<第2回>1997年世界陸上競技選手権アテネ大会(後編)

前編では、競技の内容よりも、このビデオに残された放送番組のありようについて、ちょっと突っ込んだお話を書かせていただきました。
「視聴率を上げる」という民放としては当然の目的に即したこととはいえ、TBSが現場に忠実であるべきスポーツ中継にバラエティ番組の手法を過度に流用し、見るに堪えないほどの低俗番組に仕立て上げていく、その第一歩がこのアテネ大会であったというお話です。
その後TBSでは陸上のみならずこの方針がエスカレートします。プロ野球中継では画面をCGだらけにしてボールがどこにあるのか分からなくなったり、ボクシングでは弁慶の格好で登場させるなどの不粋な演出で某選手を売り出そうと本末転倒、結果社会的問題にまでなった大騒動の一因を作ったりもしたものです。
スポーツ報道の本質を見失った同局の暴走は、もしも同一大会に複数の中継局の参入が許されるものなら真っ先に排斥されると思うのですが、残念なことに陸上競技ファンとしては、不満を抱えながらも『世界選手権』や『実業団駅伝』は同局で見る選択しかできない、というのが現実です。 

さて、それではスタジオトーク部分を綺麗さっぱりカットオフした編集済みBDで、大会そのものを見ることにしましょう。

◇快挙!千葉真子がトラックで銅メダル
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前半のハイライトは、当時21歳の「チバちゃん」こと千葉真子(旭化成=所属はいずれも当時)が、4日目に行われた女子10000m決勝で終始先頭集団で積極的にレースを作り、第3位に食い込んだレースです。実況は、長過ぎる修飾節と「~という」が口癖の、椎野茂アナ。解説は増田さん。

この頃は男女の10000mで予選が実施されており、大会初日のレースで日本代表の千葉、高橋千恵美(日本ケミコン)、増田裕美(沖電気宮崎)はいずれも危なげなく突破。特に千葉は前年のアトランタ五輪で5位入賞を果たした日本女子長距離のエース。メダルが期待される一方で、ラスト勝負になるとスプリントが利かない欠点を心配する観測もありました。
当時常に長距離のレースメイク役を買っていたポーラ・ラドクリフ(GBR)が5000mに回ったこともあって、決勝のレースはスローペースの立ち上がりです。急激なスピード変化を不得手とする千葉には不利な展開。そこで彼女は自らレースを動かし、再三先頭に立ってペースアップに努めます。幸運なことに優勝候補筆頭の呼び声高いフェルナンダ・リベイロ(POR)や中国選手らがこれに呼応して、入れ替わり先頭を担うことで中盤からは緩みのないペースが保たれました。

優勝候補の一人、ワミ(ETH)が脚を痛めて倒れ、エレナ・マイヤー(RSA)も集団の中で転倒して脱落、中国選手の二人が“同士討ち”の接触でこれまた脱落。
残り5人の集団にしぶとく残った千葉は、サリー・バルソシオ(KEN)がスパートした直後の9000m手前でアデレ(ETH)、ロルーペ(KEN)とアフリカ勢を次々に交わし、3番手の位置を確保。一旦は2番手のリベイロに背後まで迫る奮走を見せて、31分41秒93で見事に銅メダルに輝きました。
バルソシオの優勝タイムは31分32秒92。前半が16分13秒、後半が15分20秒という超ネガティヴ・スプリットでした。高橋は9位、増田は15位という結果です。

疲れの色もなくインタビューに臨んだ千葉は、「スローペースで『どうしよう、どうしよう』と思いながら走ったが、流れに乗れて運が良かった」と冷静にレースを振り返り、「銅メダルですよ!」と水を向けられると「あそこの…」と表彰台を指さして、「台に乗れることが嬉しいですぅ!」と笑顔を弾けさせました。
いやー、天使のように可愛かったですねえ。

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残り3周でペースアップ。テグラ・ロルーペ(KEN)の後方で必死に食らいつく千葉。

◇スーパースターのそれぞれ~男子編
カール・ルイス(USA)が現役を去って最初の世界大会。それでも、この大会には歴史に名を留めるような陸上界のスーパースターが多く集い、レベルは高かったと思います。
ざっと名を挙げても、男子では
100mは群雄割拠の様相から、新鋭モーリス・グリーンがアメリカに王座を取り戻しました。
400mは、マイケル・ジョンソン(USA)が2次予選をすれすれで通過しながらファイナルを快勝。
800mのウィルソン・キプケテール(DEN)
1500mは前王者のヌールディン・モルセリ(ALG)が沈んでヒシャム・エルゲルージ(MAR)が初戴冠。
10000mの“皇帝”ハイレ・ゲブルセラシエ(ETH)
110mHではアレン・ジョンソン(USA)とコリン・ジャクソンの一騎討。
400mRはドノヴァン・ベイリー、ブルニー・スリンの2枚看板を擁したカナダが圧勝。

