豊大先生流・陸上競技のミカタ

陸上競技を見続けて半世紀。「かけっこ」をこよなく愛するオヤジの長文日記です。 (2016年6月9日開設)

女子長距離

連載「懐かしVHS時代の陸上競技」#9~1991/第10回大阪国際女子マラソン


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今回のお宝映像は、あの有森裕子が日本女子マラソンのトップランナーに躍り出た、1991年1月の『大阪国際女子マラソン』です。
第10回の記念大会ということで、初代から4代目までの歴代優勝者が招待されるという豪華な顔ぶれの中で、国内的にはこの夏に開催される東京世界選手権の代表選考を兼ねた、熱い戦いが繰り広げられました。
出場した歴代女王は、第1回のリタ・マルキシオ(ITA)、第2・4回のキャリー・メイ(IRL)、第3回のカトリン・ドーレ(GER)、第5・6・8回のロレーン・モラー(NZL)で、いずれもこの時点では現役バリバリ。第7回のリサ・マーチン(AUS)と前回のロサ・モタ(POR)は残念ながら都合つかず。ですが、ソウル五輪のマラソン上位3人がいずれも大阪で優勝している、というのはなかなかなことですね。(モタのみ、五輪後の優勝)
歴代女王以外では、ソウル4位のタチアナ・ポロビンスカヤ(RUS)、ボストン・シカゴなどのメジャー大会を獲っている強豪リサ・ワイデンバック(USA)、大阪5年連続出場のレナタ・ココウスカ(POL)、チェコスロヴァキア記録を持つA.ペテルコヴァなど、海外招待選手は総勢15人。
国内招待選手は、浅井えり子(日本電気HE)、有森裕子、松本真由美(以上リクルート)、石倉あゆみ(京セラ)、黒崎しのぶ(大阪陸協)、田中弘子(旭化成)、鰍谷真由美、名雪多美代(以上セイコー電子)の8名です。

放送製作は関西テレビ(フジテレビ系列)。メイン実況は競馬の実況者として杉本清さんの先輩だった松本暢章アナ、解説は帖佐寛章陸連専務理事。第1放送車に塩田利幸アナと解説・豊岡示朗大阪体育大学教授、第2放送車に馬場鉄志アナと解説・澤木啓祐順天堂大監督、第3放送車に毛利八郎アナなど。
大会冠スポンサーは、第1回から第20回までダイエー・グループでした。
確か、『東京国際マラソン』もダイエーグループの協賛だったと思いますが、2分間、レースの映像を半画面に残しつつ延々とグループ各社(ローソンやビッグボーイ、オレンジページ、福岡ダイエーホークスに至るまで)をロール表示していくCMがとても印象深く、好感を持てるものでした。企業によるスポーツの応援はこうあって欲しい、と思わされる手法でしたね。
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さて、レースはトラックの周回時点から、中国のチェン・シンメイ(愛知教育大)がポンと飛び出し、以後のレースをずっとメイクしていくことになります。ソウル5位の趙友鳳に続き、同じ竹内伸也監督のもとで国際ランナーへの飛躍を目指すチェンは、少し腕振りなどの動きに固さが感じられるものの、スラリとした身体の割には太腿の肉付きなどなかなか逞しく、十分な素質を秘めていたように見受けられます。
長居公園の周回路に出たあたりでいったん吸収されますが、この飛び出しの影響で隊列は縦長の中にいくつかの小集団が形成される展開になります。
先頭は、チェンの他、リ・ジュワン(CHN)、ドーレ、ポロビンスカヤ、ワイデンバック、ココウスカ、ペテルコヴァ、浅井、有森、そしてマラソンデビュー戦の浅利純子(ダイハツ)という10人。

