covid19禍でオリンピックをはじめ多くのスポーツ・イベントが開催不能となった昨今。テレビ各局の放送枠や定期刊行物のネタにも大きな穴が開いて、それじゃあしょうがないとばかりに、懐古的な映像や記事でその場を凌ぐ企画が多い中、ご多分に漏れず始めさせていただいたこの連載も、10回目を迎えました。ま、私の場合は外出自粛の期間、期せずして古いビデオの大量整理という時間がとれたことが、大きな理由なんですけどね。

陸上競技に関しては、先月号の『月刊陸上競技』、そして今月NHKで放映された『日本陸上競技選手権名場面・名勝負』でそうした特集がありました。感慨深かったのはどちらの企画でも「イチ推し名勝負」の位置づけにあったのが、2005年の第89回日本選手権・女子走幅跳、花岡麻帆(Office24)と池田久美子(スズキ)の死闘だったことです。

これはもう、日本陸上競技史上第1位、究め付けの名勝負だったですね。
単にこの時の接戦が凄まじかったというだけではありません。両者は何年にも渡って日本一を決めるこの舞台で、数センチ差で抜きつ抜かれつを繰り返し、勝ったり負けたりを続けていました。しかもそれが常に6m50~60台という当時のB標準クリア、本番のオリンピックや世界選手権ならトップ8当確ラインというハイレベルで争ってきた「名勝負数え唄」の、雌雄を決する一戦だったところに「史上最高の名勝負」たる所以がありました。(花岡・池田の時代はLJに関しては“世界”のレベルが低迷期にあり、6m60で入賞、80ならメダル争い、7mで金メダル有望といった状況。それに比して標準記録のハードルが実情よりも高かったのです)

2003年の横浜での大会の時は、私は砂場の真正面で観戦していました。2005年も、旧国立競技場で行われていたため私は現地観戦がしたくて堪らなかったのですが、ちょうど毎週日曜日にラジオの生放送というレギュラーの仕事がありまして、放送の終わったスタジオで、同じく陸上オタクのプロデューサー氏とともにTVに噛り付いていたものです。
しかもしかも、両者6m69の同記録で並んでセカンド記録の僅かな差で花岡がリード、さあ後は池田の6回目を残すのみ、という場面でTV中継が終了する、何ともはや!な展開。
家に帰ってネットでリザルトを見てみると、そこには全選手の試技順に6回の試技内容がきっちりと表記されていて、二度見、三度見するまで、どちらが勝ったのか判断できませんでした。ご承知のとおり、ラストジャンプで池田が花岡のセカンド記録に並んだため、サード記録の僅か2センチ差で池田が優勝。まさに紙一重、乾坤一擲の大逆転劇だったのです。

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そうした名勝負の数々を生み出してきた日本陸上競技選手権は、言うまでもなく4年に1回のオリンピック・イヤーには独特の熱気に包まれ、悲喜こもごものシーンが連続します。
今回“発掘”した『第80回』は、アトランタ・オリンピックの選考会。前述の『月陸』や『NHK』にもいくつかの種目が取り上げられている、中身の濃い大会でした。
時は1996年6月6日から9日の4日間。このうち2日目以降の3日間が、NHK総合地上波で放送されたようです。
舞台は新装こけら落としの大阪・長居競技場(現ヤンマースタジアム長居)。当時大阪市はオリンピック招致活動真っ盛りで、そのメイン会場に擬せられていたスタジアムです。9レーン走路と5万人弱収容のキャパ、ホーム・バックともに屋根が覆い、風の影響を受けにくく、サブトラックまでもが第1種公認競技場という、当時としては「日本一の陸上競技場」と呼ぶにふさわしい威容を整えてのお披露目イベントでした。
さらに、この大会では男女の短距離種目で日本新記録が続出して、早くも「高速トラック」の名を欲しいままにしていきます。

なお、このシーズンから日本陸連の用語ルールとして、「コース」「ゼッケン」「ゼッケン番号」という用語が廃止され、それぞれ「レーン」「ナンバーカード」「ナンバー」に改められました。シーズン当初から、実況アナウンサーたちが注意深く正しい用語を選んでいる様子が、ちょっと面白かったのを覚えています。


