改めて。
田中希実選手(豊田自動織機TC)が『ホクレン・ディスタンスチャレンジ2020』
7月4日、第1戦士別大会1500mで日本歴代2位の4分08秒68、
7月8日、第2戦深川大会3000mでは18年ぶりの日本新記録となる8分41秒35で、
在日外国人選手有数の強豪ヘレン・エカラレ(豊田自動織機)を破って連勝を飾りました。
加えて、12日には兵庫選手権の800mに出場して2分04秒66の兵庫新記録。その前日には豪雨のため中止とはなったものの、1500mの出場も予定していました。これで、15日にはホクレン第3戦の5000mで14分台の自己記録を狙い、18日には3000mで再度の日本新を目論むというのですから、そのハードワークには驚きます。

連戦と種目のマルチぶりについてはさて置き、しばし「1500mと3000m」という話題で、たまたま本ブログにちょっとした偶然の暗合があったものですから、それについて書いてみます。

7月7日に投稿したばかりの『1983年世界陸上競技選手権ヘルシンキ大会』の記事で、大会のヒロインの一人となったメアリー・デッカー選手(USA)について紹介しました。
http://www.hohdaisense-athletics.com/archives/35487640.html
1983HELSINKI09
デッカーはこの大会で、当時のトラック女子最長距離種目だった3000m、続いて1500mを制して2冠女王となり、一躍世界のスター選手として脚光を浴びました。そのレース・スタイルは、徹底した先行逃げ粘り。「私の前を走るのは許さない!」絶対に先頭を渡してなるものかという強気なレースぶりが、人気の理由でもありました。
その優勝タイムは、
1500m 4分00秒90
3000m 8分34秒62
これが37年前の現実です。田中選手の大活躍に水を差すつもりはないのですが、いやー、まだまだ世界は遥か彼方ですね。
いま、2020年の時点で眺めてみると、現在の日本記録がこの大会の優勝記録を上回っている種目は、女子ではマラソンを除き、残念ながら1つもありません。5000m・10000mといった種目があれままた、話は違ってくるでしょうが、前述のように3000mがトラックの最長距離種目でした。銅メダル、というところへハードルを下げてみても、上回るのは走高跳1種目のみ、その走高跳も2001年にようやく83年の銅メダル記録を1㎝上回った後、日本記録の方はまったく更新の気配が見られません。

一方の男子はというと、規格の変わったやり投を除く23種目中、15種目で現在の日本記録が上回っています。
象徴的なのが、長年「世界との距離」を思い知らされてきたスプリント種目で、100mではカール・ルイスの優勝タイムが10秒07(-0.3)。これは近年の日本選手権とほぼ同レベル、と見ることができます。また当時の“高地記録”を除いた世界最高記録が、同じくルイスの9秒97(+1.5)。現在の日本記録がサニブラウン・ハキームの9秒97(+0.8)で、ちょうど「30数年前の世界レベルに追いついた」状況となっています。(やっとそんなもんか、という気もしますけど…)
400mリレーでは、9秒台を2人(ルイス、カルヴィン・スミス)擁したアメリカの優勝記録が37秒86の当時世界新記録。これは2019年の日本チームが同じく9秒台2人(桐生祥秀、サニブラウン)を擁して37秒43と、バトンワークの優位性を物語るように大きく上回っています。
ちなみに、男子でまだ上回れていない種目は、800m・400mH・3000mSC・走幅跳・三段跳・砲丸投・円盤投・十種競技の8つです。
※十種競技もやり投を含んでいるため厳密には現行記録と比較はできないが、現日本記録と83年の優勝記録との隔たりが大きいため、明らかに優劣が判断できるものとしています。

以上のことには、1980年代の陸上競技の記録が東欧圏の選手群を中心とした「推定ドーピング疑惑」に塗れており、その兆候が女子に於いてより顕著だという特殊な事情も関係していると思われますが、本質的には日本の女子アスリートのレベルアップが甚だしく遅れている、もしくはマラソン1種目に特化されている、という厳しい事実の記録的な裏付けだと、解釈されましょう。
日本女性の競技力の向上ぶりは、他のさまざまな競技を見る限りは実に目覚ましいものがあって、近年のオリンピックでの日本選手団の成果は、圧倒的に女子選手による活躍の話題で彩られています。そうした中で、陸上競技だけがいつまで経ってもカヤの外、という状況が、何とも寂しく、もどかしい。どうにかならないものか、というのが陸上ファンの切なる気持ちとしてわだかまり続けているのです。

マラソンを別にすると、オリンピックの歴史上で陸上のメダルを獲得した日本人女性は、人見絹枝さんのみ。(1928年アムステルダム大会800m銀メダル)
同じく世界選手権では、千葉真子さんだけです。(1997年アテネ大会10000m銅メダル)
入賞ということでさえ、指を折って数えるほどしかありません。
子供時代から長期にわたって陸上競技に打ち込む環境、特に文化的な環境が、日本人女性の場合他の様々な要因によって整い切らないという事情があるかもしれません。あるいは、全般的な指導法や組織的な強化方法に、何らかの改革が求められるのではないか、とも言えるでしょう。一概に比較は難しいとはいえ、近年日本人女性が躍進を遂げた多くの競技(スピードスケート、アイスホッケー、バドミントン、自転車、新体操等々)に於いて、外国人指導者の起用や強化体制の見直しが劇的に作用した例があることは、見習うまで行かずとも十分に検討するに値することです。端的なエピソードとしては、MGC方式の考案によって、低迷が続いた男女マラソン界にも一挙に活気が戻りつつある、という身近な実例もあります。

もう一つ、特に中長距離走に於いて確かに言えることは、記録に対する、というより自己実現に対する必要不可欠の要素は、「前へ、前へ!」の姿勢だということです。
ケニア人やエチオピア人ランナーのような柔軟かつ鋭利なスピードを駆使したレースを望むべくもない日本人女子選手が、世界と戦うために採るべき選択肢は、速いペースで押し切る力と最後の粘り腰を磨くこと以外は、今のところありません。ペースメーカーには、「風よけ」以外の使い道を考えるべきではないでしょう。
それを体現しようとしている数少ない選手が田中希実選手であり、新谷仁美選手であり、廣中璃梨佳選手なのです。千葉真子さんもまた、然り。そして、もちろんメアリー・デッカーも。

女子のトラック&フィールドが躍進するためには、技術的にか戦術的にか、精神的にか文化的にか、何らかの改革が必要なことは確かです。その先鞭をつけるべきは、やはり創意と工夫と地道な努力の余地が多く残されている中長距離から、ということになるでしょう。
田中選手には、ぜひその急先鋒となっていただきたいと思います。ホクレン第3戦の網走大会5000m、今度はヘレン・エカラレだけではなく、在日ケニア勢が大挙して相手になります。先頭に立つか否かは相手次第。期するところは頑なに1周72秒。ラスト1000を2分50秒。それだけでいい。