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先頭集団を力走する有森と、インタビューに答える小出監督

10㎞過ぎ。チェンが再びペースを上げると、浅井と浅利は追走集団についていけなくなり、後退。チェンはそのまま集団を引き離して再び単独首位に立ち、レースを見守っていた竹内監督は、「これはオーバーペース。そこまでの練習をしていないし、フォームも良くない」と、辛辣なコメントです。
それまで単独11番手にいた石倉を田中とヘレン・モロス(NZL)が交わしていき、その後にはモラーら数人の外国人ランナーに混じってリクルートの新人・佐藤千春が追走。500メートルほどの間に、1人(チェン)-7人-2人-2人-1人-7人、…という小刻みな塊が流れていきます。
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『大阪』のコース上の見どころは、中盤の御堂筋、後半の大阪城公園というのがお馴染みですが、本格的に御堂筋を南下する進路が取られたのは、この年からです。広々と開けた8車線の直線一方通行路にはお誂え向けの側道が1車線あって、マラソンの折り返しのために設計されたかのような趣があります。
折り返し直前の20㎞まで、独走態勢のチェンと追走集団は17分台の好ペースを続けてきており、集団の中にいる有森に、そろそろ「日本最高記録」の期待がコメントされ始めています。有森は前年の大会でマラソンデビューし、当時の初マラソン日本最高記録で6位となりました。その直前に『全日本実業団女子駅伝』で、アンカー区間賞を獲得したのは前回の記事でお伝えしたとおりで、20歳を過ぎて急速に台頭してきたランナーです。
91年1月時点で、2時間30分を切った日本人女性ランナーは小島和恵、宮原美佐子、兵頭勝代の3人しかいません。小島と宮原が既に現役を去り、兵頭もまたトライアスロン転向を決めていたこの時、新興勢力の急先鋒たる有森によって、2時間29分、28分を一気に跳び越え、27分台の快記録へと期待は高まります。

25㎞を過ぎるとコースは大阪城公園へ。現在の簡素化された通り方ではなくて、いったん一般道路に出てから再入場するなど、変化にとんだ約2㎞半に及ぶ経路です。距離的にもいよいよ佳境という頃合いですし、短いながらも急峻なアップダウンもあり、選手を映すカメラのアングルが目まぐるしく変わる視覚的な効果も手伝って、「死闘」の雰囲気が自然に演出されたコースでした。
第6回から37回大会まで、この場面になるとTHE ALFEEのオリジナル曲が流されるというのも、好き嫌いはともかく、ユニークな演出でした。毎回新たなテーマ曲を32年間(31大会)提供し続けたというアルフィーの壮挙は、ギネスブックに認定されているそうです。
トップを行くチェンのリードはますます広がり、追走集団はリ・ジュワンがこぼれただけで6人がびっしりと肩を寄せ合って歩を進めます。
そのさらに後方では少し動きが出始めました。最初トップ集団にいた浅井・浅利を、後ろから来た田中・モロスが吸収。さらに、後方で一人マイペースを決め込んでいた石倉が猛然と追撃を開始し、場内で一気に4人をゴボウ抜きして9位に浮上します。目の前に子供が付き出した小旗を「ウルァ!」とばかりにパンチで叩き落とし、気合満点の表情で公園内を突っ走るところまではよかったのですが、この後突然「トイレタイム」に見舞われてしまい、大きく順位を落とすこととなりました。
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ドーレが引っ張る追走集団は、30㎞の給水所で一気に崩壊して、追走はドーレと有森の2人だけとなりました。さすがに脚色に衰えの見え始めたチェンとの差が、少しずつ詰まります。

この大会が、東西統合後に初めてドイツチームのユニフォームを着ての出場となったドーレ。第3回大会優勝のみならず、ここまで日本では広島ワールドカップを含め7戦6勝という抜群の親日ランナーです。生涯フルマラソン24勝という戦績は、川内優輝を別とすれば男女を通じて傑出した最多勝記録。歴代の女子マラソンランナーで、間違いなくベスト10に入ってくる名選手です。
そのドーレにマッチレースを挑む形となった有森は、マラソン2戦目とは思えない、また高校時代に常に『都道府県対抗女子駅伝』の岡山県補欠に甘んじていたというのが信じられない、端正で力強い脚運びで大金星を伺います。