◇女子短距離

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この頃は、北田敏恵(大阪体育大T&F)の全盛期です。26歳になっていた女王・北田に、新進気鋭の吉田香織(金沢大/現姓:高野)や新井初佳(甲南大/現姓:小島)、島崎亜弓(中央大/…ええと、確か旧姓に戻ったかと)らが挑みかかる、といった図式でした。
100mの準決勝で11秒48(+0.5)の日本新記録を出した北田は、そのまま決勝も前日本記録保持者の吉田以下を寄せ付けず快勝。タイムは11秒53(+0.4)に留まり、A標準の11秒44にはもう一歩届きませんでした。

ちなみに、アトランタ五輪の選考基準については番組内でほとんど語られることがなく、また標準記録はA記録だけが紹介されており、こんにちのように執拗なほどに選考条件を説明する、ということがありません。北田の100mはおそらくB標準を破っていたものと思われるのですが、選考の俎上に上ることはなかったようです。
また、男子110mHでは、穂木宜昭(三洋信販)がA標準を突破して優勝したにも関わらず、代表からは漏れていたりします。標準突破済みで今大会に優勝した男子やり投・溝口和洋(ゴールドウィン)も同様です。陸連の選考方針が、まだまだ不透明だったことを伺わせます。

北田は200mも自身4月に出したばかりの日本記録23秒73に迫る23秒76(+1.0)で圧勝、両種目とも3連覇、4度目の優勝となりました。
スラリとした長身にハイネック・ハイレグのファッショナブルなレーシングスーツを纏った姿は見目麗しく、女子短距離の一時代を築いた名選手と言ってよいでしょう。

◇男子短距離
初日にこの大会最初の日本新記録を叩き出したのは、200m予選の伊東浩司(富士通)。20秒29(+1.1)は、従来の記録を0.15秒も上回るもので、解説の渡部近志さんが何べんも「大記録です」と言うほどのワールドクラス・レコード。アトランタのA標準が20秒84ですから、推して知るべしです。
この記録に自身でも興奮してしまった伊東は、その晩まったく寝付けずに2日目の準決勝・決勝を迎え、優勝しながらもそれぞれ20秒90、20秒70に留まって、「正直、バテてしまいました…」と感想を漏らしました。そのまま100mの方は棄権ということになります。
それにしても、A標準突破者は伊東以外にも何人も現れ、この頃から200mは日本にとってのターゲット種目となってきたようです。

その100mでは、朝原宣治(大阪ガス)が伊東不在の重責を担います。この頃の朝原は、むしろ走幅跳を“本職”とするいわゆる二刀流。この大会でも、LJ決勝の1回目を跳んでから100m決勝、というお忙氏ぶりです。
3レーンに井上悟(ゴールドウィン)、4レーンには現在桐生祥秀の指導者として知られる土江寛裕(早稲田大)という若手を従え6レーンに登場した朝原は、予選で既に10秒34のA標準を突破する10秒26、準決勝10秒28で貫録を見せ、この決勝でも無人野を行くごとき快走で、ぶっちぎりの1着。10秒14(+0.9)は自身の記録を0.05秒破る会心の日本新記録でした。2着土江も10秒33で単独種目の代表権を獲得、井上は4着に沈みながらも実績が評価されてリレーメンバーに選出されています。
アトランタでの朝原は、ベストに迫る10秒16で走りながら惜しくも準決勝で敗退。伊東を加えた400mリレーは予選で失格という残念な結果でした。

◇金沢イボンヌ登場
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女子100mHはこの年、一気にブレイクの時を迎えていました。主役は、アメリカ育ちの金沢イボンヌ(佐田建設)。コロラド大在学中の前年、日本選手権を初制覇しています。春先に小林尚子(森永製菓)が13秒33の日本新記録を作りますが、その少し前に金沢は13秒09を記録しており、これが5月になって改めて公認されました。1964東京五輪(当時は80mH)の依田郁子さん以来低迷をかこっていたこの種目に、逆輸入の新風を巻き起こしたなどと言われましたが、彼女が急成長を見せるのは国籍を日本と定め、日本人として走る選択をしてから後のことですから、その言葉は失礼かもしれませんね。
今大会の時点では、「金沢イボン」という表記・呼称になっており、実況の工藤アナは「スコット金沢イボン」と紹介しています。また陸連の歴代優勝者リストによれば、「S.金沢イボンヌ」となっています。(翌年からは「金沢イボンヌ」)

