国内のマラソン/ロードレース・シーズンが終り、2020東京オリンピックへ向けた「MGC」も立ち上がりのシリーズを消化しました。
低迷が続いたマラソン界へのカンフル剤として期待されたMGCシリーズの効果が間違いなく認められる証左として、男子の日本記録更新を含む歴代10傑入りが3人、過去44人だった“サブ9”突入が新たに6人。高岡寿成の前日本記録樹立が2002年、2004年以降・昨シーズンまでの13年間に10傑入りしたランナーが佐藤敦之・藤原新・今井正人の3人しかいなかったことを思えば、日本男子マラソン界はようやくその重い腰を上げかけた状況、と言ってよいでしょう。


◇「日本新記録」の意味するところ
設楽悠太(Honda)による日本新記録は見事であり、その達成の瞬間の感動は言うに尽くせないものがありました。けれども私は、そこまで瞠目すべき記録だとも、設楽悠が日本最強のマラソン・ランナーだとも思っていません。
何と言っても、その2カ月前に福岡で、非アフリカ系ランナーとして最速となる2時間5分48秒というタイムが、ノルウェーのソンドレ・ノールスタット・モーエンによって叩き出されています。日本男子“躍進”の先陣を切った形の大迫傑(NIKE.O.P.)を1分半も上回り、力の違いを感じさせるレースを見せつけられているのです。日本の男子マラソン界は、まずはこの記録を超え、アフリカ系ランナー群に対するトップ・コンテンダーの地位を奪回しないことには、とても「復活」を謳えるものではないという気がします。

2017-18シーズンにおける設楽悠の強さは、本人が「ここんとこ日本人には負けていない」と言うように、マラソンから駅伝、トラックに至るまで圧巻のパフォーマンスと言えます。
ただ、ひところを振り返ってみれば、学生時代に相拮抗していた大迫や村山兄弟に明確に実力差をつけられたと思われる時期もあったのは確かで、つまるところ猫の目のように変わる男子長距離勢力図で、今のところの暫定1位という存在だ、と思っています。
ことマラソンに関して言うなら、設楽悠が「希望の星」となったというよりも、マラソン界全体の凍り付いた状況が打破された、ということです。その象徴的な存在が、同じく6分台を出しながら苦虫を噛みつぶしたような表情を貫いていた井上大仁(MHPS)でしょう。彼のように、「次は自分が」とモチベーションを高めたランナーは少なくないはずです。1億円云々は別として…。

日本新記録は一つの通過点に過ぎません。実現させたことで“見えない壁”を取り払ったという点に大きな意義があり、2時間06分11秒は、複数の選手が乗り越えていく、目に見える格好の目標になったという印象を強く持ちました。


◇MGCの“光”~みんながマラソンを走り始めた

同じように、「MGC」の企画趣旨には、多くのランナーにとって解りやすく、またある程度長期的な計画で取り組める目標を呈示したところに、最大の効果がありました。
もちろん、2020年8月の本番という動かざる目標が大前提にあるのですが、そこへ行くまでの予選会の1本化に成功したこと、そこまでの目標が基本的にタイムという目に見える形になったことが、非常に評価できる点だと思います。
その結果、「今から始めなければ間に合わない」「今なら間に合う」という気運が高まり、ここしばらく停滞していた若年層からのフルマラソン参入を大いに促進するという次第になりました。

<男子>
 村澤 明伸(日清食品G.:東海大卒・26歳:マラソン経験3回)
 大迫 傑(NIKE.O.P.:早稲田大卒・26歳:2回)
 上門 大祐(大塚製薬:京都産業大卒・24歳:3回)
 竹ノ内 佳樹(NTT西日本:日本大卒・25歳:3回)
 園田 隼(黒崎播磨:上武大卒・28歳:12回)
 設楽 悠太(Honda:東洋大卒・26歳:3回)
 井上 大仁(MHPS:山梨学院大卒・25歳:4回)
 木滑 良(MHPS:瓊浦高卒・27歳:4回)
 宮脇 千博(トヨタ自動車:中京高卒・26歳:4回)
 山本 憲二(マツダ:東洋大卒・28歳:3回)
 佐藤 悠基(日清食品G.:東海大卒・31歳:6回)
 中村 匠吾(富士通:駒澤大卒・25歳:1回)
 川内 優輝(埼玉県庁:学習院大卒・31歳:80回!)

