ちょっと更新が滞ってしまいまして、気付けば『日本選手権』から2週間以上が過ぎてしまいました。
『ホクレンDC』も今日から終盤戦、そして今日は陸上月刊誌の発売日とあっては、「何を今さら」感は免れませんが、大会中最も印象深かった2つのレースに触れずしてすっとぼけるわけにはいきませんので、「遅い!」を承知の上で書き残しておきたいと思います。
⑦3000mSCの栄光について
男子3000mSCは、現在の男子長距離界最大のホープ・三浦龍司(順天堂大2)が初優勝、2位の山口浩勢(愛三工業)、3位の青木涼真(Honda)ともども標準記録を突破しての代表内定、レースでは12着と惨敗した塩尻和也(富士通)がWR圏内ということで補欠選手に選出される結果となりました。
「転倒しながら日本新・優勝」という三浦選手の強さが大いにクローズアップされたわけですが、彼はまだまだ、こんなもんじゃないですね。
ラスト1周(421m)の“上がり”タイムは、約66秒。コーナーの外周に水濠がある競技場は日本独特みたいなものですから、一概に“世界”との比較がしにくいのですが、5月に国立競技場で最初の日本新をマークした時には内周水濠のコース(390m)で約60秒。「世界標準」は57~58秒といったところで、3000mSCの場合は平場の5000mや10000mのように爆発的なスパートが長く継続する形にはなりにくいため、キプルトやケンボイなど、ケニアのトップ選手でも大体こんなものです。
三浦選手の「鬼スパート」は関東インカレの1500m、5000mや箱根駅伝予選会のハーフマラソン・ディスタンスでも実証済み。もはや日本国内では傑出した瞬発力と言えますし、「世界」に伍しても遜色がないレベルに近付いていると言えると思います。
さらに、三浦選手は非常にハードリングのセンスがよく、中盤まで省エネの足掛け方式、終盤で綺麗なフォームのハードリングに切り替えるというあたりもスタイリッシュかつ合理的です。
3000mSCの障害飛越技術というのは非常に奥が深くて、飛越そのものにかかる時間的効率と脚への負担、スピードの維持をどう折り合わせるかが、常に重要な課題となります。水濠障害をノータッチで越えたり足を濡らすことなく水濠を跳び越えていったりするケニア人ランナーを「凄い!」と言いますが、逆に水濠の深みに着水したり、遠くへ跳ぶことによって大きなスタミナ・ロスを被ることのデメリットも、併せて考える必要があるのです。通常の置き障害にしても、よほど楽に美しくハードリングをするのでなければ、むしろ一旦足を掛けて勢いをつけることで、スピードを殺さない跳び方をするほうが効率的な場合も、多々見られます。
三浦選手は序盤で障害飛越に関わる疲労と他者との接触のリスクを極力抑え、終盤では走力とともに障害飛越エネルギーをも解放させるため、流れのいいラストスパートを繰り出せるところが最大の武器となっています。
長い間、日本の陸上界にとっては「お荷物」的な存在だった男子3000mSC。特に日本はマラソンに人気があることもあって、この種目に専念するという人材が少なく、将来的にマラソンを見据えた一つのプロセスとして取り組むケースが多くありました。(三浦選手も、いずれはそういうことになるかもしれません)
しかしながら、私が陸上競技を現地で観戦するようになった中学生くらいの頃は、この種目がトラックレースの花形の一つでした。
順大OBの小山隆治(クラレ)が1971年から日本選手権6連覇。もう一人、竹内章(日立造船)というライバルがいて、両者で何度も日本記録を塗り替えながら常に激しいデッドヒートを繰り広げたものです。さらに、『スポニチ国際陸上』などにはキプチョゲ・ケイノ、ベン・ジプチョというケニアのトップ選手が来日し、「世界のサンショー」を披露してくれていました。72年ミュンヘン・オリンピックでは金・銀をケニアのその2人が占め、小山選手は予選で初めて8分30秒を突破する日本新で決勝に進み、9位になっています。これが、オリンピックにおける日本人選手の最高成績です。