3レーンから順に小林、佐々木あゆみ(ミキハウス)、金沢という歴代の日本記録保持者が並んだ決勝では、小林が見事なレースメイクで先行し、スタートのあまり巧くない金沢が追う展開。しかしながら中盤以降の金沢のリズムアップは圧巻で、小林に1メートル弱の差をつけて故国の女王の座を射止めました。
優勝タイムは13秒08の日本新記録(-0.1)。僅差で続いた小林にも13秒14のA標準突破が期待されたものの、インタビュー中に届いた正式結果は無情の13秒17。思わずガックリと項垂れましたが、堂々たるPBでした。
これで連覇となった金沢は、その後6連覇を含む8回の日本一を達成、アトランタとシドニーの両五輪に出場し、100mH中興の祖としての名を歴史に刻みました。2000年の日本選手権でマークした13秒00(+0.7)が昨年まで日本記録として燦然と輝いていたのは、ご承知のとおりです。

◇女子走幅跳
ジョージメイソン大留学中にA標準を突破する6m61の日本記録を樹立した高松仁美(埼玉大)に期待が集まりましたが、降り出した雨のせいもあり全般的に記録は低調。前日の100mHで3位だった佐々木あゆみが、6m35の記録で6回目に逆転、5年ぶりの日本一に輝きました。
冒頭でご紹介した花岡麻帆が順大3年で、また池田久美子は日大山形高1年で、それぞれ初々しいジャンプを見せているのが感慨深い映像です。また、池田・花岡時代の次を担った岡山沙映子の姉・奈津子(筑波大)の姿もあります。(ワタクシ中学生の頃、この姉妹の母上である香丸恵美子さんの追っかけファンでした)
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結局3位に終わった高松の代表選出はならず、女子フィールド種目ではやり投の宮島秋子(日本電装)が唯一のアトランタ代表となりました。
男子もフィールドは走高跳の野村智宏(日本大)、棒高跳の米倉照恭(ゼンリン)だけという寂しさで、親子二代の代表を目指した室伏広治(中京大)は、20連覇中の2連覇目を飾るも標準記録には届きませんでした。

◇男子10000m
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この大会随一の「名勝負」として、やはり懐かし企画に必ず取り上げられるのが、この種目です。
10000mは男女とも、日本選手権標準記録突破者が多く出て想定以上のエントリーがあり、初日に予選が行われるという事態になっていました。(オリンピックでは1972年から2000年まで、10000mの予選が行われています)
男子では9人のA標準(28分10秒00)突破者がおり、そのうち1人が不出場で4人が予選で脱落、決勝には渡辺康幸・花田勝彦・平塚潤・川内勝弘(いずれもエスビー食品)と4人の“有資格者”が駒を進めてきました。
一方、本来なら代表候補最右翼の高岡俊成(鐘紡)はこの時点で“資格なし”。何としても本番での突破を狙う高岡に、大会連覇中のA.ニジガマ(日清食品)や初優勝を狙うS.マヤカ(ダイエー)らの思惑が絡んで、“恵みの雨”の中での高速レースが期待されます。(当時は、外国人選手も正式参加の扱い)
その他見渡せば、島嵜貴之・本田竹春(以上ヤクルト)・高橋健一(ダイエー)・夏目勝也(トヨタ自動車)・藤野圭太(九電工)・池田幸康(四国電力)・井幡政等(鐘紡)・川嶋伸次(旭化成)・武井隆次(エスビー食品)・福島雄一郎(九電工)・磯松大輔(コニカ)と、オールドファンには堪らない顔ぶれがスタートラインに連なります。
しかしながら、レースが始まると、「その他」以下の選手の出番はほとんどありません。
先頭に立ったニジガマが400m64秒、1000m2分43秒と申し分のないペースを作り、マヤカ、高岡、渡辺、平塚、川内、花田…と続く縦長の展開。2000m過ぎ、好位につけた高岡をSB軍団が次々と交わしていき、早くもチーム一丸となっての戦略が伺えます。この包囲網を凌ぎきること、そして自らのタイムをA標準に届かせることが、高岡にとっての厳しい命題です。