<女子>
 前田 穂南(天満屋:薫英女学院高卒・21歳:3回)
 松田 瑞生(ダイハツ:薫英女学院高卒・22歳:1回)
 安藤 友香(スズキ浜松AC:豊川高卒・24歳:3回)
 関根 花観(JP日本郵政G.:豊川高卒・22歳:1回)
 岩出 玲亜(ドーム:豊川高卒・23歳:6回)
 野上 恵子(十八銀行:須磨学園高卒・32歳:5回)
 
これは、現時点での「MGC」参加資格保有者です。
顕著な傾向として、男子では大卒ならば社会人4年目前後となる20代半ば、女子では21~23歳(高卒3~5年目)という、いわゆる「若手」が中軸を担っていることが一目瞭然です。その多くはまた、フルマラソン出場が1回目から3回目という、「新規参入組」でもあります。

これまで日本の長距離界には、特に高校・大学時代から期待を集めたエリート・ランナーにおいて、トラックや駅伝で十分にスピードを養ってから満を持してマラソン進出、というロードマップを描く傾向が強くありました。これは日本人らしく一見理に適った長期戦略である反面、ひとたびマラソン進出の機を失うとその後の時間があまり残されていない、というジレンマに直面するものでした。あるいは、過度のスピード練習によって成長を妨げるような故障に見舞われることも、少なくありませんでした。
ケネニサ・ベケレ(ETH)やモー・ファラー(GBR)のように、トラックで栄華を極めた後にさらなる荒野を目指しての転向というならともかく、もしも最初からマラソンを目標としていたのであれば、高岡寿成や弘山晴美、福士加代子らの歩んだキャリアは、結果的に「失敗」とまでは言わずとも、「惜しむらくは」の但し書きが付きまといます。

MGC資格到達者に限らず、社会人3~5年目くらいの層が中軸を担い始めたということは、平均的には社会人1~3年目、早い者では在学中に、マラソン初体験を迎えていることになります。最近では、下田裕太(青山学院大)や鈴木健吾(神奈川大)などが、明確に2020東京を見据えての早期参戦を果たしています。卒業2年目の神野大地(コニカミノルタ)にしても、あれほど在学時代に勇名を馳せた超エリートとしては、早い段階での参戦と言えるでしょう。
女子のほうでは男子よりも一足早く、20歳そこそこで初マラソンに挑む選手が増えてきています。MGC到達者6人のうち松田と関根が初マラソン、安藤や岩出も、初マラソンでは大きな話題を集める好結果を残したランナーです。
若くしてのフルマラソン挑戦…これは、非常に良い傾向だと思います。

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近年アスリート寿命の“高齢化”ということもあり、どうかするとマラソンの円熟期は30歳過ぎと見られがちで、実際にリオ五輪の代表は3名とも30オーバーだったりしました。高岡寿成の「進出」も30歳を過ぎてからです。
それほどに、マラソンは「経験」が必要な競技と考えられます。42.195㎞のレースを思い描く通りに走り切ること、そのためのトレーニングを積み上げることは短期間で何度も繰り返すことはできず、試行錯誤をするにはあまりにも長い年月が必要になってくるのですから、「30過ぎてようやく一人前」ということになってくるのはある意味、必然かもしれません。(そのあたりの“常識”に一石を投じる存在が川内優輝であり最近の設楽悠太であるわけですが、今回はそこには詳しく触れません)