跳躍に目を転ずると、
走高跳は帝王ハビエル・ソトマヨル
走幅跳は幻の9mジャンパー、イヴァン・ペドロソ
三段跳はヨエルビ・ケサダ
とジャンプ大国キューバが席巻する中で、
棒高跳は33歳のセルゲイ・ブブカ(UKR)が6m01の大会新で第1回大会からの連覇記録を6に伸ばし、自身世界大会最後となる金メダルを獲得。世界陸上競技選手権6連覇は唯一無二の記録です。
大会最終日に行われたこの棒高跳でのマキシム・タラソフ(RUS)との駆け引きの妙は、世界選手権史上に残る飛び切りの名勝負でした。

投擲では前述のようにやり投の王者ヤン・ゼレズニー(CZE)が4投目に進めず解説をしていた故吉田雅美さんの痛罵を浴びた一方で、
円盤投のラルス・リーデル(GER)は4連覇を達成。リーデルは次のセヴィリア大会では惜しくも銅メダルに留まりますが、2001年エドモントン大会で再び王座に返り咲き、6大会連続メダルというブブカに並ぶ記録を打ち建てました。

◇~女子編
この大会で最も注目を集めた一人が、「女カール・ルイス」の異名とともに現れた新星、マリオン・ジョーンズ(USA)。
前年までバスケットボールでオリンピックを目指していたというだけあって雄大な体躯が目を引くとともに、成長途上競技者の粗削りな魅力に満ちていました。
走幅跳ではその粗削りが“凶”と出て、ベスト8に残れず惨敗を喫しはしましたが、それに先立つ100mは10秒83の好記録で快勝し、「フローレンス・ジョイナーの後継者」の期待が高まりました。
この後、セヴィリア、シドニー五輪を経て2001年の世界選手権まで順調にメダルを重ね、セヴィリアでは夫(当時)のC.J.ハンター(砲丸投)とともに世界選手権史上初の「夫婦で金メダル」の栄光に浴したマリオンでしたが、2007年に至ってドーピングが発覚。2000年以降の全記録と栄誉を剥奪された上に、偽証による有罪・実刑判決を受け、陸上界から追放されました。アテネ・セヴィリアでの記録は残されたものの、C.J.ハンターの方がやはりドーピングで後日失格となり、「夫婦で金」の記録もなかったことに。
風のように現れ嵐とともに去っていった感のあるマリオンですが、この大会の時点では紛れもなく女子陸上界のニューヒロインでありました。

なお、100mで0.02秒差の2位となったザンナ・ピンツセヴィッチ(UKR)は200mを制し、2001年大会では100m不敗を続けていたマリオンを破って金に輝くなど、天敵ぶりを発揮しています。
そして、TBSがマリオンの「対抗馬」に推しながら、またもや銅メダル1個を戦績に加えるに留まったのが、おなじみマリーン・オッティ(JAM)、この時37歳。200mでの連続メダルはこれまたブブカに並ぶ6回連続。うち金メダルは2個。52歳でヨーロッパ選手権に出場するまで第一線で活躍し続けた、偉大なブロンズ・コレクターです。

ロング・スプリント界のヒロイン、“走るパリコレ・モデル”マリー=ジョゼ・ペレク(FRA)は200mに絞って出走したものの、2次予選を1着通過したところでリタイア。世界大会で彼女の姿を見ることは、この後ありませんでした。

男子跳躍のキューバ勢に匹敵する活躍を見せたのが女子中長距離のポルトガル勢。
10000m銀のリベイロは5000mでも銅メダルを獲得。1500mを伏兵と思われたカーラ・サクラメントが制し、さらにマラソンでは前回チャンピオンのマヌエラ・マシャドが銀メダル。
ただ、ポルトガルとしては「リベイロ、マシャドで金3個」を目論んでいたはずで、結果については痛し痒しといったところでしょうか。

女子のスーパースターが集結したのは、走幅跳。
前述のマリオン・ジョーンズを露払い役に、PB7m49のジャッキー・ジョイナー=カーシー(USA)と7m48のハイケ・ドレクスラー(GER)…スーパースターというよりレジェンドですね。20世紀の女子陸上選手で歴代トップ10に入る2人です。
かつての“クィーン・オブ・アスリート”ジョイナー=カーシーは、全米選手権でマリオンに敗れたところで今大会限りでの引退を決意したと言われており、最後の試合もやや精彩を欠きました。一方のドレクスラーはまだまだ意気軒高なところが仕草からも伺えるものの、空回り気味でメダルを逃します。
結局リュドミラ・ガルキナ(RUS)が7m05で制し、地元の大声援を受けたアイドル・ジャンパー、ニキ・クサンスーが銀メダルに続き、フィオーナ・メイ(ITA)が銅。
「スーパースターの落日」を印象付けた結果でしたが、この後しばしの沈黙を経て、ドレクスラーは2000年のシドニー五輪に姿を現すと、見事に2大会ぶりの金メダルを浚ってみせました。