4000mを過ぎて、早くも先頭集団は7人。川内が脱落し、標準未到達者で残っているのは高岡と福島のみになりかけたところで、磯松と高橋が懸命に食らいつきます。5000m通過は13分53秒。日本記録のペースからは4秒遅れているのみ。
7300mで遂に先頭は6人。エスビー3選手に高岡、そしてブルンジとケニア。8000mを過ぎて先頭ニジガマのペースが緩み、しばし後方で小休止を決め込んでいたマヤカがするすると先頭へ。しかしペースはさほど上がらず、まさに嵐の前の静けさです。
勝負師の風貌を持つ花田が、しきりに周囲の様子を伺います。高岡は6人の最後尾からいったんインが開いたところを上がりかけるも、エスビー勢に包まれる形で再び後退。
残り650メートルで、待ちきれないとばかりに平塚がスパート。これを冷静に捌いた花田が先頭に立ちますが、なおも四方を確認しながら脚を溜めようという動き。競輪で言うところの「ペース駆け」です。平塚、渡辺、高岡、ニジガマと続いてマヤカは脱落。
すでにA標準突破は間違いなく、このレースでの日本人上位3人がそのまま代表に選出される公算大…となれば、4人のうちの1人だけが落選の憂き目を見ることになります。果たしてエスビーの独占か、高岡の逆襲はあるのか…?
鐘を聞いて、先頭の花田がようやく全開のラストスパート。バックストレートでは2番手に上がった渡辺に5メートルほどの差をつけ、勝負ありかとも思えましたが、4番手にいた高岡が第3コーナーから大きなストライドで猛追開始。平塚、渡辺を抜き去り、外から捲りにかかったのを、花田が身体を寄せてブロックを図るところを瞬時にインを衝き、きっちりと差し切って1着。タイムは27分49秒89、スリリングなラスト1周は57秒というレベルの高い日本一決定レースとなりました。

高岡は「いいレースができました。標準も切っていなかったので逆に開き直って余裕があった。きついよりも嬉しいが先に来てます」と、会心の笑顔でインタビューに応じる傍らで、花田もガッツポーズを見せて満足の表情、渡辺も「本当にいいレースだった」と一言。
レースの内容もさることながら、この28分間の激闘をCMも(NHKなので当然ですが)他種目の挿入もなく「完全中継」したのは、滅多にないファインプレーでした。女子10000mでも、同じようにノーカットのレースを見せてくれます。「長距離走は視聴者が飽きる」と決めつけ、CMを5回もぶち込んだり要らないフィールドの実況を交えたりを当たり前と考えている民放局の制作者には、ぜひこのレースの映像を見直してもらいたいものです。

◇男子400mH
10000mと同じく3つの椅子を4人が争う形勢で緊張感が高まったのが、最終日に行われたこのレース。前年の世界選手権で7位入賞を果たした山崎一彦(アディダスTC)には王者の風格が漂う一方、プラス2の3番手で決勝進出を阻まれたバルセロナの雪辱に燃える斎藤嘉彦(東和銀行)、マイルリレーの主要メンバーでもあり代表を逃すわけにはいかない苅部俊二(富士通)、そして唯一学生の河村英昭(順天堂大)がその左右を囲みます。この時代のヨンパーの勢力図、「法政vs.順天堂」がダイレクトに反映された、2対2のがっぷり四つです。
レースは終始軽快なハードリングでトップをひた走った山崎がそのまま押し切って48秒75、一つインレーンからこれをマークし続けた苅部が48秒99で2着。
斎藤は一つインの山崎に第3コーナーで追い抜かれたところで力みが入ったか、直線で明らかに伸びを欠いて河村の追い込みを許しました。日本人として初めて49秒の壁を突破し、ヨンパー台頭の急先鋒として5年間守り続けた代表の座を滑り落ちる結果となった斎藤は、ゴールインするや倒れ伏し号泣。それを先輩の苅部が気遣う様子が印象的でした。
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鎬を削り合う中から頭ひとつ抜け出た感のある山崎は、意外な感じもしますがこれが日本選手権初優勝。以後2001年まで、ヨンパーの覇者は苅部-斎藤-山崎-河村-為末大と、毎年入れ替わります。
山崎はアトランタの予選で楽々通過するかに見えながら、ゴール前で流したことが裏目に出てまさかの敗退。世界選手権では為末とともにただ2人だけのファイナリスト。オリンピック決勝のカベの高さ、というものを象徴するハードラーだったと言えるでしょう。

