もう再来週になりますが、8月4日(金)から、ロンドンスタジアムで第16回IAAF世界選手権が開幕します。
2年ごとに開催される世界選手権は、オリンピックの翌年、あるいは前年という位置付けのもとに、それぞれ独特の雰囲気が漂います。「翌年」にあたる今年は、毎度見られる新旧交代の様相が顕著ではなく、必ずしもオリンピックを競技生活の節目とは考えなくなっている近年の傾向を如実に物語っている一方で、全般的に記録の低調ぶり、それによる混戦模様という状況をもたらしているように感じられます。
◆今季の「世界」は戦国時代の様相
記録の低調、といっても、今季のWL(シーズン世界最高記録)を見る限りは、例年に比べて大きく見劣りするというわけではありません。しかしながら、トップ選手の成績が安定せず、またハイレベルな記録で激戦を展開したというゲームがあまり多くないため、勢力図がまとまらずどこか盛り上がりに欠けているというのが、シーズン前半を振り返っての印象なのです。
一例を挙げると、男子三段跳のクリスチャン・テイラー(USA)が、5月のDLユージーンで自身セカンドベストの18m11をジャンプして絶好調かと思いきや、ウィル・クレイが17m91を跳んだ全米で記録なしに終わり、続くDLローザンヌでもペドロ・ピチャルド(CUB)の17m60に敗れるというチョンボ続き。ここ一番の「6回目」に無類の強さを発揮するテイラーではありますが、ロンドンの絶対的大本命に推すには少しためらわれる…とまあ、これが今季の陸上界全体の状況を象徴している感じですね。
もちろん、種目によっては「絶対王者」を確信してよさそうなものもあります。
男子400mのウェイド・ヴァンニーケルク(RSA)、長距離のモハメド・ファラー(GBR)、女子短距離のエレイン・トンプソン(JAM)、800mのキャスター・セメンヤ(RSA)、走高跳のマリア・ラシツケネ(RUS=個人参加)、ハンマー投のアニタ・ヴォダルチク(POL)などはよほどのことがない限り揺るぎのない“鉄板”でしょうし、男子棒高跳のサム・ケンドリクス(USA)、砲丸投のライアン・クラウザー(USA)、女子100mHのケンドラ・ハリソン(USA)、円盤投のサンドラ・ペルコヴィッチ(CRO)あたりも、波乱の起きやすい種目の特性を差し引いて考えれば、「大本命」と言って差し支えない存在でしょう。
一方で、テイラー同様、従来「絶対王者」のイメージを構築してきた選手が力の衰えを感じさせたり、予期せぬ敗北に見舞われたりするシーンもまま見られます。
男子3000mSCのコンセスラス・キプルト(KEN)、円盤投のピョートル・マラホフスキー(POL)、女子三段跳のカテリン・イバルゲン(COL)などはその代表格でしょうか。
かと思えば、男子110mHのアリエス・メリット(USA)、女子やり投のバルボラ・シュポタコヴァ(CZE)のように、「忘れてもらっちゃ困る!」とばかりに健在・復活をアピールするかつての王者もいます。
そんな中で、ここ数年間と同様に今回も最大の注目を集めるのが、「最後のビッグゲーム」を明言しているウサイン・ボルト(JAM)です。
◆衰えしボルト×低迷する世界=???
