前回は、私独自に「鉄板!」と認定した6人のアスリートについてご紹介しました。
続く今回は、そこまでは推しきれないながら種目の中で傑出した存在であることは間違いない、それでもどこかに不安要素を感じる「大本命」の選手たちです。
まあ、「鉄板!」という中でも本人のコンディションやアクシデントなどでアプセットが起きる可能性は常にありますから、そうした可能性が多少なりとも目に見える、というのが今回の選手たちです。

◆いまだ調子が掴めないK.ハリソン
Kendra Harrison
https://www.iaaf.org/news/report/us-championships-2017-kendra-harrison)

昨年から今季にかけて、陸上界で最も輝くヒロインの存在となっているのが、女子100mHのケンドラ・ハリソン(USA)です。

昨年のDLロンドン大会で彼女が記録した世界記録12秒20は、1980年代に東欧圏の選手たちによって量産された難攻不落のレコードの一つが攻略されたということで、大きな価値がありました。加えて、DL6戦全勝をはじめほとんどのレースで2位以下を数メートル引き離す圧倒的な力の差を見せつけながら、唯一オリンピック全米予選で失敗してリオに行けなかったこと、そのリオで彼女を除くアメリカ3選手がメダルを独占したことで、ドラマのヒロインとしてはこれ以上ない印象を残したシーズンとなりました。

そのハリソン、今季もこれまで無敗を続け、全米もしっかりと優勝して(すでに代表権は昨年のDLツアー優勝で獲得しています)一見盤石のプロセスを踏んでいるように見えるのですが、どうも昨年に比べると内容が物足りなく見えます。昨年のように、大差で圧勝、という勝ち方があまり見られないのです。
記録的にも12秒5台が続き、正確無比だったハードリングにもどことなく小さなブレが感じられます。今月上旬、ハンガリーの大会で12秒28(+0.1)を出し、その5日後には世界新記録から1年を経たDLロンドンで12秒39(+0.2)をマークして、ようやく調子が上がってきたかと思われたものの、21日のDLモナコでは12秒51(-0.1)でシャリカ・ネルヴィス(USA)に0.01秒差まで追い上げられる薄氷の勝利。今一つ、調子がはっきりしません。

ハードル王国アメリカは今季、リオの金メダリスト、ブライアナ・ローリンズが所在地報告義務(抜き打ちドーピング検査のためにトップアスリートが課されている義務)違反というチョンボを犯して出場停止中ながら、選手層の厚さはこれまで同様。久々にジャスミン・ストワーズが好調でしたが安定感のなさは相変わらずで、全米6着と敗退。ロンドンの代表はハリソンのほか、オリンピック2位のニア・アリとベテランのドーン・ハーパー‐ネルソン、クリスティナ・マニングです。
ハリソンにとっては警戒すべき同国のライバルが3人だけというのは精神的に楽でしょうが、どうしても昨年の全米で敗れたという、ここ一番でのメンタルが気に掛かります。

アメリカ勢以外では、かつての女王サリー・ピアソン(AUS)が、DLロンドンで12秒48と久々に調子を取り戻してきましたが、ハリソンに肉薄するまでは至っていません。
前回北京優勝のダニエレ・ウィリアムズ(JAM)もその後故障に苦しみ、ジャマイカ選手権で12秒56(+0.4)と復活してPBをマークしてきましが、2年間のうちに100mHのレベルは大きく上がってしまっています。
リオで姉妹揃って決勝に進出したティファニー・ポーター、シンディ・オフィリは地元の期待と人気を集めるでしょうが、今季これといった成績をまだ残していません。

もし実力どおり、ハリソンが12秒2~3あたりの記録で駆け抜けるレースをすれば、ロンドンの栄冠は容易に彼女のものとなるでしょう。それが12秒5前後のところへいってしまうと、一転して大混戦ということになりかねません。もちろん、ハードルにはつきもののちょっとしたリズムの狂いで、すべてが変わってしまうこともあり得ます。
スリリングな勝負を制して、ハリソンが真の世界一を証明するレースを期待しています。

◆限りなく「鉄板」に近いクラウザー
Ryan Crouser
(https://www.iaaf.org/news/report/crouser-meeting-record-rabat-diamond-league1)

昨年の全米五輪予選(ユージーン)で突如トップに躍り出て以来、無敵の快進撃を続けているのが、男子砲丸投リオ五輪チャンピオンのライアン・クラウザーです。
「22mクラブに仲間入り」という記事の見出しがまだ記憶に鮮やかなのに、もはや彼にとって22mプットは日常のものとなり、今季は8戦全勝、21m台に終わったのは1回だけです。今年の全米(サクラメント)で投げた22m65は歴代7位にまで上昇。今月に入ってからも、ローザンヌで22m39、ラバトで22m47と、揺るぎはありません。
こうしてみると、まったく死角のない「鉄板」と言ってもよさそうなものですが、見た目の割に波乱が起こりやすいのが砲丸投という種目、という一点が唯一気に掛かっているところです。