小山選手の6連覇の後を承けたのが、新宅雅也選手(日体大~エスビー食品)です。4連覇を含む5度の日本選手権優勝。新宅選手はその後トラックの5000、10000、さらにはマラソンと距離を延ばして、最終的には史上最も激しい代表争いが繰り広げられた、88年ソウル五輪のマラソン代表となりました。アジア大会では3000mSC・5000m・10000mと異種目で3大会連続金メダル。オリンピックでも、不参加のモスクワから3000mSC・10000m・マラソンと異種目で3大会連続代表となった偉大なランナーでした。
「新宅時代」に1度だけ、日本選手権を制しているのが、現在陸連の重鎮であり、また『ホクレンDC』では本日も軽妙なパーソナリティを務めてくださるであろう、河野匡さん(筑波大:当時)です。
河野さんはむしろ、指導者となってから世にその名を知られる存在となった感がありますが、その大大先輩と言えるのが、1947年から日本選手権9連覇を果たした高橋進さん(広島陸協~八幡製鐵)。前の東京オリンピックの時代には君原健二さん(1968年メキシコシティ・オリンピック、マラソン銀メダル)のコーチとして名を馳せ、テレビのマラソン解説者としても1984年のロス五輪あたりまで、唯一無二と言える存在の方でした。
いま、「名選手から名指導者へ」の道を歩みつつあると思われるのが、2001年から5連覇、さらに1年置いて3連覇を重ねた岩水嘉孝さん(順大~トヨタ自動車~富士通)です。まさに三浦選手に破られるまで18年間、日本記録保持者であり続けた21世紀のレジェンドは、今年から資生堂の監督として、「強く、速く、美しい」女子ランナー育成の大任に就いています。
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この他にも、歴代日本チャンピオンの中には陸上長距離界で名を遺す名ランナーの名が並びます。
1961年優勝は、中央大黄金時代の一翼として箱根路に健脚を誇り、NTVの箱根駅伝解説でもお馴染みだった横溝三郎さん。
64年東京オリンピックの年には、大東文化大監督、関東学連会長、日大監督などを歴任した青葉昌幸さん(日大)。ただし青葉さんは、前述の横溝さんや後述の猿渡さんを含む五輪代表3人の中には選ばれませんでした。
翌65年からは、猿渡武嗣さん(八幡製鐵)が5連覇して、一時代を築きます。確か、66年か70年のアジア大会だったと思いますが、水濠で頭から墜落するように転倒しながら金メダルを獲得したことがあったという記憶があります。
外国人選手も正式参加を認められていた大会で、仙台育英高時代の94年に8分19秒21という大会記録、当時のジュニア世界記録を叩き出したダニエル・ジェンガ選手の走りは衝撃的でした。全国高校駅伝で史上初の3年連続区間賞、流通経済大進学後はさらに日本選手権を2度制覇。後にマラソンに進出し、東京国際マラソンと東京マラソン(初代王者)の両方を制覇した唯一人のランナーとなりました。
岩水さんが連覇中に唯一敗北を喫したのが、2006年、当時中央学院大の篠藤淳選手。今なお残る箱根9区の区間記録保持者です。最後の水濠、乾坤一擲のノータッチ・ハードリングで常勝・岩水を振り切った名勝負でした。2014年に再度王座に就いた、息の長い3000mSC専門ランナーです。
そして、6連覇の小山さん・8回優勝の岩水さん・新王者三浦選手とともに、脈々と伝統を受け継いでいるのが「サンショーの順天堂大」ですね。
88・89年に連覇した山田和人さん、92年優勝の仲村明さんは、86~89年に箱根駅伝V4を達成した順大黄金時代の超強力ツートップ。(ただし2人の4年生時は5連覇を阻まれる)
そして、2016年、順大1年時にリオ五輪代表となり、18年に日本選手権を初制覇した塩尻和也選手(富士通)。
日本記録もまた、小山さんの後、新宅さん(日体大)を挟んで岩水さん、そして三浦選手と、順大の面目躍如たる受け継がれ方をしてきています。
そしてまた、三浦選手の日本人離れしたスパート力も、順大の大・大・大先輩になる澤木啓祐さん以来だと思います。半世紀以上前のヨーロッパのレースでモハメド・ガムーディ選手やキプ・ケイノ選手をバッサリと斬り捨てたと言われる澤木さんのラストスパートもまた、順天堂大のもう一つの伝統として、若き三浦選手に継承されているような気がしてなりません。
そんな日本のサンショーがオリンピックの舞台で世界にチャレンジするのは、陸上競技が始まる7月30日の、しかも“いの一番”のオープニング・レースです!
