豊大先生流・陸上競技のミカタ

陸上競技を見続けて半世紀。「かけっこ」をこよなく愛するオヤジの長文日記です。 (2016年6月9日開設)

2016年10月

全日本大学女子駅伝・観戦記



ロード/駅伝シーズンの序盤戦、10月の締めくくりとして、『第34回全日本大学女子駅伝対校選手権』=通称「杜の都駅伝」が行われました。

オーダー表を一瞥した瞬間、「立命館、いよいよ危うし!」の思いを禁じ得ませんでした。
9月の日本インカレにおいて松山大学の圧倒的な走力と選手層を見せつけられていながら、万全のオーダーを組めていません。
本来なら1区をスペシャリストの大森菜月に任せ、僅かでもリードを奪って主導権を握り、最長5区の太田琴菜で決着をつけて盤石の信頼を得る菅野キャプテンにアンカーを託す、というのが理想的なV6のパターンだったのでしょうが、その3年生エース・太田の名前がありません。ならば終盤の接戦に備えて大森のラストスパートをアンカー勝負の切り札に、というのがすでに、「絶対女王」らしからぬ受け身に回った戦略発想に映りました。

いっぽうの松山大は、インカレ入賞者の松田杏奈(4年)、古谷奏(2年)、岡田佳子(1年)、三島美咲(4年)といった面々が入りきらないほどの恐るべき選手層。中でも、インカレ5000mチャンピオンの中原海鈴(4年)の充実ぶりは著しく、タカミサワから受けるタスキをタカミザワにトップで託すのは濃厚と思われ、立命館のこの区間がインカレ20位の関紅葉(2年)では、少し荷が重いと言わざるを得ません。

昨年まで無敵の5連覇を築いてきた立命館。それ以前からも、2003年に初優勝して以来、2位より下になったことが一度もないという強さは、まさに「絶対女王」の名に恥じるところがありません。
しかしながら、「盛者必衰」は世の理…とはいえ、連覇の終焉が「最強世代」と言われた菅野、大森らの最終学年の時にやって来たのは、皮肉なものです。

思えばこの学年の快進撃は、2011年の都道府県対抗全国女子駅伝の時に、すでにその予兆を見せていました。アンカー福士加代子の快走などで優勝した京都チームの5区・6区・7区を畳みかけるような3連続区間賞でつないだのが、当時立命館宇治高校1年生だった牧恵里奈、菅野七虹、池内綾乃の3人。立命館宇治は彼女らが3年生となった2012年の全国高校駅伝で念願の優勝を果たし、その主力メンバーだった菅野、池内、青木奈波、廣田麻衣らが、大阪薫英女学院の大森などとともに、そのまま即戦力として立命館大3連覇(2013年)の中核となっていったのです。

菅野らを擁して立命館宇治高が優勝した2012年の高校駅伝の1区を改めて見てみると、こんなメンバーが出ていたことが分かります。
 区間1位 由水沙季(筑紫女学園)→ユニバーサル
2位 大森菜月(大阪薫英女学院)→立命館大
3位 川内理江(興譲館)→大塚製薬
4位 西澤果穂(青森山田)→第一生命(引退?)
5位 岩出玲亜(豊川)→ノーリツ
6位 谷萩史歩(八王子)→大東文化大3年
7位 菅野七虹(立命館宇治)→立命館大
8位 中原海鈴(神村学園)→松山大
9位 伊坂菜生(茨城キリスト)→日立
・・・
14位 出水田眞紀(白鳳女)→立教大
15位 湯沢ほのか(長野東)→名城大
22位 木村芙有加(山形城北)→大東文化大
1区以外では、2区37位と沈んだ高見澤安珠(津商→松山大3年)、3区19位の上原明悠美(白鳳女→松山大)、無念の途中棄権をしてしまった盛山鈴奈(鳥取中央育英→鹿屋体育大)、藤田理恵(同)の名前も見え、今大会でキーになった選手たちの大部分が、すでに都大路で鎬を削っていたことが伺えます。
女子選手の消長ぶりはなかなか予測がしにくくて、たとえばこの世代の「最強」の一人だった小林美香(須磨学園・4区区間賞)などは、確か立命館に入ったはずですがどこ行っちゃったんだか?…な一方で、結構な人数がそのまま大学各校のキャプテン、エースとして生き残ってきているんですね。
ただその中でも、大学1年時にはおそらく世代のトップを走っていた大森や菅野が期待ほどに成長できず、中原や湯沢、新井沙紀枝(大阪学院大)らに追いつかれ、1学年下の高見澤や関根花観(豊川→日本郵政グループ)、上原美幸(鹿児島女→第一生命)にオリンピック出場を先んじられてしまっている状況があるのも現実です。

とまあ、今回の4年生世代には、私的にはかなりな思い入れがあって、今日の「杜の都」でじっくりと、政権交代の場面を感慨深く見守っていたというわけです。


レースは、「3強」と思われた立命館・松山・大東文化が1区で揃って大コケする波乱のスタート。とはいえ自信満々に先頭を引っ張った菅野の調子はさほど悪かったようには見えず、次々と首位を伺って出てくる他校の選手たちの頭を叩き続けているうちに、自身が疲れてしまった、といった印象です。
大穴の1区区間賞をさらった京産大・橋本奈津に引き離されてからはガス欠となって6位にまで後退したのは計算外とはいえ、それ以上に松山の上原明悠美と大東・瀬川帆夏の大ブレーキは、立命館にとってラッキーな展開と見えました。

2区では、1年生の「富士山駅伝」以来の出場となった池内が菅野と同じような失敗のレース運びで終盤失速し、11人抜きの区間賞で上がって来た松山・緒方美咲に逆転を許してしまった…結果的にはこれが重要な勝負の分かれ目でした。
後半の和田優香里、関、大森がそれなりに好走して2位の座は渡さなかったものの、そこで2つの区間新を含む3連続区間賞を積み上げた松山大の完勝ぶりに、遂に立命館黄金時代は幕引きの時を迎えたわけです。