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34㎞過ぎ、遂にチェンを捉え、優勝争いはドーレ、有森の一騎討に。
37.5㎞付近でスポンジを取ったドーレが、それを有森にも手渡そうと振り返った時、ちょうど一杯一杯になりつつあった有森は2メートルばかり後方にいて、少し頑張ってスピードを上げ追いついて受け取る、という動きがありました。その直後にCMブレイクが入り、明けた時には両者の間に10メートルばかりの差ができており、どうやら勝負ありの感があります。
残り4㎞、勝負には敗れつつありながらも有森の闘志は衰えず、懸命に落ち込みを抑えながら記録への挑戦が続きます。
結局、貫禄のドーレに揺るぎはなく、前年のロサ・モタより4秒速い2時間27分43秒でテープを切り、有森は18秒差、2時間28分01秒の堂々たる日本最高記録で2位を占めて、会心の笑顔・会心のガッツポーズでのフィニッシュとなりました。
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レースを盛り上げたチェンも29分台の大幅PBで3位に粘り切り、竹内監督の懸念を一蹴しました。以下ココウスカ、ペテルコヴァ、ワイデンバック、ポロビンスカヤ、リ・ジュワンと当初の先頭グループがそのまま順位をキープ。日本勢の2番手は、有森と同僚の佐藤千春となって、以下田中、浅利、浅井、石倉と続きました。第1回から10年連続出場の黒崎しのぶ(大阪陸協)は19位でレースをまとめています。

この快走で8月の東京世界選手権代表を射止めた有森は、猛暑のレースで銀メダルを獲得した山下佐知子(京セラ)に続く4位となり、ともに日本の女子マラソンが世界に打って出る足掛かりを築きました。
ロスおよびソウル五輪の結果が示すとおり、日本の女子マラソンはまだまだ世界で戦うには実力不足とされていた中から、ようやく現れた世界基準のランナーが、山下と有森だったわけです。(むろん、両者が“世界”の舞台である夏のレースに強い特性を持っていたというのも、大きな要因です)

“世界”で4位というのはそれほどに、当時としては素晴らしい快挙だったのですが、その一つ上の実績を挙げた山下が早々にバルセロナ五輪代表に内定したのとは裏腹に、有森の代表決定までの道のりが難渋し混乱を招いた経緯は、ご承知のとおり。陸連としては当初から実績抜群の有森を選ぶ腹積もりであったに違いないのですが、一人の選手がマスコミを巻き込んだアピールを仕掛けたことで、現場にも選考にも関係のない門外漢が大騒ぎする事態へと発展してしまい、前回のソウル男子に続いて「マラソン五輪代表選考」は一種の社会問題にまでなってしまったのです。
いずれにしろ、2大会連続五輪メダルという快挙を達成し、今なお女子マラソン界の重鎮として輝きを放ち続ける有森裕子の、鮮烈な出世レースがこの『第10回大阪国際女子マラソン』でありました。
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連載「懐かしVHS時代の陸上競技」#8~1989/第9回全日本実業団女子駅伝


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このシリーズ3度目のピックアップとなります『全日本実業団女子駅伝』、1989年の大会は岐阜の30㎞コース・5区間で行われたものです。
地元企業の西濃運輸がメイン・スポンサーで、「カンガルー・スポーツスペシャル」という冠がつけられています。

バブル時代と女子マラソン人気を反映して女子実業団チームが急増し、前々年までは地域実業団の混成チームを交えて行われていたのが、前年から単独チームのみによるレースとなって23チーム、そしてこの年には29チームが出場。翌年からは予選会を開催するということになっていき、解説者の見立てでは「予選会出場は50チーム近くになるのではないか」という日の出の勢いです。