しかしながら、近代マラソンに不可欠なスピード持続力およびそれを培うトレーニング耐性のピークはどうしても20代に迎えてしまうもので、マラソンの走り方をひととおり覚えかけた頃には体力が低下傾向にある、ということも少なくありません。現代でもなお、個人差はあれ20代後半からせいぜい30歳、というのが一般的なマラソン・ランナーとしての最盛期だろうというのが、私の考えです。30歳を過ぎて成績を伸ばすケースは、体力の低下を補って余りある、経験に裏付けられた総合的な技術やモチベーションの高揚によるものだと思うのです。
だとすれば、マラソンはできるだけ若年のうちから取り組みを開始するに越したことはありません。トラックなどでのスピード養成をおざなりにするということではなく、あくまでもマラソンの距離に軸足を置いたトレーニングと実戦経験は、早く始めるほど良いと思います。
私には専門的なトレーニング手法などのことは説明できませんが、若いうちから故障をしないマラソンの土台作り、無理をしない範囲でのレース経験というのは、どんどんやるべきだと考えます。
何よりも、「マラソン・レースは年に1回か2回が限度」という考え方が、旧弊すぎます。川内選手ほどではなくても、これほど大小のレースが毎週行われている環境を利用して、気軽に実戦経験を積む機会はもっと増やしてよいはずです。その意味で、設楽悠の今後のレース・プランとその成果には大いに注目すべきでしょうし、それに触発される選手や指導者が次々に出てくることを期待します。

「若年からのマラソン挑戦はリスクが大きい」という考え方は、根強くあると思います。
特に女子では、過去に初マラソンなど経験の浅い段階でオリンピック代表にまでなってしまったシンデレラ・ガールが、その後鳴かず飛ばずに終わったケースが何回もあって、ことのほか慎重論が幅を利かせていた時期があったように見受けられます。
早い時期からマラソン経験を、というのは無理をさせろということではありません。その逆です。「MGC」が呈示したロードマップのように、ある程度長期の、しかし明確に期限を設定したスケジュールの中での取り組み方が、大切だと思うのです。

◇MGCの“影”~大会格差がいよいよ明確に
MGCシリーズに組み込まれた国内主要マラソン大会、中でも男女それぞれの「3大マラソン」と位置付けられる大会で、資格到達者の輩出に大きなバラつきが見られました。
私が1年前の記事で懸念を表明したように、11月の『さいたま国際』(女子)は開催3年目にしてメジャー・レースとしては有名無実の存在が確定した感があり、3月の『びわ湖』(男子)は高温というリスクに付きまとわれることが露呈されました。(それにしては、1週後の『名古屋』は例年好コンディションに恵まれていますが)
こうなってきますと、MGC資格を得るうえで明確な目標である「タイム」を狙って出走レースを選択するに際して、第2シーズンとなる2018-19年には、大会ごとに出場選手の偏りが顕著になってくると思われます。
特に、すでに1回走ってそこそこの持ちタイムをゲットした選手は、大会ごとに設定された「順位+タイム」よりもワイルドカード狙いでプランを立てるようになると予測されます。
とすれば、気象条件が安定しコースもフラットな『大阪』『東京』あたりに有力選手が集中してくることになるでしょう。男子の場合は二段構えが可能な『福岡』も人気を集めそうですし、女子では記録の出やすい『東京』を敢えて狙うケースも増えてくると思われます。

さらに、『MGCファイナル』の実施が予定されている来年9月の後、3人目の代表選考の場となる各3大レースでは、9月からのレース間隔を考慮して、『さいたま』や『福岡』に出てくる選手はほぼいないと考えられます。
第1シーズンを見る限り、「代表選考会」から「MGC予選シリーズ」へと一段“格下げ”になった各メジャーレースの影響はあまり感じられませんでしたが、来季、さらにその次と進むにつれて、巨大資本の絡むビッグ・イベントとしての大会に、微妙な影が忍び寄ることになりそうです。
いろいろと好結果を生みだしている「MGCシリーズ」のプランの中で、私が当初から懸念している「選考レース1本化の後始末」、つまりは3大レースの身の振らせ方…これは日本マラソン界にとっての大きな問題点です。
もっと大きな問題点は、来年の世界選手権に出場しようという日本人選手がいるのかどうか、ということ。もしいるとすれば、世界代表にふさわしい実力者でありながら資格基準をクリアできなかった選手ということになるでしょうが、いずれにせよ「MGCファイナル出場」とは全く両立不可能となるわけで、いくら東京オリンピックが大事だといっても本末転倒ではないかという気もします。

「MGC」が2020東京に特化したプランではなく、それ以降の世界選手権を含めた選考方式としてより進化させるアイディアの捻出が、喫緊の課題だと言えるでしょう。