今回の松山大・躍進の理由に、日本選手権のレース一発でオリンピック代表を射止めた高見澤安珠の存在を挙げる声が大きいようです。しかし、松山の萌芽は3年前に、上原・三島・松田・中原といった当時の1年生を並べたオーダーで3位に食い込んだ時にすでに芽生えており、彼女らの実力と結束力が大森・菅野・池内らの立命館同世代を追い越した結果、と見るのが順当でしょう。むろん、高見澤の存在が上級生の意識に火をつけた効果は、測り知れないものがあったとは思いますが。
いずれにしろ、松山大の強さは「ホンモノ」であり、今回は極めて順当な初優勝という結果だったと言えるでしょう。

敗れた立命館には、「使い捨てのリッツ」という有り難くない異名があります。大物ルーキーを次々と入学させる割には4年間でさほど成長しない、4年生まで活躍したとしてもその先伸び悩む。現在も実業団で故障やスランプに苦しむ小島一恵、藪下明音、津田真衣、池田睦美といったかつてのスター選手の存在が、同時代にしのぎを削った森唯我、西原加純、竹地志帆、前田彩里、桑原彩といった佛教大OGとは対照的で、その悪名を裏書きしています。
もちろん敢えて使い捨てるようなトレーニング方法をとっているとは思いませんが、そろそろそう言われてしまうことの原因を究明し、先の先を見据えた育成法に真剣に取り組んでいかないと、この悪名を雪ぐことはなかなか難しいのではないか、という気がします。
私的には、結果はイマイチながらも4年間ほとんど鳴りを潜めていた池内が今回出場枠に入ってきたことが、一つの光明に感じられました。皆が「大器」と期待する大森や菅野の来年以降の活躍、そして太田や和田、関などのいっそうの飛躍を心から願い、「強いリッツ」がまた戻ってきてくれることを祈っています。

ひとまずは、年末の「全日本大学女子選抜駅伝=富士山女子駅伝」での好レース再演を期待しつつ、今日のところはこのへんで。

 

「プリンセス駅伝」に物申す!



日曜日に行われました『全日本実業団女子駅伝予選会』(第2回プリンセス駅伝)について、振り返ってみたいと思います。(スンマセンね、今頃…)

まず、声を大にして言いたいことが一つ。
「予選会」なのに「優勝」チームがいるというのは、どう考えてもおかしくありませんか?
意外な(失礼!)1着通過を果たしたTOTOチームの奮闘に水を差すつもりは毛頭ないのですけど、本戦にシードされたチームが8つも不在、と言うか参加資格すら与えられないレースで、「優勝」はないでしょう。
箱根駅伝や全日本大学駅伝の関東予選会で、1位になったチームを「優勝校」扱いしますか?それは、実業団女子とは予選の形式が異なるというだけの理由ではないですよね。
「予選会」は、悪い言い方をするならば、本戦に進出する1部チームと2部チームを仕分けする「入れ替え戦」です。何度も言うようですが、「優勝」の文字はあり得ない。
本当なら「優勝」する力を持ったチームが他にいくつも存在するのに、それらを出場させてしまっては本戦の意味がなくなってしまう。本戦を少数の実力チームだけで行うための予選だと割り切るのであれば、それ相応の位置づけをしないと、いけません。「優勝」という言葉の持つ華やかさが欲しい気持ちは分からないでもないですが、そこはケジメをきっちりしないと。
でないと、この「プリンセス駅伝」の開催意義が、薄れてしまうような気がします。「じゃあ、もう予選会なしの一発本戦でいこうや」てなことに、なりかねません。

なんでここまで言葉に拘るかと言うとですね、その「優勝」したTOTOチームやみごと予選を勝ち残った各チームそっちのけで、「惜しくも」ボーダーラインからこぼれたチームばかりに焦点を当てるTV屋のスタンスが、どうしても納得できないからなんです。
番組の冒頭からして、昨年1秒差で本戦出場を逃したチームの話題や映像を繰り返し繰り返しアピールして、レース後半もほとんど14位前後の争いばかりを報じる姿勢が、なんというか、あまりにも見え透いていて厭らしかったからなんですよ。(冒頭で取り上げたチームは途中でお呼びでないとなると、途端に一顧だにしないという冷酷さ!)
予選会ですから当然、どこがギリギリ通ってどこが僅かに力及ばずだったか、は大きな興味の対象です。ですが、それ以上に、上位で通過したチームや戦力的に優れたものを持っていながら下位通過に留まったチームなどの実力分析をして、1か月後の本戦につなげる話を盛り上げていく…それが駅伝ファンとして本来知りたいことじゃないでしょうかね?
「優勝」と呼ぶのならば、「優勝チーム」や上位通過チームには、それに相応しい扱いを番組でしろよ、と。
まあ、陸上界では悪名高いあのTV局のやることですから、改まることはないんでしょうけどね…。

ということで、じゃあしょうがない、不肖ながらこの私メが、スチャラカTV局に代わって11月27日に行われる本戦へ向けて、各チームの実力診断を試みてみましょうか。

◇意外だった上位3チーム
第1回大会となった昨年は、「なんでシードに残れなかったんだろう?」とむしろ不思議な感のあったユニバーサルが下馬評どおりの圧勝劇を演じたのですが、今年はそうした意味では「前年取りこぼし」のチームが見当たりませんでした。しいて挙げるなら、大エースの前田彩里を長く故障で欠くダイハツでしょうが、今回も前田のエントリーはありませんでしたからね。
そうした混戦模様の中なので、どこが勝っても不思議ではなかったとは言えますが、それにしてもTOTO、ノーリツ、京セラという上位3チームは、まったく予測できませんでした。結果を見ても、何が決め手になった好成績なのか、今一つピンと来ないんですねえ。それほどに、駅伝の順位予測というのは困難を極めます。
結局、穴のない堅実な走りをできたチームは、他の「大砲頼み」のチームがコケた時にはきっちり順位を上げてこれる、ということでしょう。ただし、これが本戦となりますと、シード8チームがこぞって大穴を開けるということは考えにくいでしょうから、これら3チームが上位争いに割って入る可能性は低い、と言わざるを得ません。今回と同じような堅実なレース運びでギリギリのシード入り、が目指すところとなるでしょう。