その出場チームを列挙すると、
①セイコー電子工業(千葉)②日本電気(東京)③*埼玉銀行(埼玉)④日本ケミコン(宮城)⑤岡部工務店(茨城)⑥大京(東京)⑦*ホクレン(北海道)⑧松下通信工業(神奈川)⑨住友金属工業(茨城)⑩リクルート(東京)⑪川崎製鉄千葉(千葉)⑫*資生堂(東京)⑬西濃運輸(岐阜)⑭トヨタ自動車(愛知)⑮日本電装(三重)⑯本田技研鈴鹿(三重)⑰北國銀行(石川)⑱ダイハツ(大阪)⑲住友化工(和歌山)⑳ワコール(京都)㉑*ニッセイ(大阪)㉒三田工業(大阪)㉓ダイイチ(広島)㉔旭化成(宮崎)㉕*ベスト電器(福岡)㉖ニコニコドー(熊本)㉗*九州日本電気(熊本)㉘東陶機器(福岡)㉙沖電気宮崎(宮崎) *は初出場

実は30チームがエントリーしていたのですが、大会連覇中・過去8回中4度優勝の大本命、京セラ(鹿児島)が、エース荒木久美以下の故障者続出により出場辞退となりました。
30チームのうち、現存しているのはホクレン・松下通信(現パナソニック)・資生堂・ダイハツ・ワコール・東陶機器(TOTO)・京セラの7チームだけ。事実上他企業に引き継がれて存続しているのが、埼玉銀行(→しまむら)・リクルート(→積水化学)というところです。

直前の予想では、真木和・藤原恵らを中心に安定した実力者を揃えるワコールと、志水見千子・有森裕子といったルーキーに勢いがあるリクルートが「2強」。宮原美佐子がラストランを迎える旭化成、松野明美擁するニコニコドー、マラソン日本記録保持者の小島和恵が牽引する川鉄千葉、第6回の優勝を含め上位常連の三田工業などが、これに続く前評判となっています。
放送席実況は、落ち着いた語り口の多田護アナ。解説はマラソン界の重鎮・高橋進さん。ゲストとして旭化成監督就任2年目の宗茂さん。第1放送車実況は、落ち着かない語り口の椎野アナ。


◇1区(岐阜県庁~グランドボウル:3.1㎞)

県庁前の路上に並んだ1区の選手たち。正直に言うと、知ってる(覚えてる)顔が一つもありません。当時の1区は最短区間でもあり、エース級が投入されることはあまりなかった、ということもあります。ルーキーが多かったようです。
リクルートの長身ルーキー大塚由美子が飛び出しを図りますが、やがて吸収され、代わってニコニコドーの田代美保がスパート。旭化成に4秒差をつけて、幸先のいいスタートを切りました。以下、川鉄千葉、東陶、ダイハツ、リクルート、日本電気、日本ケミコン…と続いて、本命のワコールは急遽起用した李淳姫が振るわず、20秒差の13位と出遅れました。

今ではTV放送されるロードレースでは、必ず自動車メーカー1社が協賛社となって車両提供をするのが定着していますが、この大会ではまだそれがありません。大会運営車両には、自前(?)の1~2台の他は、なんと地元のタクシーを徴用してるんですね。そういえば、箱根駅伝なんかでも、自衛隊のジープが協力していましたっけね。
また、タイム計測にはまだランナーズチップなどなくて、おそらくビデオによる公式計時と思われます。私も、1988年の青梅マラソンに出た時、「ビデオ判定するのでゼッケンが見えるように腕を下げてゴールしなさい」と事前注意された覚えがあります。
ついでに、「ゼッケン」というのも1995年までは正式な陸上用語でした。最近はナンバー記載のないビブス(ネームカード)が用いられることが多いので、また「ゼッケン」という用語が復活してきています。