◇女子10000m
男子に劣らぬ好レースが約束されたかのような18人の決勝メンバーには、日本記録を更新したばかりの19歳の新星・千葉真子(旭化成)、マラソン代表を僅かのところで逃した鈴木博美(リクルート)、負けん気の強さでは定評のある高橋千恵美(日本ケミコン)、本命と思われた5000mを捨てて賭けてきた弘山晴美(資生堂)、その5000mで3位に食い込み代表入りの可能性を持ちながら大会3レース目に挑んできた岡本幸子、同学年の千葉に同じ宮崎のチームでライバル心を燃やす川上優子(以上沖電気宮崎)、大卒社会人となってから急成長の兆しを見せる高橋尚子(リクルート)、さらに坂下奈穂美(ワコール)、エスタ・ワンジロ(菅原学園高)、上岡正枝(ノーリツ)、村中眞保美(NEC)、市河麻由美(三井海上)、増田裕美(沖電気宮崎)…と、豪華絢爛な顔ぶれが並びます。

スタートしてすぐに先頭に立った千葉が、1000mを3分12秒というややゆったり目のペースで通過。しかしそこからの1000を3分03秒とペースアップしたため、隊列は長くなり、3000mまで行かないうちに、先頭は千葉・鈴木・川上の3人に絞られてしまいました。これを追う4位集団は、坂下・岡本・エスタ・弘山・高橋千・高橋尚の6人です。
5000mを15分36秒の日本新ペースで通過すると、鈴木が先頭へ。6600mでは千葉が首位奪回。川上は終始3番手の位置をキープ。ラストにスプリントが利かないことを自覚している千葉は、何とかしてペースアップを図り独走に持ち込みたいところなのですが、鈴木・川上の調子が上回っている様子でそれが叶いません。
8900mで再び鈴木が先頭。3人の縺れ合いは、鐘を聞いてそれぞれが渾身のスパートを放っても、9900mまで続きました。そこから鈴木がスプリントを利かせて一気に差を開き、川上も僅かに千葉を差し切って、鈴木・川上・千葉と順位が変わってフィニッシュ。ラスト1000は2分59秒、400は67秒というビルドアップでした。
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タイムは31分19秒40の日本新記録、現在でもなお大会歴代4番目の優勝記録で、進化を続ける女子長距離界で24年前の記録であることを思えば、そのレベルの高さが伺えます。この頃の女子長距離トラックは本当に強かった時代で、本番のアトランタでは千葉が5位、川上が7位に入賞。5000mの志水見千子(リクルート)はメダル争いにこそ絡めなかったものの4位入賞。
マラソンからトラックへの方向転換に首尾よく成功した鈴木は、アトランタは16位と不振でしたが、翌年のアテネ世界選手権で再度マラソンに挑み女王の座を掴みました。
3強に続いては約23秒差で弘山が4位。この結果と実績が評価されたか、5000mで3番目の代表に選出されました。10000mでは翌年の大会でラスト62秒の猛烈なスパートを炸裂させ、3強をまとめて破り初優勝しています。
5位の高橋尚子は31分48秒23のPBで、24歳にして一流ランナーの仲間入り。2年後のマラソンでの大ブレイクの布石としました。

全般に標準記録の設定が甘めな感があった(参加人数が多く設定されていたので)とはいえ、トラックに関しては現代に比べてもレベル的に見劣りしない大会だったと総括できましょう。特に女子長距離では、マラソンを含め本番で見事な結果を残しているのですから、そりゃあ選考会も盛り上がりました。男子短距離陣も、現在と遜色のない充実ぶりだったと言えます。いい日本選手権でした。