◇日本郵政の“伸びしろ”と「ダイハツ再生工場」に期待
4位以下のチームではどうでしょう?
パナソニックは、エースの山崎里菜、中村仁美を欠き、マラソンランナー加藤麻美も今一つの状態での4位という成績は、希望がつながったのではないでしょうか?それらの選手が本戦にはきっちりと仕上げてくるのかどうか、は分かりませんが。

ギリギリ・シード逃しの常連(?)ホクレンは、上位3チームと同様、堅実さで一つでも上に行きたいチームでしょうね。なかなか赤羽有紀子やオンゴレ・フィレスに匹敵する大砲が出てこないのが不思議です。(金は持ってると思いますけどね)
今のままだと、シード入りはなかなか厳しそうです。

6位しまむらは、新宅里香が去った一方で、下門美春が着実にエースとしての実力を蓄えつつあります。今回は区間8位と今一つでしたが、長い距離には自信を持っているので、本戦のハードコース5区あたりに起用されると一気に順位を上げてくる可能性がありますよ。

私の地元県代表の日立は、姉御の風格漂っていたキャプテン上谷田愛美が引退したのが惜しまれます。ジョーカー的存在のオバレ・ドリカはともかく、エースである菊池理沙、次期エースの期待が高い伊坂菜生の両美女ランナーが、駅伝になると案外実力を発揮できないのが悩みどころです。菊池などは10kmのエース区間に配置されてしかるべきところ、 そこまで信頼感を得ていないということなのでしょうね。

大エース鈴木亜由子を欠き、もう一人の関根花観が大コケしながらも若手選手の奮起で踏みとどまったJP日本郵政グループは、本戦での“伸びしろ”が最も期待できるチームかもしれません。鈴木・関根がOKならば、また1区で期待外れに終わった鍋島莉奈あたりの底上げがあれば、上位争いも夢ではない戦力と見えます。

本戦3連覇・デンソーの立役者だった高島由香を迎え入れた資生堂は、「残り300mまで13位」から地獄を見た昨年とは打って変わって「優勝」候補の呼び声がありましたが、現状では高島・竹中理沙・吉川侑美の3人と他の選手の実力差が大きすぎます。1500m日本チャンピオン(2015年)の須永千尋、マラソンで実績のある奥野有紀子、あの立命館でキャプテンを務めた池田睦美と、いい素材は揃っているのですが、駅伝にはどうにも力が出せないでいます。シードまでには少なくともあと1年、かかりそうです。

ダイハツは前述のとおり、前田彩里の復調次第、というところがありますが、実業団選手権で10000mを制した松田瑞生が完全に力を付けたことで、昨年の本戦1区区間賞・坂井田歩の抜けた穴は十分に塞がっています。そして今回の収穫は、長らく顔を見ることのなかった吉本ひかり、久馬悠、岡小百合の復活でしょう。久々に登場した木﨑良子、悠の妹・萌などを含めて、「ダイハツ再生工場」の手腕に、今後は注目です。
メンバーだけを見れば、本戦で優勝争いを演じても決しておかしくはないチームだと思います。

10年以上「福士頼み」の状況が続くワコールは、その福士の爆発力が影を潜めた現在、よくぞ勝ち残った、というレベルに思えます。1区のルーキー・一山麻緒の成長が今後の楽しみではありますが。

前半戦の台風の目となったのが、ユタカ技研。名門チームの一つでありながら、何せ昨年1年間、部員は宮田佳菜代ただ一人という厳しい状況から、新人選手だけでの前半の首位争いは見ごたえがありました。4区・5区がともに区間20位と沈んで予選通過ラインギリギリの戦いとなったものの、最後は宮田が(まだ若干太目ながら)貫録の走りで本戦進出を確保。今回は出場しなかったミリアム・ガチュンガという助っ人選手もいますから、シードまでは無理でも10位近くでの健闘は期待できるかもしれません。

本戦出場は既定の事実と思われがちだった三井住友海上は、キャプテンの日高侑紀とコーチ兼任の渋井陽子が欠場、しかも若手エース野田沙織が1区で大ブレーキとなるアクシデントに見舞われながら、何とか底力を示しました。何より、2区・田邊美咲の区間賞とルーキー岡本春美が4区で日本人1位と実力のほどを見せたのが大きな収穫。全日本7回優勝の実績は伊達ではなく、本気でシード入りを狙ってくることでしょう。

今回の「滑り込み」は、1区・前川晴菜が資生堂の竹中らを破って区間賞の大金星を挙げた十八銀行。昨年の本戦・1区での18位という成績からは考えられないような躍進ぶりです。このチームも、扇まどか、藤田真弓といったお馴染みの名前が消えましたが、こうした若い(22歳)力の台頭は、頼もしい限りです。



◇でも強いシード組

以上、本戦進出を決めた14チームの状況をざっと見てきましたが、今年のシード8チーム(意地でも「クィーンズ・エイト」とか呼んでやらない)は、当たり前ですけどそれぞれに強いんですよね。

高島由香と石橋麻衣を失ったデンソーはやや戦力ダウンの感を免れませんが、新人・倉岡奈々や荘司麻衣がどう穴を埋めていけるか?

