『第94回箱根駅伝』の区間エントリーが発表されました。
この大会ならでは、当日のエントリー変更が1日2名まで可能というルールがあるため、戦略的に有力選手をあえて「補欠」としてエントリーし、他チームの動向や気象コンディションを睨み合わせてここぞという区間に投入してくるケースが多々あります。今回も有力校では下田裕太(青山学院大4)、山本修二(東洋大3)、栃木渡(順天堂大4)、館澤亨次(東海大2)といったあたりが“ジョーカー”の役割を担うことになりそうです。
ただ、毎回各チームともこの手法に頼らず正攻法のエントリーをしてくることが多いのが、ご存知「花の2区」。 エース・エース候補生に“影武者”は不要、というわけです。

◇“坂の街”を走り抜ける
『箱根』の2区がエース区間と呼ばれる所以は、距離の長さや良い流れを造る序盤の重要区間、といったことだけではありません。
鶴見から戸塚まで、横浜市内を西下するコースが、真の実力者にしか務まらないとんでもない難コースだというのも大きな要因になっているのです。
2区の「難所」としてしばしば名前が挙がるのが、中盤過ぎに立ちはだかる高低差20m以上の権太坂、そして国道1号が横浜新道に合流してから中継所までの約3㎞、大きくうねるように設けられた「戸塚の壁」と呼ばれる急坂です。
しかし、ランナーの脚力を苛む坂は、これだけに留まりません。

実は茨城在住の私は、現在仕事の関係で、週のうちの半分以上を横浜市で「暮らして」います。おまけに、ここ1カ月ほどは毎日のように、国道1号にある「戸塚中継所」の前を車で通っています。
茨城県民であり、またそれ以上に東京都民としての時期が長い私にとって、横浜は比較的近くても今まであまり馴染みのない土地だったのが、今年になって急に身近な場所になったのです。

「住んで」みて、また仕事上市内のあちこちに出向いてみて一番びっくりしたのが、坂道の多いことでした。東京にもあちこちに坂道はありますが、横浜はこの点、「異常」という言葉を使いたくなるくらいに、街の景観はまるきし異なります。
とにかく、平坦な道がしばらく続く場所など、滅多にお目にかかれません。街全体が関東平野の端っこにできたシワの塊といってよく、幹線道路などはまだ谷間を縫うようにして比較的平坦に通されていますが、ひとたび住宅地に入ればそりゃもう、坂だらけ。小さな丘の斜面に拓いたと思しき宅地ばかりで、面した道路から玄関まで30段以上の階段を登らなければならない住宅などが、当たり前のように建っています。距離は短いとはいえ「箱根」級の急坂も、あちこちにあります。お年寄りはさぞ苦労されていることと察します。
長年東京に住んでいて、横浜には横浜駅周辺や中華街、あるいは横浜アリーナや日産スタジアムなどに何度か出向いた経験しかなかった身としては、このことは驚き以外の何物でもありませんでした。地元暮らしが長い友人や知り合いはあまりそのことを意識していないらしいのが、不思議なくらいです。
こんな坂道だらけ、元をただせば大小の丘陵が連なる立地にあれほどの大都市が発達したのは、ちょっとした奇跡だと思います。東海道という「道」が育んだ街であり、すなわち箱根とともに『箱根駅伝』を象徴する一画と言ってよいでしょう。


そういう街を横断するのが、「花の2区」。テレビでは分かりづらくても、権太坂や戸塚の壁以外にも、小さな大地のうねりは至る所に、23㎞のコースを通して断続しています。力不足のランナーには、とても対処しきれません。過去に、今井正人(順天堂大)、伊達秀晃(東海大)、設楽啓太(東洋大)、神野大地(青山学院大)等々、2区での経験を踏まえて5区山登り担当へと“転向”したエース・ランナーが数多いのも、なるほどと頷かされるのです。
まあそういう意味では、海が近付くまで同じようにアップダウンが続く3区や細かい起伏の多い4区、これらの区間の裏返しである7・8・9区なども、すべてタフなコースではあります。『箱根』には、生易しい区間など一つもないということですね。



◇思い出の超エースたち

エースが集結する2区で、歴代名を馳せた「エース・オブ・エーセズ」と言えば、まず真っ先に瀬古利彦(早稲田大)の名前が浮かびます。私が初めて『箱根』を知った頃には、当時新記録となる11人抜きで話題となった服部誠(東京農業大)がいました。この両者ともに、4年連続して2区を走り、3・4年時に2年連続区間新を記録していること、1度も総合優勝を味わっていないことが共通しています。
残念ながら、当時はTV生中継がありませんでした。

