◆「一発失格」の波紋

2009年にIAAFによって制定された「一度でも不正スタートをした選手は競争から除外」というルールは、大きな論議を巻き起こしました。トップ選手から中学校・高校の部活レベルに至るまで、現役アスリートに与えた衝撃は大変なものでした。
それほどに、「1回は許されるフライング」という認識が短距離走に浸透しきっており、常習的に故意のフライングを続けてきた人、そうした行為や状況への対処に心を砕いてきた人にしてみれば、「短距離走の一要素が全否定された」というくらいの心持ちになったのでしょう。

従来どおり、微細な筋肉の動きでもスタブロが検知すればアウトなのか、完全な静寂を期待できない陸上競技場で他の物音などに反応してしまった場合はどうなるのか、隣の選手が動いたのにつられた場合も同罪なのか……さまざまな“想定論”が取り交わされましたが、そもそも「不正スタート」ということに対する考え方の甘さが、このような議論を巻き起こしたのだと私は思っています。
スプリンターの中には長い選手生活の中で「一度もフライングなどしたことがない」という人が少なからずいるはずで、それは「ピストルの音を聞いてからスタートする、ただそれだけのこと」を真摯に実践してきた者は、よほど運悪く何か別の音や動きに反応してしまった場合はともかく、集中力を高めスタートの技術と反応に磨きをかけてきた結果、そういうスプリンターとして当たり前の資質を身に着けているに違いないと思われるからです。
それまで「フライングをしても構わない」とか「仕方ない」と考えてきたスプリンターは、「絶対にフライングをしない」技術を磨くという新たな短距離走の一要素に取り組む、そういう新しい時代になったというだけのことだ、と思ったわけです。

もう一つ。
短距離走を「観る」側からしますと、フライングの繰り返しによってレースが冗長になることは大いに観戦の妨げになっていたのですが、今度はレースの重要な登場人物である選手の誰かが、いとも簡単に戦わずしてレーンを去っていくという可能性が高まることが懸念されました。新ルールが本格的に導入された2010年から、それはしばしば「現実」となって、そのレースに多くの時間と努力を傾けてきたであろう、そして時には海を超えてはるばると1つのレースだけのためにやって来た選手が、たった1回の過ちで無情にも退去させられる光景に、当事者のみならず観る者もまた心を痛めることになったのです。

そして遂に、世界中の陸上ファンは「最悪の事態」を目の当たりにします。
2011年のテグ世界選手権・男子100m決勝で、連覇がかかっていた陸上界最高のスター選手、「人類最速の男」ウサイン・ボルト(JAM)が失格となった時、全世界が深い溜め息とともに一瞬、「なんでこんなルールにしたんだ?」とやり場のない思いを抱いたのです。
けれども、ボルトには申し訳ないですが、しばし後になって私はこうも思いました。
あのボルトでさえ、このルールのもとでは問答無用に失格になる。それは、スタートに対する修練と集中が未熟だったことへの代償として、当然のことと考えなければならない。当のボルトは、未練はあっただろうが潔くレーンを立ち去った。それは100%、未熟な自分の過失だと承知していたからだろう。悪いのはスタートへの集中をどれほど大切にしなければならないかを甘く見ていた自分に他ならないと、ボルトは瞬時に理解したに違いない……この出来事を糧として、100m競走のスタートは良い方向に変わっていくに違いない、と。

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自身のフライングを瞬時に自覚し、天を仰いだU.ボルト。この後すぐにユニフォームを脱ぎ捨てました。(2011年IAAF世界選手権)



◆現状…まだ課題は多いけど

2013年、ルールに微修正が加えられ、微細な体の動きなど「スタート動作とはならない」と見なされたケースについては、たとえ機械が検知してリコール音が鳴らされたとしても「不正スタート」とはならず、ただ「紛らわしい動き」「正常なスタート完了を妨げた行為」として「警告」に留める、というようになりました。「警告」は2回重ねると「失格」になりますが、選手は意図しない細かい動きにまで神経を配るストレスからは、いくらか解放されることになりました。