昨年来、戦力充実が著しい豊田自動織機は今回、優勝候補の筆頭だと思われます。第一人者の地位に近づきつつある横江里沙、合宿での好調が伝えられる林田みさきや福田有以、キャプテン沼田未知の「四天王」プラス、アン・カリンジ…チーム力は、強烈です。

スター軍団ユニバーサルエンターテインメントは、中村萌乃が10000m31分台に突入していよいよ本格化。後藤奈津子が抜けたのは痛手ですが、あとは鷲見梓沙待ち。

ヤマダ電機には石橋麻衣、森知奈美が移籍加入していよいよ「佛教大軍団」の様相を呈してきましたが、そんな中で石井寿美の成長が大きい。調子の波が激しい西原加純の出来如何で優勝争いも。

積水化学もメンバー充実。清水裕子がかつての強さを取り戻すと、相当上位を賑わすことになります。

オリンピック代表2人を抱える第一生命。

加藤岬が第一人者に成長してきた九電工。

レースにきっちりと照準を合わせてくる天満屋。

これらの一角に、予選会組が食い込んでいくのは容易なことではありません。
しかし…駅伝はほんと、いったい何が起きるのか、まったく分かりませんからね!

 

陸上用語のまとめ ②(トラック編)



だいぶ前に投稿した『陸上用語のまとめ(ごく基礎編)』というネタが、常に人気記事の上位に居続けるもんですから、「そういや、基礎編から先を放ったらかしにしてたな。続きを書くべきか…」などとは考えるものの、実は「初級編」とか「中級編」とかって計画があったわけでもないので、ついついそのまま時が過ぎておりました。
さまざまな用語については、これまでの記事の中で細かく触れてきたことでもありますが、そうした説明の重複も含めて、改めて思いつくままに羅列してみたいと思います。


◇トラック(track)
陸上競技場の、レースを行う走路のこと。日本における第1種・2種公認競技場は、すべて1周400メートル。ホームとバックの直線は各80mで、第1・第2コーナーと第3・第4コーナーの曲走路はそれぞれ120mあります。(曲走路の長さは、トラックとフィールド部分を区切る縁石の外側・30㎝の位置で計測)
IAAF公認競技場(クラス1・2)も1周400mですが、直線部分と曲走路の配分は必ずしも日本と同じではなく、直線の短い競技場や、逆に長い分カーブが急になっている競技場などが存在します。
これら公認競技場のサーフェス(表面)は、合成ゴムまたはポリウレタン素材によって舗装されている(全天候型舗装)必要があります。全天候型サーフェスが初めて登場したのは1968年メキシコシティ・オリンピックの会場となったエスタディオ・オリンピコ・ウニベルシタリオで、その製品名から「タータン・トラック」と呼ばれ、現在でも「タータン」が「全天候型」の代名詞としてしばしば用いられます。
全天候型が登場する以前は、アンツーカー(レンガを砕いたもの)やシンダー(粘土に石炭殻をまぶしたもの)など、固く水はけの良い土で舗装されたトラックが一般的でした。ちなみに、私が在住する町(市ではない)の町営グラウンドは、いまだに400mのシンダー・トラックです(笑)

近年建設・改修された競技場では、9つのレーン数が確保され、通常8名以下で行われるセパレート・レーンでの競走の際に使用頻度の高い第1レーンの使用を避ける、予選等の結果次ラウンド進出者が定員を超えた場合に対処できる、等のメリットをもたらしています。ただ、ダイヤモンドリーグなど著名な大会や世界選手権が開催される競技場でも、8レーンしか設けられていないトラック、リオ五輪会場のようにホームストレートのみ9レーンとなっているような“一流”競技場も、たくさん存在します。

◇トルソー(torso)
文字どおり「胴体」のことで、ジャンルによっては上半身のみの彫刻や衣料品陳列用の半身マネキンのことを言ったりもしますが、陸上競技では「頭部および四肢を除いた胴体部分」のことです。フィニッシュラインに到達することでフィニッシュと認められる体の部位であり、言い換えれば頭や手足が先に到達しても、まだフィニッシュとは見なされません。(極端な例ですが、ゴール寸前で倒れてしまい、手を伸ばしてゴールラインに触れたとしても、まだ「ゴールイン」ではないのです)

◇ゴールテープ
現在ではマラソンなどのロードレースやトライアスロンでしかお目にかかれない、ゴールライン上の胸の高さくらいの場所に張られる、大会名の記載された帯のようなもの。「ゴールイン」の象徴として、1着の選手だけが体で触れる場合もあれば、上位何着までか繰り返し張り直される場合もあります。
「ゴールテープを切る=レースに勝つ」という言葉があり、中には真ん中から「切れる」ように細工されたテープもありますが、多くは選手の通過によって切れることはなく、両側で保持する係員の力加減によって、地面にハラリと落ちるようになっています。

手動計時の時代にはトラック・ロードすべてのレースで、1着の選手を判定する目安としてゴールライン上の平均的な胸の高さのあたり(だいたい1.3mくらい?)に、白い毛糸が張られていたのが「ゴールテープ」と呼ばれていました。ランナーが走り抜けると、簡単に切れるほどのものです。(トラック以外がゴールになるロードレースの場合は、現在のような幅広のゴールテープを使用していましたが、大会名の記載などはなかったと思います)
ゴールの横にリールのようなものを装着した支柱があり、そのリールから毛糸を引き出して反対側の支柱に固定してピンと張った状態で選手の到着を待ったわけですね。先頭の選手と周回遅れの選手が錯綜する長距離種目では、なかなか大変な作業でした。映画『東京オリンピック』では、10000m競走の激しい優勝争いがフィニッシュに近付いた時、周回遅れの選手を掻き分けるように慌ててゴールテープを張る役員の姿がしっかりと記録されています。
1着の目安とはいっても、必ずしもトルソーで毛糸に触れるとは限らないので、ほんと、あくまでも目安です。顎や鼻柱で毛糸に触れた瞬間の写真があったのを覚えていますし、メキシコシティ・オリンピックのマラソンで優勝したマモ・ウォルデ選手のように、手を伸ばして引きちぎる、などという光景もありました。
むろん、テープを切ったけれども判定の結果僅差で2着だった、というケースもあったとはいえ、「ゴールテープを切る」というのはおおむね最先着選手の特権であり、「1着になる」ということの言い換えとして通用していたものです。