⑧スプリント・ハードル界にも伝統の風
伝統についてもう一つ。サンショーだけでなく、男子110mHと400mHにも、根強い伝統校の勢力が隠然と残されていますね。
そう、ハードルといえば法政大の伝統です。今回も、110mHには金井大旺選手(法政大~ミズノ)が、400mHは黒川和樹選手(法政大2)がしっかりと名乗りを挙げています。
過去には、400mHで苅部俊二・斎藤嘉彦・為末大・岸本鷹幸と、立て続けに日本のエースを輩出。110mHのほうでは、今世紀初頭に「谷川・内藤時代」を築いた内藤真人さん(法大~ミズノ)、少し間を置いて矢澤航選手がトップで活躍しました。もっと古いところを言えば、1969・70年の日本選手権を勝ち、その後母校の教授・解説者として長く活躍された渡部近志さんという方がいました。3連覇を狙った大会でしたか、私の観戦する目の前で派手に転倒して敗れ去った姿を、よく憶えています。
ヨンパーには順大勢力というのも侮りがたく、山崎一彦・河村英昭・吉澤賢(現競輪選手)といったオリンピアンを輩出していますが、最近は少々低迷気味。
110mHの順大勢はそれに比べるとこれまで劣勢でした。パッと思い浮かぶのは、日本選手権を制し、その後ボブスレーで冬のオリンピックに出場を果たした井上将憲さんくらい。(確か、奥様は鯉川なつえさんでしたか?)
※7/15追記 初めて13秒台の世界を切り拓いた岩崎利彦さんを忘れてましたね!
ところが、その劣勢を一気にひっくり返す大攻勢に出ることになったのが、泉谷駿介選手と村竹ラシッド選手の大活躍でした。
泉谷選手には、たまげましたね。4月の織田記念での金井選手の日本新記録・13秒16にもたまげたもんですが、それを一気に0.1秒も更新して13秒06とは!!
0.1秒“も”更新したのはあくまでも金井選手の記録でして、自身のPBは実に0.24秒も、咋シーズンからは0.30秒も伸ばしちゃったんですから、まさかまさかでした。
その後を追うようにして村竹選手も予選で13秒28。「鉄壁」と思われていた代表候補トリオのうち、調子が今一つ上がってこない高山峻野選手あたりが食われそうな勢いを感じさせました。この時点では、泉谷選手のベストをも上回っています。石川周平選手ともども、決勝のフォールス・スタートは返す返すも残念でした。
男子110mHという種目は、ここ数年世界的に記録のレベルが停滞していて、先ごろの全米トライアルでは久々に12秒台の声を聞いたとはいうものの、主要な世界大会での優勝タイムは概ね13秒0前後。年間トップリストでも、泉谷選手の13秒06はここ5年間どの年でも世界の4位以内、仮に昨年ならナンバーワンとなる記録でした。
大体のところで言うと、世界大会の決勝進出ラインが13秒2台、13秒0台ならば確実にメダル争いというのが、目安となってきます。
ということは…調子が悪いといっても13秒37でまとめた高山選手(PBは13秒25)までを含め、日本選手は順当にいけば全員準決勝進出はまず安泰。そのまま決勝に3人の名を連ねることも、あながち夢ではありません。そして、再び13秒0台の記録が出るようなら…!
もちろん、五輪の大舞台で実力をまったく発揮できずに終わる、というのが日本人選手の悪しき伝統ではあり、殊にワンミスで奈落に転落するような種目のことですから、過度の期待はするべきじゃないんでしょうけど、でも、期待しちゃいますよねえ。
2004年のアテネオリンピックで谷川聡さんが13秒39を出して準決勝に進出して以降、私は日本の110mHにずっとやきもきし通しで、どちらかというとあんまり見たくない種目の一つになっていました。それが、この3年間で急激にこんな状況になるとは、想像もできませんでした。
世間的には100mの盛り上がりの方が遥かに上ですが、実はそれよりもずっと「世界」に忍び寄っている激熱種目、男子110mH。オリンピック選考会のフィナーレを飾る(実際にはその後、男女の200mが残っていましたけど)に相応しい、素晴らしいリザルトでした。