「人類最速の男」の二ツ名を欲しいままに10年もの長きにわたり短距離界に君臨し続けたボルトは、今大会の100mと400mリレーをもって、現役生活にピリオドを打つことになっています。
2008年の北京オリンピックで世界中に衝撃を与えて以来、オリンピックでは100・200の2種目で3連覇。世界選手権では100m3回、200mと400mリレー4連覇。この間、金メダルを失ったのはフライングで失格となった2011年テグ大会の100mと、チームメイトのドーピングにより失効した北京オリンピックのリレーのみ。
100m9秒58、200m19秒19の世界記録(ともに2009年ベルリン世界選手権)は、現状他の誰にも手の届かない、未踏の領域に聳え立っています。
そのボルトが最大のピンチを迎えたのが、前回・2015年北京世界選手権の100mでした。
このシーズンは、春先からジャスティン・ガトリン(USA)が絶好調。33歳にして9秒74のPBを出したのを筆頭に、9秒7台を5回も叩き出してきたアテネ・オリンピックのチャンピオンに対して、北京・ロンドンのチャンピオン、ボルトは9秒87がベスト。本番の予選・準決勝でも好調を続けるガトリンの前に、絶体絶命かに見えました。この時点で、ガトリンが9秒8以上かかることは考えにくく、逆にボルトが9秒8を切ってくることは至難だろうと思われたのです。
そうして迎えた決勝。見かけの割に(?)緊張するタイプのガトリンが僅かにスタートを狂わせたのに対して、リラックスして飛び出したボルト。ゴール直前にもガトリンは、この年初めてとなった競り合う展開に固くなってバランスを崩し、ボルトに百分の一秒差で逆転を許してしまったのです。
1着ボルト9秒79、2着ガトリン9秒80。ボルトはSB、ガトリンはこの時点で、シーズン最も遅いタイム(予選等を除く)。
「キンシャサの奇跡だ!」と、40年前のジョージ・フォアマン対モハメド・アリの歴史的な一戦をつい思い出すような結果でした。
さて、昨年のリオ五輪でのリマッチを経て、今年の様相はどうでしょう?
まず肝心のボルトですが、今季はこれまで100mを2本走ったのみで、SBは10秒03(+0.2)。こう言っては語弊がありますが、日本人選手程度の記録しか残していません。
ボルトといえども31歳となり、9秒5台、6台で走っていた頃に比べれば力の衰えや故障に見舞われる頻度の増加は明らかで、果たして2017年8月時点での正味の実力は、9秒いくつなのか?
それを占う唯一の実戦が、今夜行われるDLモナコ大会ということになり、ここで少なくとも9秒90前後の記録で走っておかないと、本番は黄信号と言わざるを得ないでしょう。
ボルトがかつてのボルトではないとしたら、では誰がその玉座を襲い、ボルトに引導を渡すのでしょう?
となると、後継者候補もドングリの背比べ状態で、2年前のガトリンのような強力な存在が見当たらないというのが実情です。
ガトリン自身には、ボルト以上に力の衰えが感じられます。もう35歳ですから仕方ないところもあるのですが、それにしても今季序盤の惨敗続きは、2年前の快進撃からすると目を覆いたくなるほどの状態と見えました。
アメリカ期待の新鋭クリスチャン・コールマンが9秒82(+1.3)でランキングトップながら、全米予選ではそのガトリンに敗れて2着。真のトップに立つにはまだ学ばなければならないことが多そうです。
ボルト不在のジャマイカ選手権を9秒90(+0.9)で制したヨハン・ブレイクが、やはりポスト・ボルトの筆頭候補でしょうか。昨年のリオではやや“太目”と見えたコンディションが、今季はどこまで仕上がっているのか、でしょう。
リオでの銅メダルから一躍注目されたアンドレ・ドグラス(CAN)が、DLストックホルムで+4.8mの追風ながら9秒69で走って今季も順調。ネクスト・エイジから上がってくるとすれば、その筆頭候補と言って間違いありません。
あとは、9秒9台の記録で非常に安定しているアカニ・シンビネ(RSA)と好成績を続けているチジンドゥ・ウジャ(GBR)あたり…言い方は悪いのですが、この程度の選手が優勝争いの一角に名前が挙がってくるというのが、今季の男子100mの戦況なのです。
今のところ、9秒8台で走っているのはコールマンただ一人で、正直言って近年になく世界的にはレベルの低いシーズンとなっているのが、今季の男子100mです。
ここに、有終の美を目指すボルトにとっての運の強さ、みたいなものを感じてしまいます。
それを活かせるかどうかは、ボルト自身にどれほどのモチベーションがあり、ケジメをつけるに際していかなる覚悟をしているか、すべてそこにかかってくるのではないでしょうか。
それを探る意味でも、今夜のDLモナコのレースは、必見です。