◇フライング・スタート
多くの競走競技で「不正スタート=スタート合図よりも早くスタートする反則行為」の意味で定着しており、日常会話でも、少々逸って行動を起こす様子を揶揄する場合などに使われますが、これらは和製英語です。
本来の「flying start」は、「助走をつけてスタートする行為」のことで、陸上競技ではリレー競走における第2走者以降のスタートがこれに相当します。陸上以外では、自転車競技の「200mフライングラップ」(スプリント競走の予選として行われる)やモータースポーツでの「ローリングスタート」、ボートレース(競艇)のスタート方式などがあります。
一般に言う「フライング」は英語では「false start(フォールス・スタート)」と呼びます。和製英語というのは要は新しい日本語ですから、別に「その言い方は間違っている!」などと神経質になる必要はありませんが、正しい訳語は知っておくべきでしょう。
ちなみに、本来の意味での「flying start」の対義語=静止した状態からのスタートは、「standing start」です。これも、「手を地面に着かない姿勢からのスタート」という別の意味で使われることが多いので、要注意。

◇ゼッケン/ナンバーカード/ビブス
陸上競技大会出場選手は、個々のIDを示す「ナンバー」を表記したカードを体の前後に装着する義務があります。(走高跳・棒高跳のみ片面だけでOK) 昔はこれを「ゼッケン」と呼んでいましたが、1996年に日本陸連のルールが改定されてこの用語は廃止され、「ナンバーカード」と称するようになりました。
さらに近年は大規模大会でフロントのカードには選手の個人名を表記することが一般的になり、「ナンバーカード」とは言えなくなってしまったため「ビブ(ビブス)」という呼称に代わってきています。ただ日本では「ゼッケン」という言葉の認知度が高かったため、現在でも市民マラソン大会などではこの呼称を用いる場合が見られます。
「ゼッケン」は本来は馬術用語で、競馬などでは今でも使われているようです。
ナンバーカード(ビブス)は、大会に協賛するスポンサーにとっては極めて重要な広告素材となります。レース中に故意に外した場合はDNFの意思表示と判断されます。

同じく1996年に廃止された用語に、選手の走路を示す「コース」があります。こちらは「レーン」という用語で完全に定着しています。



◇テイクオーバー・ゾーン

リレー競走でバトンパスを行うことのできる「受け渡し(テイクオーバー)」区域。400mリレーの場合、スタートから100m・200m・300mの各地点から前後10mずつ、合計20mの区域がこのゾーンになります。これより手前で受け渡ししたり、ゾーンを過ぎてからバトンパスが完了した場合などは、そのチームは失格となります。また途中でバトンを落とした場合は、落とした地点に落とした本人が戻ってバトンを拾えば(あるいは拾ってから落とした地点に戻れば)、レースを再開することが認められます。
また、400mリレーでバトンを受け取る走者に限り、ゾーンの開始線よりも最大10メートルまで手前の位置からスタートすることが許されます。つまり第2走者の場合で言うと、80m地点から助走を開始して90m地点から110m地点までの間に第1走者からバトンを受け取る、ということになります。
駅伝における「タスキ・リレー・ゾーン」も基本的なルールは同じで、稀に「タスキ引き継ぎ違反による失格」という裁定が下ることがあります。(例:2015年全国都道府県対抗男子駅伝で、愛知県チームのランナーがゾーン手前で昏倒し、ゾーン内にタスキを放り投げたケースなど) 

◇ブレイクライン
行程の途中までをセパレートレーンで走る必要がある種目(800m、4×400mリレー)で、「ここからオープンレーンで走行可」という地点を示すライン。「レーン規制が解除(ブレイク)されるライン」のことです。
第1・第2コーナーを回り切ってバックストレートに入った地点(日本の陸上競技場では800mの120m地点、4×400mリレーの520m地点)に設けられます。ここから第3コーナーの入り口まで、内側のレーンと外側のレーンとの距離を等しくさせるために、ラインは緩やかな曲線を描きます。またレース中にはラインの存在を明確にするため、各レーンの最内側に小型のコーンが置かれます。自分のレーンのコーンの内側を通ったり、コーンを跳び越えたり蹴飛ばしたりてしまうと、ショートカットの反則行為ということになります。
最内レーンのランナーはブレイクラインを気にする必要はありませんが、それ以外の選手は、早く内側に入りたいという意識が強いとブレイクラインぎりぎりでショートカットをしてしまうケースが時たまあって、専任の審判員=監察員の摘発を受けるとアウトです。近年はヴィデオ判定によって確認が行われますが、基本的には審判員の目視による判定となります。かつて女子中距離界の女王的存在だったマリア・ムトラ選手(MOZ)が、世界選手権で失格になったことがありました。

◇3000mSC(Steeplechace)
3000m障害物競走。「スティープルチェイス」の由来については「ごく基礎編」を参照。
ハードル種目の一つに分類されることもありますが、性格上は長距離種目の、いわば「トラックで行うクロスカントリー」とも言うべきものでしょう。
1周回のうちに4台の置き障害とトラックに常設された1か所の水壕障害を飛越しながら7周+残りの距離を走破します。日本の競技場がほとんどトラックの外側(最外レーンよりも外側)に3000mSC用の水壕を備えているのに対し、欧米の競技場では内側(第1レーンの内側に、一部直線部分を含めたコースを設定)に備えています。1周回の長さは前者が420m、後者が390mで、このためスタート位置が異なるほか、欧米方式のトラックでは、スタートしてから半周以上にわたって障害飛越のないランが続きます。