少し時代が下ってからは、やはり渡辺康幸(早稲田大)とその同学年ライバルだったステファン・マヤカ(山梨学院大)でしょうか。
二人の2区での戦いは、1年時がマヤカ、2年時は渡辺が1区に回ったためマヤカの“不戦勝”(ただし渡辺は1区で佐藤悠基に破られるまでの区間記録を樹立)、3・4年時は渡辺が、いずれも当時では驚異的と言われた1時間06分台のタイムで走破してマヤカを抑えました。マヤカのベストは、3年時の1時間7分20秒でした。
結果の記録を見ては熾烈なライバル関係に胸を躍らせたものですが、当時(1990年代)私はイベント仕事の最前線にいたものですから、世間がお休みの正月はビッシリ現場業務。『箱根』をリアルタイムで観戦する時間がなかったのが、悔やまれます。

私が直接(ではないですがTVでリアルタイムに)見た中で最も強烈な印象を残したのは、何と言っても4年連続2区を走り区間賞3回、最終的に区間記録を1時間06分04秒にまで高めたメクボ・ジョブ・モグス(山梨学院大)でしょう。
ジョゼフ・オツオリに始まる海外留学生ランナーの中で「歴代最強」と言われ、また佐藤悠基(東海大)・竹澤健介(早稲田大)・佐藤秀和(順天堂大)・木原真佐人(中央学院大)・大西一輝、智也(東洋大)、また川内優輝(学習院大)などもいた「黄金世代」の中でも別格の存在でした。

「怪物」の評価が相応しい走りっぷりでしたが、1年時は前半のハイペースで終盤の急坂に失速して記録を阻まれ(それでも1時間7分29秒で区間賞)。この経験にも関わらず2年時はさらに無謀な突っ込みで終盤バッタリと止まってしまい(1区・佐藤の快走により首位と大きく差がついていたことが暴走につながったようです)、9人を抜きながら4人に抜き返されて区間6位にまで沈み、戸塚中継点で号泣しながら仲間に抱えられる姿が映し出されました。
3・4年時の連続区間新は、こうした苦い経験に基づいた冷静なレース運びの結果でしたが、それにしても学生時代にあれほどに強かったモグスが、その後の実業団選手としてのキャリアに何の勲章も付け加えられなかったのは、不可思議ではあります。現時点では留学生ランナーすべてに同じことが言えるのは残念な傾向で、いつか『箱根』からケニア、エチオピアなどを代表するランナーが育ってほしいものだと思います。



◇もう一つのお楽しみ「ゴボウ抜き」

序盤戦に位置付けられる2区では、しばしば「ゴボウ抜き」の記録もまた、話題に上ります。
言うまでもなくこの記録は、どんなに実力があっても狙って達成することはできません。中継した時点でチームが下位にいること、その割には上位とのタイム差が少ないことが、絶対条件となるからです。
その歴代記録は、モグスが今も残る区間記録を達成した第85回大会(2009年)で区間2位となったギタウ・ダニエル(日大)の20人抜き。
この大会は5年ごとの記念大会ということで学連選抜を含む23チームが出場しており、日大は1区で区間22位と出遅れながらもトップとは1分46秒差、この条件でモグス以外全員の前走者を追い抜いたダニエルによって達成されたものです。その区間タイムは、ちょうどモグスから1分遅れの1時間07分04秒でした。
出場校が多く、下位発進・僅差スタート、そして本人の実力とあらゆる条件が揃って出されたこの記録は、今後もう破られないかもしれません。

レギュラーの20チーム出場では、87回大会の村澤明伸(東海大→現・日清食品G.)の17人抜き。1区2分31秒差の最下位から、区間日本人歴代3位となる1時間06分52秒の爆走で3位にまで上り詰めました。その走法ゆえに個人レースでは今年の北海道マラソンまでなかなか“1等賞”がとれなかった村澤ですが、前を追う単独走では滅法強い本領を発揮したレースでした。

◇今回の「花の2区」は?
学生ランナーの頂点を競うエースが集まる『箱根』の2区。
今回の大本命は、『全日本』を制し優勝候補の呼び声もある神奈川大の主砲・鈴木健吾。対抗に挙げられるのは唯一のオリンピアンとしての意地がある塩尻和也(順天堂大3)。さらに、東海大最強世代の一角に名乗り出た阪口竜平の名前も挙がります。
決して総合優勝争いの決め手となる区間ではないのですが、ここで序盤の流れを確かなものにする重要区間であることは、前回区間賞の鈴木健が証明しています。
ライバル校が送り込んでくる強力なスナイパーたちを相手に、森田歩希を投入した青山学院大がいかに序盤をしのぐのか、今回もやはり「花の2区」は激動の予感がします。

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