解説者の小山裕三さんが再三指摘するように、「一発当たれば大きいがダメな時は全然ダメ」なのが、砲丸投の回転投法。その意味では、クラウザーはおそらく史上最も安定した回転投法のプッターだと思われますが、常にその不安はつきまといます。
その証拠(?)に、今季ランキング2位につけている前回覇者のジョー・コヴァックス(USA)は22m57で、クラウザーとは8センチしか差がありません。トータルな実力比較では明らかにクラウザーが先輩を追い越していると思われる一方で、コヴァックスが一発逆転のビッグショットを放つ可能性も十分にあるのです。
「逆転候補」をもう一人挙げるならば、リオ銅メダルのトム・ウォルシュ(NZL)。昨年はリオ五輪後のDLでクラウザーを連破、DL年間王座を実力でもぎ取った実績があります。

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◆無敵の女王にも一抹の不安

女子円盤投はここ数年、サンドラ・ペルコヴィッチ(CRO)の独り舞台と言える状況が続いてきました。
そんな無敵の女王も冷や汗をかいたのが、昨年のリオ五輪。どう考えても金メダルは固いという「鉄板」の存在と思われていながら、予選、決勝ともに2投目までファウルという窮地から、3投目の一発のみで切り抜けてきました。
そのペルコヴィッチがDLストックホルム大会でヤイミ・ペレス(CUB)に逃げ切られ、前回世界選手権でデニア・カバレリョ(CUB)に金メダルを攫われて以来の敗北を喫しました。どうやらキューバ勢は彼女にとって天敵のようです。

すでにオリンピックを2連覇しているペルコヴィッチは27歳になったばかりで、投擲選手としてはまだまだこれから脂が乗ってくるところでしょう。それでも常に敗戦の可能性はあるということですね。
だったら、どの選手に対しても軽々しく「鉄板!」などと言うべきではなかろう、ということになるんですけどね。

◆文句なしの大本命だが…
男子棒高跳といえば、現在の中心選手はルノー・ラヴィレニ(FRA)です。
あのブブカの伝説的な世界記録を凌駕した男であり、IAAFダイヤモンドリーグが創設されて以来、唯一7年間すべて年間王座に輝いているPVの帝王。
そのラヴィレニが、今季はなんとDL5戦で未勝利と苦悩の渦中に沈んでいます。故障もありますが、深刻なのは完全に自分の跳躍を忘れてしまっている精神的なスランプで、地元のDLパリ大会では助走の途中でポールを放り出したり、頭からタオルを被って懊悩したり、終始こわ張った表情でファンサービスに応じたり、と王者らしからぬシーンが次々と映し出されたのが印象的でした。

一方で、DL4戦全勝と圧倒しているのがサム・ケンドリクス(USA)です。
もともとラヴィレニを「最大のアイドル」として尊敬し、ゲーム中も小猫が纏わりつくように彼の傍らを付いて回っていたケンドリクスが、今年は完全に立場を逆転させてしまった格好です。しかも、その跳躍はこの種目の宿命とも言える不安定要素がほとんど見られず、全米で遂に6mヴォールターの仲間入りをしたのをはじめ、常に5m80以上で安定しています。

昨年のリオで地元の熱狂的声援の中みごとに6mオーバーを果たして優勝したティアゴ・ブラズ(BRA)は今季5m60で、未確認ながらロンドンの参加標準記録を有効期間内に跳んでいないと思われます。
また前回王者のショーン・バーバー(CAN)は、つい3日前に5m72をクリアしてぎりぎり参加資格獲得に間に合ったとはいえ、こちらも不振は明らか。
つまりケンドリクスにとってはライバル不在の状況で、パヴェル・ヴォイチェコフスキー(POL)がDLローザンヌで5m93を跳び、試技数差で辛勝したのが今季唯一の接戦でした。ケンドリクスにとっては現状唯一警戒すべき相手ということになりそうです。

とはいえ、他のどの種目と比べても何が起きるか分からないのが棒高跳。言うまでもなく、ラヴィレニの起死回生の復活劇、ということも十分にあり得ます。ただ、現時点で無類の安定した強さを誇るケンドリクスが、間違いなく今回の主役候補筆頭ではあるのです。

◆王者キプルトに異変か?
昨季オリンピックを快勝し、DLも6戦全勝で男子3000mSC不動の王座に就いたコンセスラス・キプルト(KEN)。今季もDLローマで余裕の勝利を挙げ、22歳の若きスティープルチェイサーの次のターゲットはまだ達成していない7分台と世界選手権のタイトルだけ、それも時間の問題だろうと思われました。

順当なら「鉄板」の一人に数えてもいい現在のC.キプルトですが、ケニアの国内選手権で故障を発生した、という情報があります。そのことを裏書きするかのように、DLモナコ大会では中盤で謎の急失速。しばらく後方でレースを続けていましたが、結局DNFということになりました。
キプルトの状態が黄信号、ということにでもなれば、前回まで6連覇を続けているケニアのお家芸にも、大ピンチが訪れることになります。モナコを制したエヴァン・ジャガー(USA)が絶好調と見え、すんでのところで逃し続けている7分台も目前という走りを見せているからです。大ベテランのブリミン・キプルトや終盤の爆発力に乏しいジャイラス・ビレチでは、ジャガーがもし自分の速いペースに持ち込めば、勝てないかもしれません。
まずは、予選にC.キプルトが無事に出てくるのかどうか、そこから注目してみたいと思います。