◇2区(~大垣市総合体育館:6.2㎞)
各チームの“2番手”が投入されることの多い、前半のエース区間。ニコニコドーは木村友香似の李周霞が懸命に首位を守ろうと粘りの走り。この頃の「助っ人外国人」といったら、女子では中国選手でしたね。
後続グループを鈴木博美(リクルート)が引っ張り、吉田光代(ダイハツ)が負けじと食い下がります。吉田はこの1か月後の『大阪国際女子マラソン』でブレイク、ダイハツの重厚なマラソン軍団の先陣を切った選手で、長身の美人ランナー、ということは私のヒイキ筋の一人でした。
先頭の李を吸収して3人の先頭集団となったところへ、後方から一気にぶち抜いたのが、ワコールの主軸の一人・岩本初美、23歳。区間記録を34秒も更新する走りで12人抜き、早くもここで本命が主導権を握る展開となりました。
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◇3区(~ドライブイン穂積:5.3㎞)
ニコニコドーがやや遅れて、先頭集団はワコール、リクルート、ダイハツの3チーム。後に日本を代表するランナーとなる志水見千子、藤村信子を従えて、この時点では“格上”の存在である藤原恵がジワジワとリードを築きます。
今思えば2区以降のワコールは、まさに盤石の布陣。この前年が初出場だったのですが、2位。今大会を皮切りに4連覇を果たしその次も2位。その6回全てに出場し、区間賞を4回獲得している藤原は、真木和とともに鉄壁の2枚看板でした。
結局リクルートに22秒差をつけたワコールが、大きくリード。3位以下はダイハツ、旭化成、ニコニコドー、東陶、川鉄千葉、三田工業、大京…と続いています。
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◇4区(~岐阜文化センター:10.0㎞)
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4区区間4位と復調の兆しを伺わせた増田明美。ワイプ画面は真木。

いよいよ山場の最長区間。先頭のワコールが真木和に引き継ぐと、リクルートは吉田直美、ダイハツは浅利純子、旭化成は朝比奈三代子、そしてニコニコドーは松野明美と、次々にエースが飛び出して行きます。ただし、吉田、浅利あたりはまだまだ若手の有望株といった存在。それよりは格上なのが、7位スタートのマラソン日本記録保持者・小島和恵(川鉄千葉)、そして14位スタートの増田明美(日本電気)といった面々です。
先頭を行く真木は、藤原と同様前後6回の大会(優勝4回・2位2回)すべてに出場していますが、常にエース区間を任されたために、松野や荒木久美、外国人ランナーなどの前に一歩及ばず、区間賞は一度もありません。しかしその安定度はエースの名にふさわしく、ワコール黄金時代の立役者であったことは間違いありません。95年の5度目の優勝時にアンカーでようやく区間賞に輝き、翌年のオリンピックマラソン出場へと大輪を咲かせた息の長い選手でした。2018年に乳癌のため亡くなっています。

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その真木が揺るぎない独走態勢を固める一方で、後方では口も軽いが足取りも軽い松野明美が猛然とスパーク。区間中盤で先行する3チームをまとめてゴボウ抜きすると、先頭の真木すらも射程に捉えようという勢い。ただ、5区の戦力を比較するとニコニコドーとしてはここでトップに立つ以外に勝ち目はなく、松野の孤軍奮闘もここまで、という感じでした。
朝比奈はこの年の日本選手権で、絶対優勝間違いなしと見られた松野に対して終盤大差を逆転し、一躍脚光を浴びたホープ。後にマラソンで日本記録も作りますが、どこか安定感に欠け、活躍期間の短い選手、といった印象でした。このレースでは追い抜かれた松野に対してまずまずの粘りを見せ、チームを上位に踏みとどまらせます。

中継所での1位・2位の差は24秒。さらに6秒遅れて旭化成、10秒差でダイハツ、リクルート、川鉄千葉…と続きました。

◇5区(~岐阜県庁前:5.4㎞)
ワコールのアンカーは久村香織。真木と同タイプの、安定感のあるランナーでした。
3位発進した旭化成は、これがラストランとなるソウル五輪代表の宮原美佐子。すぐに先行するニコニコドーを交わしてトップを猛追しますが、さらにその後ろから迫ってきたのがリクルート3人目のルーキー・有森裕子。後に女子マラソン界のレジェンドともなる有森が実業団駅伝に出場したのは、この年と翌年の2回だけで、そしてこれが唯一の区間賞となります。
いったんは宮原の前に出た有森でしたが、ゴール前の叩き合いではワールドカップマラソンで鮮やかなラストスパートを決めて銀メダルを獲得したこともある宮原が一枚上手。逆に4秒差をつけて2位でフィニッシュ、この時優勝したワコールに対しても、その差は11秒というところまで迫っていました。
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 2位宮原を猛追する有森裕子。左下はインタビューに答える松野。