◇スプリットタイム/ラップタイム
競走種目で、スタートしてからある地点を通過した時の経過時間を「スプリットタイム」と言います。同じような意味合いで「ランニングタイム」という言葉がありますが、これは通過距離に関係なくその時点での経過時間のこと。「いま、スタートして何分何秒経ちました」という意味の言葉です。
また、トラック種目の中長距離走のように周回ごとの定点でタイムが計測できる場合は、各周回ごとの400m区間、あるいは2.5周回ごとの1000m区間などの走破タイムを「ラップタイム」と言います。ロードレースの場合は、1㎞ごと、5kmごとといった尺度で計測・表示されます。
「3000m地点のスプリットタイムは8分30秒、2000mから3000mまでのラップタイムは2分45秒、この1周のラップタイムは65秒」というように使い分けます。
いずれも本人にとりまた観戦者らにとりゴール記録の参考・目安となったり、レース結果を分析する際の指標となるタイムです。以前はこの2つの言葉が完全に逆転して認識されており、私自身もそのように覚えてきました。現在でも少々混乱気味なところが見受けられないでもありません。

 

<連載>100m競走を語ろう ⑱~人見絹枝―史上最強のマルチ・アスリート



いにしえの和製100mランナーについて語ろうとするとき、一瞬その列伝に加えてよいものやら迷ってしまうのが、日本の陸上競技女子選手史上にひときわ異彩を放つ、人見絹枝さん(1907-1931・以降敬称略)の事績です。
なぜならば、彼女は単にスプリンターというに留まらず、跳躍でも投擲でも世界的な活躍をし、しかもオリンピックでメダルを獲得したのは中距離走の800m。もし当時、七種競技という種目があったならば、「クィーン・オブ・アスリート」の名を欲しいままにしたに違いないし、ジャッキー・ジョイナー‐カーシーに比肩するような、超人的なマルチ・アスリートだったからです。
けれども、その根底にあったものは、やはり短距離走における並々ならぬ素質であり、それが跳躍や投擲にもジャンプ力やパワーとして活かされたのではないか…ということで、100mの話題にもなくてはならない人物に違いない、と思うのです。
競技以外においても後進の指導・育成や女子スポーツの普及活動、新聞記者としての仕事や婦人啓発運動に挺身するマルチぶりを発揮し、絶頂期にさしかかろうとしていた24歳の若さで突然世を去った、その太く短かった人生を振り返ってみましょう。

◆驚異の世界的業績
まず、手元で調べ得た限りで漏れもあるかもしれませんが、彼女が約7年間の選手生活の間に樹立した、各種目の記録を見てみましょう。
*100m 12秒2 1928年5月・大阪 IOC公認世界記録
 ※ 12秒0 1929年10月・奉天 オープン参加のため非公認
*200m 24秒7 1929年5月・神宮 IOC公認世界記録
*400m 59秒0 1928年5月・美吉野 FSFI(国際女子スポーツ連盟)公認世界記録
*800m 2分17秒6 1928年8月2日・アムステルダム 2位ながらIOC公認世界記録を上回る
*80mH 13秒6 1929年4月・美吉野 日本記録
*400mR 51秒6 1929年11月・神宮 日本記録
*走高跳 1m45 1929年4月・美吉野
*走幅跳 5m98 1928年5月・大阪 IOC公認世界記録
*三段跳  11m62 1925年10月・大阪 FSFI公認世界記録
*砲丸投 9m97 1926年5月・神宮 日本記録(8ポンド)
*円盤投  34m18 1929年5月・神宮 日本記録
*やり投   37m84 1930年7月・名古屋 非公認日本最高記録
*三種競技 217点
(100m12秒4・HJ1m45・JT32m13)
1929年4月・美吉野 非公認世界最高記録

これが、当時女子で行われていた(現在オリンピック種目として採用されている、またはその原型となった)種目のすべてです。走高跳に関しては日本記録だったかどうかが定かでないのですが、当時の日本選手権の優勝記録が1m30台から40だったことから、その可能性はあります。
ちなみに、人見自身は日本選手権には1927年から29年までの3回しか出場しておらず、100mと走幅跳で各2回、200mと400mリレーで各1回の優勝があります。
このほかにも、50m(6秒4)、60m(7秒5)、立ち幅跳び(2m61)といった特殊種目でも、当時の世界最高記録を樹立しています。
なんと全種目で日本最強、そのうちの半数ほどの種目では、世界でもトップレベルにあったのです。とりわけ、走幅跳の5m98という記録は、1939年にドイツのシュルツという選手が史上初の6mジャンプ(6m12)を記録するまで、実に11年2カ月にわたって世界記録として君臨し続けました。

アシックス ランニングウォッチ クロノグラフ AR07 CQAR0711 asics 腕時計 ファンランナー ブラック/レッド

価格:7,770円
(2016/10/16 15:53時点)
感想(13件)


◆女子不遇の時代を切り拓く
1912年に設立されたIAAF(国際陸上競技連盟)が女子の記録を公認するようになるのは、種目によって1928年頃から1930年代にかけてのことで、それまでは1921年に設立されたFSFI(国際女子スポーツ連盟)という団体による認定でした。国際的な競技会もまた、女子単独の大会(国際女子オリンピック大会など)として、数か国の参加による地味な規模で行われていたようです。
また、オリンピックではFSFIの働きかけが実って、人見が出場した1928年のアムステルダム大会で初めて女子の種目が採用されました。実施種目は100m、800m、400mリレー、走高跳、円盤投の5つだけでした。
全世界的に「女性が肌を露出してスポーツをする」ということに対する偏見がまだまだ根強い時代で、特に人見が活躍した昭和初期は日本においてこうした考え方がはびこっており、人見が自ら体を張って競技会に出場し続けることで、そうした風潮をかなり動かし得たのではないか、と推測されます。
1925年からようやく女子の種目が始まった(100m、400mR、走高跳、円盤投の4種目のみ)日本選手権でも、28年頃から少しずつ種目が増えていっています。