◇終盤を飾る鈴木博美の金メダル
トラック&フィールドの日本勢は、千葉の銅メダルのほか、女子5000mで弘山晴美(資生堂)が8位入賞。後の金メダリスト・高橋尚子(積水化学)は13位の世界デビュー戦となりました。
入賞には一歩及ばなかったものの、男子走幅跳の森長正樹(ゴールドウィン)とハンマー投の室伏広治(日大)が決勝に進出して気を吐いています。100mの朝原宣治(大阪ガス)は、ファイナリストへ希望が見える準決勝敗退。男子の両リレーも、「あと一息」の準決勝敗退でした。
このほかロードでは50㎞競歩で唯一人参加した今村文男(富士通)が6位入賞。現在では陸連競歩部長として、給水所で選手に水などを手渡す姿がお馴染みですが、当時はテレビでダイジェスト版すら放送されることはありませんでした。こんにちの競歩黄金時代の礎を築いた人です。

そんな中で、メダルの期待が一番高かった女子マラソンには、鈴木博美(積水化学)、安部友恵(旭化成)、藤村信子(ダイハツ)、飛瀬貴子(京セラ)、原万里子(富士銀行)の5人が出場。この大会から世界選手権のマラソン・レースがワールドカップ・マラソン(国別対抗戦)を兼ねることになり、5人のエントリーが可能でした。
マラソン発祥の故事に倣い、マラトンの丘からパナシナイコ・スタジアムまでの片道コース。7年後のオリンピック・コースとは少し違いますが、アップダウンの激しいことに変わりはありません。
前年のアトランタで突然現れたファツーマ・ロバ(ETH)がボストンマラソンで実力を証明し、優勝候補の筆頭。そのロバが早くも5㎞過ぎに主導権を握り、10㎞でペースアップすると、先頭集団はあっという間に9人に絞られました。このうち日本勢は安部を除く4人、ルーマニアがシモンとカツナ、テクタの3人、それからロバ、マシャド。15㎞で一旦藤村が遅れながら、しばらくしてドイツのビバ、クロリクとともに集団に復帰します。

20㎞の給水で再び集団の動きが変わると、ハーフ手前で突然ロバが競走中止。脚の故障によるものでした。先頭は鈴木、飛瀬、原、マシャド、シモン、カツナ、クロリクの7人。このあたりは、厳しい上り坂が続きます。
23㎞過ぎにはシモンが走りながら2度、3度と激しく嘔吐。猛暑対策に大量の水分を補給していると、こうしたアクシデントのリスクも高まります。たださすがに実力者シモンはここで落ちることなく、原とクロリクが脱落。
延々と続く上り坂で、完全に主導権を握っていたのが鈴木です。不得手とする下りになる前に、勝負を決めてしまおうという快調な走り。とうとうシモンと飛瀬も26㎞で後退してしまいます。
27.4㎞、スポンジを取るために大きく進路を変えた鈴木でしたが、上手くスポンジを取れません。しかしその勢いのままにペースを上げると、後続の2人は対応できず、ぐんぐんと差が開き始めました。僅か2㎞ほどの間に2位以下とは100m以上の大差がつく独走状態となって、ここに勝負はほぼ決した感があります。
結局、レース途中では2時間31~32分台と予測されたタイムを大きく上回る2時間29分48秒で優勝、2位のマシャドとは1分24秒の大差がつきました。3位にはシモンが巻き返し、僅かに及ばず飛瀬が4位。藤村10位、原19位、安部29位。

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係員が邪魔で(?)スポンジを取り落した鈴木が、そのまま「えいやっ!」とスパート。

鈴木は前回イェーテボリ大会で世界選手権史上、日本人女子としては初のトラック&フィールド種目入賞(8位)を果たし、マラソンでは浅利純子(ダイハツ)に続く2人目の金メダリストに。翌年の長野冬季オリンピックでは聖火最終ランナーに抜擢され(点火者は伊藤みどりさん)、一躍ヒロインの仲間入りを果たしました。
世界にその実力を示した日本の女子マラソンはしかし、翌年のアジア大会で起こった「高橋尚子ショック」を機に、一気に新たなステージに駆け上がります。日本記録を4分も縮めた高橋に触発されて、シドニー五輪では2時間22分台でも代表になれない(弘山晴美選手)というブレイクスルー状態になり、鈴木や有森裕子、浅利、安部といったいずれも自己記録が2時間26分台の“旧勢力”は一掃されてしまうのです。
2001年、短距離の伊東浩司(富士通)と結婚・引退。実はイェーテボリ大会のサブトラックで、男子短距離チームが気勢を上げる輪になぜか鈴木選手の姿が一緒にあり、ハハァ、さてはこのあたりから…と下衆の勘繰りをしたものですけど、それはまた別のお話。