ここんとこ、仕事が多忙でブログ更新が滞っておりまして、たまに覗きに来ていただける皆様にはまことに申し訳ありません。
「情報更新が命」のブログながら、しばらくはこんな状態が続くかと思いますが、駅伝シーズン突入時にはまたしっかりと気合を入れ直してまいりますので、よろしくお願いいたします。
さて、先週末は国内では『全日本実業団選手権』、海外では『ベルリン・マラソン』などのビッグゲームがあり、決して話題に事欠いていたわけではありません。
(それにしても、実業団のホームページのお粗末さ加減は、何とかならないもんでしょうかね?…リザルトは大阪陸協が担当だったようですけど、海外の陸上関係のHPがほぼリアルタイムで情報ゲットできるのに比べて、アップが遅い上にサーバも貧弱でWi-Fi環境だとなかなかつながらないし、まったく時代に遅れています!)
中でも、男子100mの山縣亮太(セイコー)、手抜きなしの10秒03(+0.5)!しかもRT0.107秒!!
全般的に低調な記録が目立った「実業団」の中のハイライトでしたね。
RTの0.107秒というのは、「人間の反応時間はどんなに速くても0.100秒以上」というのが現在の運動生理学的知見だとすれば、もはや誇張でなく「神の領域」に近づいていると言えます。
ご承知のように、このRTは「たまたま」のものではなく、山縣自身がリオの個人2レース(予選0.111秒、準決勝0.109秒)で証明しているように、彼にとっては当たり前のパフォーマンスになってきているのです。
今後心配されるのは、
「もしかすると、ガチで0.1秒切ってしまうのではないか?」
という不安に駆られたときに、その最大の武器であるスタートを狂わせてしまうのではないか、ということです。
私はオリンピックの際に、
「山縣の示したパフォーマンスは、IAAF内部の議論の種となるだろう」
てなことを気軽な思いで書きましたが、いよいよ本当にそうなっていてもらわなければ、困ります。
日本陸連に対しても、山縣という特異な反応能力を有するスプリンターの存在をしっかりとIAAFにアピールして、善後策を求めるような政治的配慮を切望します。
仮に今後、研ぎ澄まされた山縣のスタートがとうとう0.1秒の「壁」を突破してしまったとしましょう。
現行の判定システムがリコール音を鳴らしてしまうのは仕方がないとしても、それを以って「一発失格」とするようなことがないよう、今のうちにしっかりと言質を取っておくべきだと思うのです。
もちろん、それに併せて「0.1秒」という基準の見直しを真剣に検討すべき段階に入っていることも、言うまでもありません。
もともと、この「0.1秒」という基準は、幾多の実験を重ねたうえで、「どんなにRTが速い人間でも0.11~0.12秒くらいかかる」という結果に基づいて多少のアロウワンスをとって決められた数値のはずです。そこが覆されようとしているわけですから、一日も早く「新基準」の設定が必要なのです。
それにしても、本ブログで7月14日投稿の「100m競走を語ろう⑧」で問題提起したことが、こんなにも早く現実のものになろうとしているとは、ちょっと信じられない思いです。
山縣は、こうした常識を脅かす反応時間を記録する一方で、日本選手権の3レースやリオでのリレー2レースで示したように、「絶対にフライングをとられてはいけない」場面では0.14秒前後のスタートをきっちりと決めて見せる、そこがまた物凄いスタートの名手ぶりだと思います。
「100m競走を語ろう⑮⑯」で紹介した藤井實さんのエピソードの中で、一つ書き漏らしたことがあります。
それは、彼が短距離走のスタート反応を高めるために、百人一首をトレーニングに取り入れていたという逸話です。
百人一首(読み手が短歌の“上の句”を読むのを聞いて、“下の句”を書いた札を取るゲーム)では、同じ「あ」で上の句が始まる歌が17首ありますが、習熟していくにつれ最初の「あ」の言い出し方だけでどの歌かを判断できるようになり、さらには読み手が読む前の呼吸の整え方一つで反応できるようになる、そこまで藤井は鍛錬を重ねた、というのです。(友人の子息にこの道の高校団体チャンピオン・メンバーがいますので、こんど本当のところを聞いてみようと思います)
その領域に至ったスプリンターは、もしかしたらスターターの指がスタート・ピストルに力を加える瞬間を感知してしまうのではないかと、「神の領域」へのロマンもまた膨らんでいきます。
そんな世界を現実に見せようとしている山縣亮太選手。今季最終戦となる国体でのレースは、絶対に見ものですね!