ワコールの優勝タイムは1時間36分07秒で、前年京セラが記録した大会記録には8秒及ばず。しかし、これが4連覇への第一歩として、実業団女子駅伝の歴史に刻まれる快進撃が始まったのです。この時の総帥は、後にグローバリー、シスメックスを立ち上げた名将・藤田信之監督。95年の優勝以降は出場すら逃す大会が2年続き、98年に野口みずきらを伴ってチームを離れました。
21世紀のワコールは「福士加代子のワンマンチーム」というカラーに染まり尽くした感がありますが、現時点では一山麻緒、安藤友香というマラソン2枚看板を揃え、再び駅伝の覇権を競う候補チームへと変貌しつつあります。
なお4位以下は、ニコニコドー、ダイハツ、東陶機器、三田工業、川鉄千葉、というトップ8の顔ぶれでした。
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快記録続々!田中・一山も有終の美~ホクレンDC第4戦


『ホクレン・ディスタンスチャレンジ2020』第4戦の千歳大会が行われました。
本ブログでは女子長距離ビイキということで、これまで男子選手の成績についてはほとんど触れてきませんでしたが、最終戦の今回は特に男子のほうで見過ごせない記録が続々と誕生しましたので、そこを交えてお伝えします。
気象コンディションは16時現在で気温16.5度、湿度89%、南西の風3m/s。風はマイクに響くほど吹いていますが、バックストレート側を覆うように林が囲んでいる競技場の特性上、ホームが強い追い風、バックは微風という絶好の条件になっています。
今回も実況は大塚製薬・河野匡監督、解説は前半が川内優輝選手、後半は東海大・両角速監督でした。