「一発失格」のルールはいまだに細部が流動的で、「これがベスト」と言える形には治まっていないように思えます。
スプリンターたちは「ただ一度」のスタートのためにいっそうナーバスになり、運営側もまた同様です。先日の日本選手権・女子100m決勝で、一人の不正スタートもなかったにも関わらず、スタートが3回もやり直しされるというようなケースも発生しており、「今のは“警告”か“失格”か、それとも“お咎めなし”か?」の判定に時間がかかることなどもあって、まだまだ理想の形には至っていないと言わざるを得ません。

ただ、「戦術的なフライングが1度は許される」という従来のスプリンターが持っていた考え方は、駆逐することができたのではないでしょうか。先駆けて「一発失格」を取り入れた競泳の例を見るまでもなく、「スタートとはそういうものであり、失格は不正スタートに対する当然のペナルティだ」という考え方さえ定着すれば、何の問題もなく受け入れられていくだろうと思うのです。
あとは、「まさかのフライング」をしてしまわないよう、選手個々がより一層スタートの技術と反応を磨き上げること、そして全員の選手にいいスタートをさせるためにスターターや競技進行を司る役員も技術をより高めること、そしてスタジアムで観戦する観客も、トラック競技スタートの時間には静寂を心掛けるよう協力すること、です。近い将来に、競泳会場がそうであるように、「On your marks!」(競泳では「Take your marks」)のコールとともに数万人の観客が静まり返る、という光景が当たり前のものになってほしいものです。

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◆(余談)
本当に0.1秒未満での反応はないのか?
先に、「計時装置は合図から0.1秒未満での動作開始を検知した時は自動的にフライングを報せる」というようなことを書きました。これは、生理学的に確実と思われる人間の反応時間の限界をもとに、ある程度の余裕をとって設定した数値だと思われます。現時点では、どんなに速い反応を示した人でも0.12秒程度、これ以上速い場合は、反則にはならないものの「一発引っ掛けた」可能性が高いと思われます。
けれども、素人考えではこうも思われます。「本当に、人間が0.1秒未満で反応することはあり得ないのだろうか?」
100mを10秒を切るタイムで走破する、ということ自体が一般人にとっては「信じられないような超人の領域」なのですが、その上にスタートでピストルの音を聴いてから0.1秒未満のうちにスタートを開始できる「超人」がいたって、おかしくないのじゃないか?……という疑問です。

これはまったく私の個人的見解なのですが、過去に1回だけ、その奇跡を遂げた「超人」がいたのではないか、という「疑い」を持っています。その「超人」は、誰あろう1988年ソウル五輪で男子100mにいったんは「優勝」しながら、筋肉増強剤によるドーピング違反が発覚して成績を没収された、あのベン・ジョンソン(CAN)です。
ソウル五輪の男子100m準決勝で、ジョンソンは1度フライングを犯しました(当時のルールでは即失格ではありません)が、本人は驚いたような呆れたような表情で「冗談言うなよ!」といった仕草をしてみせました。この時のフライングは、一見正常なスタートが切られたかのように見えながら計時装置がジョンソンのスタート反応を「0.1秒未満」と検知してリコール音を鳴らしたもので、彼自身には嘘偽りなく「自覚」がなかったようなのです。結局渋々ながらも再スタートに応じたジョンソンは、今度も素晴らしいスタートを切って楽々と決勝進出を決めました。

この大会でのジョンソンは、「ベン・ジョンソン、筋肉のカタマリ!」という実況フレーズが有名になったほど、上半身・下半身ともに鎧のような筋肉に覆われ、まさに短距離走者として究極の肉体を誇示しているように見受けられました。後になってそれがドーピングの恩恵であったことが明らかになるのですが、そうして研ぎ澄まされた肉体はまた、針のように鋭く繊細な集中力をもたらしており、その結果が通常ではあり得ない「0.1秒未満の反応時間」を実現してしまったのではないか、という気がするのです。
もしそれがそのとおりだったとしても、ドーピング違反を犯していた以上はやはり通常ならばあり得なかったことになり、そこで「真実」を探ることは無意味ということになるでしょう。ただ、今後人間が今以上の鍛錬によって反応時間を短縮することができないとは言い切れないのでは?…という疑問は残ります。(あくまでも素人考えとして、ですよ)
そうなった時、あるいはその「聖域」が脅かされるようなデータが出るようになった時に、再びこの「0.1秒」が論議される時代が来ないとも限らない……まあ、これもファンとしての一つの「夢」ではありますね。