1907(明治40)年1月1日に岡山県福浜村(現・岡山市南区)に生まれた人見は、岡山県高等女学校時代の1923年に初めて陸上競技会に出場し、いきなり走幅跳で非公認の日本最高記録を出し、翌年二階堂体操塾(現・日本女子体育大学)に進学します。この頃から、女性のスポーツ界進出を企図する二階堂塾長の意を受けて、人見は自身の競技参加のみならず、その普及に尽力していくことになります。
1926年、文学的素養も高いものを持っていた人見は大阪毎日新聞社に入社し運動課に配属され、女子スポーツの普及広報には絶好の立場を手に入れます。国内外の大会に積極的に参加し、ジャーナリストとしてその模様を発信し、さらに全国各地に出向いては有望選手の発掘やその指導に余念なく、著書を通じて自らのトレーニング体験を後進に伝授する…まさに八面六臂のスーパーレディぶりが、発揮され始めたのです。
この年、イェーテボリで開催された第2回国際女子競技大会(国際女子オリンピックから改称)で、走幅跳に5m50の世界新記録で優勝したのをはじめ、個人6種目に出場して総合得点でも1位となりました。
人見絹枝02


◆発展途上だったアムステルダムの「銀」
1928年のアムステルダム・オリンピックは、三段跳の織田幹雄さんが日本人として初の金メダリストとなった大会として知られますが、その偉業が達成された同じ8月2日に、人見は全競技を通じて日本人女性として初の、そして1992年に同郷の有森裕子さんがマラソンの銀メダリストとなるまでは唯一の、陸上競技女子メダリストとなりました。(全競技通じて初の女性金メダリストは、1936年の競泳・前畑秀子さん。陸上競技では2000年の高橋尚子さん)

前述のとおり、この大会で実施された女子種目は5つだけで、女子唯一の代表だった人見はリレーを除く個人4種目にすべて出場する意向でいました。
残念だったのは、自他ともに認める「世界最強」の立場にあった走幅跳が実施されなかったことでしたが、100mでも世界記録を持つ彼女は、自信満々で予選レースに臨みました。ところが予選は悠々1着で通過したものの、準決勝は12秒8の4着で敗退。優勝記録は12秒2でしたから、非公認で12秒0を持つ人見ならば、実力を発揮すれば十分に渡り合えるレベルでした。
茫然自失の体に陥った人見は、それまで1回もレースで走ったことのなかった800mに、強行出場することを決めました。

レースの進め方も分からないままに、予選で当時の第一人者と目されていたリナ・ラトケ(GER)に付いていき2位で通過すると、決勝でも同じような、ただし段違いに速いペースでのレース展開の末に、ラトケに次ぐ2着を確保したのです。
上位陣がそれまでの世界記録をことごとく破るほどの壮絶なレースとなり、ゴールした選手が次々と地面に倒れ込みました。他の外国人選手が枕を並べるように仰向けに倒れたのに対して、唯一うつ伏せに倒れた人見が「さすが大和撫子」と称賛されたという話が残っていますが、それはさておき、800mは女性にとってあまりにも過酷な種目だということになって、これ以降大戦をはさんで1956年まで、オリンピック種目からは除外されてしまったほどの光景でした。(マラソンも3000mSCも行われている現在からは、隔世の感があります)
人見絹枝

人見は後日予選が行われた走高跳にも出場しましたが、これは彼女にとって数少ない苦手種目の一つとあって、決勝進出はならず。円盤投も最終エントリーを取り止め、結局「銀1つ」の成果で日本に帰ることになりました。
「女性初のメダリスト」として日本のオリンピック史を語る上では欠かせない存在の人見ですが、この結果は彼女にとって不本意以外の何物でもなく、さらに上のレベルを目指して突き進んでいきます。
この時まだ21歳。身長1m70、体重55㎏前後と類まれな素質に恵まれた人見の将来性は、無限のものに思われたことでしょう。

◆奔走の日々の果てに
人見の活躍を受けて、日本の女子陸上界にもようやく逸材が顔を出し始めました。
特に短距離には双子の寺尾正・文姉妹や橋本靜子といった有望な選手が人見としのぎを削っていましたが、“嫁入り時”の年齢を迎えると、家族によって試合出場を禁止されるといったようなことも、少なくなかったようです。女子短距離界は、さらに若い世代へと受け継がれていきます。
1930年にプラハで行われた第3回国際女子競技大会では、5人の代表選手団の団長格で出場した人見は個人総合得点2位。得意の走幅跳で自身の世界記録に迫る5m90で連覇を達成しています。

この時の遠征で5回もの国際競技会に出場し、やり投では自己記録を大幅に更新するなど、アスリートとしての人見の進化はまだまだ続いていました。おそらく、そのまま健康を保ってさえいれば、100mでの11秒台、走幅跳での6mオーバーなど、彼女の名を世界の陸上競技史上不滅のものとするような記録が、いくつも達成されたに違いありません。

いっぽうで、連戦と競技以外の活動からくる疲労により、しばしば体調不良に見舞われることが始まりました。遠征中も記者としての仕事をこなし、帰国してからは業務に募金活動に後進の指導にと働き続ける彼女には、大きな肉体的負担が襲い掛かることになったのです。
翌31年3月に肋膜炎を発症して血を吐いた人見は、以後は入院生活の身となり、奇しくもオリンピックで銀メダルを獲得した日のちょうど3年後の8月2日、24歳のあまりにも短い生涯を閉じました。直接の死因は肺炎ということでしたが、過労死以外の何物でもなかったでしょう。

1932年のロサンゼルス・オリンピック…そうした人見の骨身を削った努力は報われ、日本は9名もの女子選手を代表に送り込み、やり投の真保正子さんが人見の記録を塗り替える39m07で4位入賞、また400mリレーでも、100mで人見の12秒2に並ぶ日本タイ記録を出した15歳の渡辺すみ子さんをアンカーに据えた日本チームは、48秒9の日本新記録で5位入賞を果たしました。
自分が金メダルを獲るための場だったはずのオリンピック・コロシアムで活躍する後輩選手たちを、天国の人見絹枝はどんな気持ちで見守っていたことでしょうか…。 

出雲駅伝を終えて…今年の学生駅伝は、どうかな?