◇男子3000mSC
昨年の日本選手権覇者・阪口竜平(東海大)の姿こそありませんが、3位から7位までが揃った今季初戦。先頭を走ると見られたキプラガット(愛三工業)のハナを叩いて楠康成(阿見AC)が速いペースで引っ張ります。後半はキプラガット、山口浩勢(愛三工業)、三浦龍司(順天堂大1)、青木涼真(Honda)の4人に絞られ、ラスト1周の鐘が鳴った時点ではキプラガットと三浦、高校時代からのライバル対決となり、7分15秒での通過。「ラスト1周70秒なら8分25秒!」と気色ばんだ河野監督でしたが、壮絶な競り合いはラスト1周(420m)を64秒にまで押し上げて、強いライバルを競り落とした三浦のタイムは何と8分19秒37。日本歴代2位・国内最高・日本学生新・U-20日本新記録、と、いくつもの肩書が付く快記録が誕生しました。特に日本学生記録は、新宅雅也さん(日体大→エスビー食品)以来、実に41年ぶりの更新です。
3位の山口、4位・青木も大幅なPB更新、多くの選手にとって実りある3000mSCの初戦となったのは祝着でした。
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◇男子5000m
開口一番のE組から13分台が飛び出す出足に、本日の活況への期待が高まります。
B組では「これでB組か?」というコメントが出るほどの有力メンバーの中で、昨年の日本選手権で故障を発症して以来久々のトラック登場となった塩尻和也(富士通)に注目。
13分45秒の設定タイムに多くの選手が追従し、ラストにスプリントが利かない塩尻が残り600でロングスパート。これに食い下がったのが、河合代二(トーエネック)と中学時代から怪童の名を欲しいままにしてきた石田洸介(東農大二高)。最後は深川で10000m27分台に突入し絶好調の伊藤達彦(Honda)が、いったん遅れた位置から猛然と巻き返して1着。
高田康暉(住友電工)に続いて3着に粘り込んだ石川のタイムは13分36秒89。仙台育英高校時代に佐藤悠基(佐久長聖高)と「ダブル佐藤」と言われていた佐藤秀和の記録を約3秒破る、高校新記録を樹立しました。
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続くA組は設定タイムが13分35秒。ペースメーカーよりも前に出た数人の集団に松枝博輝と遠藤日向(住友電工)が食い下がって、時には先頭にも出る勢い。強化選手2人の争いは、残り600で仕掛けた遠藤が制して13分18秒99の大幅PBで2位。5位に入った松枝もPB。そして6位に食い込んだ吉居大和(中央大1)が13分28秒31。これはU-20日本新記録!「ダブル佐藤」の悠基の方が持っていた東海大1年時のタイムを3秒41上回りました。
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◇女子3000m
B組では中距離の第一人者・卜部蘭(積水化学)が和田有菜(名城大)との競り合いを余裕で制して貫禄の1着。9分06秒18は大幅なPBです。
A組には、この2週間フィーバーし続けた田中希実(豊田自動織機TC)が有終の美を飾るべく登場。
今までのレースとは打って変わって先頭グループの後方に控えたのは、連戦の疲れということもあるでしょうが、むしろその状態の中で後半どれだけビルドアップできるかを試すプランだったのだと思います。
虎視眈々、2000mで先頭に並びかけると、残り800mで一気に身体が前に傾きました。スパートというよりは、それまでの2200mが助走でそこから800mのレースをスタートさせたかのように、次の1周を61秒台で突っ走ると、外国人ランナーたちを遥かにぶっちぎってしまいました。
ラスト1周を66秒でまとめて8分51秒49。ラスト1000mは2分43秒、800は2分07秒…世界に通用することになるかもしれない、見事なビルドアップでした。
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◇女子5000m
前田穂南と一山麻緒、マラソン代表の2人が臨む最終戦は、一山の快勝に終わりました。
3戦続けて田中希実と激闘を繰り広げたヘレン・エカラレがPM。しかし高校生のシンシア・バイレ(神村学園高)が70秒ペースで引っ張り、デンソーの外国人2人と一山・前田・矢田みくに・矢野栞(以上デンソー)・三宅紗蘭(天満屋)が追走。
前田は中盤からついていけなくなり、先頭グループに残る日本選手は一山と矢田の2人。3年前のこの大会で高校生ながら快記録を出した矢田が、久々の快走です。
3日前の10000mと同様、速くてもイーブンならば一山の対応力は抜群で、3600mでペースダウンしたシンシアに代わって先頭に立つと、最後は激しいトップ争いも、「高校生に負けるわけにはいかない」とばかりに見事に再逆転を決めて15分06秒66の大ベスト。田中に続いて胸のすくようなレースを見せてくれました。最後の1周は67秒。10日の間に10000を2本走った後のレースとしては、十分以上の結果でした。
前田は今回のペースには対応できず、後続にも抜かれて10位でフィニッシュ。しかしその前田まで、上位全員がPBというハイレベルなレースでした。
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最終レースの男子10000mでも、鈴木健吾(富士通)が最後ヨレヨレになりながらも27分台のPBで、盛況の大会を締め括りました。ちなみに日本選手の上位は洋平(愛三工業)、塁人(SBH)と、「鈴木」が独占です。
コロナ禍このかた、今季初めてとなる全国規模の大会が幾多の困難の中で開催されたことは、選手にとってもファンにとっても大変喜ばしいことでした。世界的に見ても、これだけの人数のアスリートが一堂に会してのイベントは、まだ行われていないと思われます。願わくば、今後2週間程度の様子見を経て、この大会でのウィルス感染者が出ませんように。
関係者の皆様、ありがとうございました。

