
森下広一:銀メダル 中山竹通:4位 谷口浩美:8位
 20kmW ダニエル・プラッツァ(ESP) 1:21'25
 50kmW アンドレイ・ペルロフ(EUN) 3:50'13" ※今村文男:18位 園原健弘:22位小坂忠弘:24位
 HJビエル・ソトマイヨル(CUB)2m34
 PV マキシム・タラソフ(EUN) 5m80 ※佐野浩之:予選
 LJ カール・ルイス(USA) 8m67 ※森長正樹:予選
 TJ マイク・コンリー(USA) 18m19w ※山下訓史:予選
 SP マイク・スタルス(USA) 21m70
 DT ロマス・ウバルタス(LIT) 65m12
 HT アンドレイ・アブドゥヴァリエフ(EUN) 82m54
 JT ヤン・ゼレズニー(CZS) 89m66(OR) ※吉田雅美:予選
 DEC ロベルト・ズメリク(CZS) 8611p.
 


<女子>
   100m ゲイル・ディヴァース(USA) 10"82
   200m  グウェン・トーレンス(USA) 21"81
   400m マリー-ジョゼ・ペレク(FRA) 48"83
   800m エレン・ファンランゲン(NED) 1'55"54
 1500m ハッシバ・ブールメルカ(ALG) 3'55"30
 3000m エレーナ・ロマノワ(EUN) 8'46"04
  10000m デラルツ・ツル(ETH) 31'06"02 ※真木和:12位 五十嵐美紀:14位 鈴木博美:予選

 100mH ヴーラ・パトリドウ(GRE) 12"64
 400mH サリー・ガネル(GBR) 53"23
 4×100mR アメリカ 42"11
 4×400mR EUN 3'20"20
 マラソン ワレンティナ・エゴロワ(EUN) 2:25'40" ※有森裕子:銀メダル 山下佐知子:4位 小鴨由水:29位
 10kmW チェン・ユエリン(CHN) 44'32"(新種目) ※板倉美紀:23位 佐藤優子:24位

 HJ ハイケ・ヘンケル(GER) 2m02 ※佐藤恵:7位入賞
 LJ ハイケ・ドレクスラー(GDR)  7m14
 SP スヴェトラナ・クリヴェリョワ(EUN) 21m06
 DT マリツァ・マルテン(CUB) 70m06
 JT シルケ・レンク(GER) 68m34
 HEP ジャッキー・ジョイナー-カーシー(USA) 7044p. 



◆群雄割拠の大会

男子走幅跳で3連覇(400mRを合わせ通算8個の金メダル)を達成したカール・ルイスや、女子七種競技で連覇を飾った ジャッキー・ジョイナー-カーシーなどを除いては“スーパースター”級の目立ち方をした選手を見つけにくい大会でしたが、その分、各種目のスペシャリストたちが個性を発揮し、ビッグネームに負けない実績と名声を勝ち得るようになってきたのだと言えるでしょう。テレビ放送の充実や世界選手権の定着によって、種目の隅々まで情報が伝わるようになった恩恵もあるかもしれません。

たとえば、女子100mに優勝したゲイル・ディヴァースなどは、この時代を代表する個性的な女子アスリートの一人でしょう。
100mでは次のアトランタでも連覇しますが、ともに際どい勝負をハードラーならではのフィニッシュ技でものにした勝利でした。彼女がスタート前に行う、フィニッシュの瞬間をイメージするポーズは有名なルーティーンでした。
ただ、本職であるはずの100mHでは決勝で断然先頭を走っていながら10台目を引っ掛けて転倒寸前となり5着に沈み、ギリシア史上初の女性メダリスト、パラスケビ・ヴーラ・パトリドウという新たなヒロインを誕生させる結果となってしまいました。この種目、ディヴァースは世界選手権では91年から2001年までの5大会(97年は欠場)で金3、銀2を獲得する一方、オリンピックは2大会連続下位入賞に留まっています。