どうも、ここんとこの著しいアップ減少にはお詫びの言葉もございません。
いよいよ始まった駅伝シーズンに気合は十分なのですが、当面は、多忙な業務の合間を縫っての投稿となります事、ひらにご容赦ください…。
更新は滞っておりますけど、せっかく見に来ていただいた方は、ぜひ前の記事など読み返してみていただければ、けっこう面白いこと書いてありますよ。(自画自賛)

さて、体育の日恒例の『第28回出雲全日本大学選抜駅伝競走』が行われ、現在の学生長距離界をリードする青山学院大学が大方の予想どおり、2年連続・3回目の優勝を飾りました。
私は、「どんなに細かく戦力分析しても、駅伝の結果予想だけは無理」と思っているので、あんまり事前情報には目を光らせていなかったのですが、「今年も青学は断然強い」のか、「意外や戦国時代の予兆」なのか、今一つ判断に迷うレースだったと思っています。

そもそも、大学3大駅伝はそれぞれまったく性格の異なるレースです。
ざっくりと言ってしまえば、「5000mランナーを6人」揃える出雲、「10000mランナーを8人」の伊勢、「ハーフマラソン・ランナーを10人」の箱根が別種の駅伝であることは言うまでもなく、今回の結果から個々の選手の箱根での活躍を占うというのは不可能。
ただ、選手の状態やチーム全体の調整度合いを推し量り、今後の展開をあれこれと思い巡らすには、なくてはならない開幕戦だと考えます。

さて、ここ数年、青山とともに不動の「3強」を形成してきた駒澤や東洋から“大砲”クラスの選手が抜け、しばしシード権争いに汲々としてきた山梨学院、東海、中央学院、順天堂といったあたりが上位に進出してきたことは、「戦国」の予感を十分に感じさせるものです。


青山は主力3人が卒業した今年も、5000m13分台を13人擁する充実の陣容で、まずは大本命の座は揺るぎないところです。エース格の一色、下田らを東京マラソンに送り出して長丁場の自信をさらに深めさせた原監督の深謀は、箱根3連覇へ向けて盤石の態勢づくりだったと言えます。主力メンバーがいずれも順調な仕上がりを見せている様子で、残る課題は山の区間をどうするのか、ということに尽きるでしょう。

実は戦前からこれに匹敵する下馬評だったのが東海。5000m、10000mの持ちタイムでは負けず劣らずで、5000の上位平均タイムではむしろ青山を上回り、この出雲が「打倒青山」最大のチャンスだったと言えるでしょう。中でも鬼塚、館澤、關のルーキー・トリオ(髪が伸びて、一瞬誰が誰やら分かりませんでしたが)が期待通りの働きをしてくれた点は評価される一方で、ハーフの距離になった場合にどうなのか、この点はおそらく秋のハーフマラソン大会などで「試走」が見られると思いますので、注目してみたいところです。
伊勢では、再び青学と東海の激しいトップ争いが見られるような予感がします。

山梨は“予備軍”の付属高校が全国高校駅伝を制した時のメンバーが3年生となり、上田、市谷といったあたりが中軸としての力をつけてきたことが大きいですね。3大駅伝の中ではアンカーの距離的占有率が最も大きい(全行程の22.6%)ため、ニャイロ一人で形勢を大きく押し上げた感もありますが、伊勢・箱根での経験値も高い伝統校の強みは、今後も発揮されてくることでしょう。

戦力的に言えばトップ3に来ておかしくはなかった早稲田が、1区・平、2区・新迫の新旧エースがずっこけて、8位に沈んだのは意外でした。(ここんとこ、1区は鬼門ですねえ)平のほか武田、鈴木、井戸という4年生が充実している上での新迫らの加入で期待されながらのこの成績は、逆に言えば本領を発揮しさえすればかなり上位戦線を賑わす存在になるのではないか、と思います。

駒澤、順天堂、東洋といったあたりは、芯はしっかり通っているものの今季は今一つコマ不足。それぞれに中谷、塩尻、服部弾馬という大エースを擁し、2番手・3番手あたりも充実している割には、つなぎの戦力にやや不安を感じさせる陣容のようです。

今回参加できなかった日大、明治、中央といった箱根予選会組・古豪の動向も気になりますね。
特に、ワンブイ、石川颯真という核弾頭2門を搭載する日大の存在は不気味です。日大と明治は伊勢の全日本に出てきますから、そこでの走りっぷりを注目してみることにしましょう。

次は、11月6日の第48回全日本大学駅伝対校選手権。
その前週には、立命館大が6連覇に挑む第34回全日本大学女子駅伝対抗選手権があります。こちらも、楽しみです。

 
ギャラリー
  • 連載「懐かしVHS時代の陸上競技」#10~1996/第80回日本選手権
  • 連載「懐かしVHS時代の陸上競技」#10~1996/第80回日本選手権
  • 連載「懐かしVHS時代の陸上競技」#10~1996/第80回日本選手権
  • 連載「懐かしVHS時代の陸上競技」#10~1996/第80回日本選手権
  • 連載「懐かしVHS時代の陸上競技」#10~1996/第80回日本選手権
  • 連載「懐かしVHS時代の陸上競技」#10~1996/第80回日本選手権
  • 連載「懐かしVHS時代の陸上競技」#10~1996/第80回日本選手権
  • 連載「懐かしVHS時代の陸上競技」#9~1991/第10回大阪国際女子マラソン
  • 連載「懐かしVHS時代の陸上競技」#9~1991/第10回大阪国際女子マラソン
楽天市場
タグ絞り込み検索
  • ライブドアブログ