一山、「世界2位」を奪取!~ホクレンDC第3戦続々報


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『ホクレン・ディスタンスチャレンジ2020』第3戦網走大会のダブル・メインイベントは、女子5000mAに続いて女子10000m。
1週間前の深川では、1戦消化した後の前田穂南(天満屋)の前に、実力差を見せつけられるかのような苦杯を喫した一山麻緒(ワコール)が、今度はローズメリー・ワンジル・モニカ(スターツ)の高速ペースに乗っかり、しぶとく粘った末に、PBとともに前田の記録をも10秒以上更新。30分38秒18でワールドリーダーとなったモニカに続いて31分23秒30、今季世界第2位の快走を見せました。
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スタートしてから一度もペースメーカー(日立のオマレ・ドルフィン)が先頭に立てない…モニカの高速ペースは終始3分03~04秒/㎞で押し通したのですが、一山は迷うことなくPMを追い抜いてこれを追いかけ、4000mまで食い下がります。離れた後もガックリと落ちることなく中盤を3分12秒/㎞前後でガマン。序盤で一山とともにモニカを追った松田瑞生がズルズルと下がったのとは対照的に、8000mを過ぎて再度ペースアップを図ると最後の1000を3分03秒でまとめ、マラソン日本代表として実力のほどを見せつけました。

この大会、試合の機会を奪われ、トレーニングでも制限を受けた中での過ごし方やモチベーションの持ち方が問われるものでしたが、「なるほど」と言いますか、すでに五輪代表が決まっている選手、そこにごく近いところにいる選手の走りが、男子も含め一様に、一味違うという印象があります。女子マラソン代表の前田・一山両選手は、その典型でしょうね。どちらも見ていてうっとりしてしまうような美しい走りが、研ぎ澄まされてきていますよ。一山の好タイムは、好コンディション(放送席の観測では気温15度程度、弱風)に恵まれた結果という要素もあり、直接対決で圧倒した前田が一歩リードの感がありますが。
田中希実フィーバーとは一度も交わることなく、もう一つの極上連続ドラマを見せてもらっているようなこちらのシリーズは、最終戦・千歳大会、5000mAに再び前田、一山、そして安藤友香らが干戈を交えてフィナーレを迎えます。
『ホクレン・ディスタンスチャレンジ』は、夏場の好条件下での記録会という気安さで多くの中長距離選手が活用している大会ですが、年末年始にオーストリア・ドイツで行われるスキージャンプの『4ヒルズ・トーナメント』のようにシリーズ優勝を競う大会になると、もっと盛り上がるかもしれませんね。そこまで行かなくても、「MVR(最高殊勲ランナー)」や「優秀選手賞」「敢闘賞」「新人賞」などを顕彰することを考えてみては、いかがでしょうか?
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田中希実がまた魅せた…14分台は惜しくも逃す~ホクレンDC第3戦・続報



前々回の記事で、田中希実選手(豊田自動織機TC)のハードワークぶりについて触れましたが、今日の実況を聞いていると、「11日には兵庫選手権の1500mが中止になったので、別の所へ行って4分15秒で走った」という話が出て、またまたビックリ!
するてえと、今日の5000mは7月に入って半月で5レース目!

結果は …

◇女子5000mA
2020071504
2020071505

期待どおりにスタートから先頭を譲らず、ラストの強烈なスプリントでエカラレを捻じ伏せる。記録を狙うには1000m以降のペースダウンが惜しまれますが、まあ、過密スケジュールのせい、と言っておきましょう。新谷もスピード練習がしたかったんなら、このレースでPMやればよかったのに!
レースがトレーニングを兼ねるのだとすれば、この2週間で彼女はまた恐ろしく強くなってしまったかもしれません。
ラスト1000mが2分50秒、400mが64秒。日本新を出した先日の3000mの上がりと遜色ないです。記録絶対ではなく、「勝てる」ペース配分を貫いた結果ですから、評価できますね。
常に田中の後塵を拝してはいますけど、萩谷楓の大PB(これまでは15分28秒13)も見事。
最終戦・千歳大会では、田中、萩谷ともに、3000mAに出場します。

※前回で速報したレースのリザルトを掲載しておきます。

◇女子3000mA
2020071502

◇女子1500m
2020071503

ギャラリー
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