また、女子200mには「3位」の欄に、“ブロンズ・コレクター”の異名をとったマリーン・オッティ(JAM/現SLO)の名があります。
80年モスクワ大会に初出場して200m銅メダルを獲得したオッティは、ジャマイカの女子短距離パイオニアの一人。続くロス大会は100、200ともに銅メダル。ソウルではメダルなしに終わりますが、この大会で“復活”するや、アトランタでは100、200で“シルバー・コレクター”に昇格、40歳で出場した2000年シドニー大会では4位に終わりましたが、1位マリオン・ジョーンズの失格によって“いつもの”銅メダルが転がり込んできました。この間、世界選手権では金2、銀3、銅5のメダルを獲得。
その後スロベニアに国籍変更したオッティは、2007年の大阪世界選手権にも来日、驚くべきことに2012年、52歳でヨーロッパ選手権のリレーチーム入りを果たしています。

87年ローマ世界選手権からソウル五輪、91年東京と、女子走幅跳でジャッキー・ジョイナー-カーシーに敗れ続けたハイケ・ドレクスラーが、遂にこの大会で“クィーン”を撃破して83年ヘルシンキ世界選手権以来の金メダルに返り咲いたシーンも忘れられません。
彼女もまた長く活躍を続けた選手で、2000年シドニー大会に出てきたときは「えっ!?」と思ってしまいましたが、まさかそこでオリンピック2つ目の金メダルを獲ってしまうとは…。

こうした個性的な選手たちにそれぞれ根強いファンがついて、陸上競技の奥行きをどんどん深めていったことは、嬉しい傾向でした。


◆男女マラソン、モンジュイックの激闘
日本選手団は、リレー強化策が実を結び始め、男子400mRでみごと予選・準決勝を突破して6位に入賞、以後のオリンピック、世界選手権では「決勝の常連国」として悲願のメダルに向けて進んでいくことになります。
マイルリレーでも、エース高野進を要とする最後のレースとなったこの大会、3組2着+2の予選で惜しくも3着、プラスの3番手で決勝を逃しはしたものの、前年の世界選手権に続く好リレーでその後への期待を抱かせました。

その高野は、すでに東京世界選手権で短距離界の悲願であった決勝進出を果たしていました。この大会でも、準決勝で有力選手のデレク・レドモンド(GBR)が負傷DNFに沈んだアクシデントに助けられた感もありましたが、再度決勝を走る栄誉に浴しました。短距離種目での入賞は、“暁の超特急”と謳われた吉岡隆徳さん以来、60年ぶりの快挙でした。
この大会あたりから、アスリートを応援する家族や縁故の人々がテレビなどでクローズアップされることが多くなり、高野にも愛妻の支えが云々という“感動物語”が付いて回ったものです。まさかその後、あんなことになるとはねえ…。

女子マラソン・有森裕子の件については他の稿で触れましたので、ここでは詳しく振り返りません。
その女子と同じように、男子マラソンも終盤の「モンジュイックの丘」で、ファン・ヨンジュと激しいマッチレースを展開したのが若きエース・森下広一。デビュー戦の91年別大、92年東京国際と、2度にわたって中山竹通とのデッドヒートを制して2戦2勝で臨んだこの大会でした。相手のファンもマラソン3戦2勝、92年の別大で8分台の記録を出して2位と、
経歴も風貌もよく似た2人はこの先よきライヴァルとして活躍することが期待されていましたが、ともに故障に泣いて大成しきれなかったのは残念でした。
前年猛暑の東京で世界チャンピオンの座に就いた谷口浩美は、20kmの給水ポイントで転倒しシューズが脱げるというハプニングに遭い、着実に追い上げながらも8位入賞に留まりました。「コケちゃいました」という笑顔でのコメントは、世界王者としての余裕と照れの表現と見えましたが、モンジュイックでの優勝争いに加わっていてもおかしくない好調ぶりでしたから、「もしも」の先を想像しないではいられませんでした。