DLモナコ大会でのウサイン・ボルトを、皆さんどう見られたでしょうか?
私の見立ては、前回の記事を書いた時の状況と変わりなし、というものです。
つまり、今回世界選手権のラスト・レースに臨むボルトは男子100mの中心にはいるものの、絶対的な本命とするほどの高みにいるわけではなく、近年では比較的レベルが低い100mレースの中にあって優勝候補の一人に過ぎない、という状況です。
勝ったとはいっても、日本選手と互角の実力と目されるスー・ビンチャンあたりに「あれ、ひょっとして俺、ボルトに勝っちゃうかも?」と思わせるようなレースであったことは否めません。
もちろん、残りの約2週間できっちりと仕上げてくる可能性は高いでしょうし、それが偉大なるボルトの最大の武器でもあるのですが、それはガトリンやブレイクなど他の選手にも言えることです。結局、その時点で最もいいフィジカル・コンディションを作り上げた選手が勝つ、ということになるでしょう。

ボルトのことはひとまず措いて、今大会で間違いなく「主役」の重責を担い、そしてまず間違いなくその大任を果たすだろう、と思われる選手たちについて、今回はまとめてみたいと思います。

◆こちらも“ラスト・ラン”、地元の英雄モー・ファラー
モハメド・ファラーが世界選手権に初登場したのは、2007年の大阪大会。5000m6位というのがデビュー戦の成績でした。
翌年の北京五輪は予選落ち、続く09年ベルリン大会は7位と振るいませんでしたが、11年テグ大会で5000m優勝、それに先立ち10000mではゴール寸前まで単独トップを快走しながらイブラヒム・ジェイラン(ETH=この年、Hondaに所属)の猛烈な追い込みに屈して2位。翌12年以降は、2度のオリンピック、2度の世界選手権で全て5000・10000の2冠を制し続けています。
そのファラーは昨年のリオ五輪で史上2人目となる「長距離2種目2連覇」を易々と達成した後、34歳となる今年をトラック・レースのラスト・シーズンとすること、以後はマラソンをはじめとするロード戦線に専念すると宣言しています。

その強さ、その鉄板ぶりを支えているのは、どんなペースや展開になっても今のところは100%の確率で繰り出されている、ラスト1周53~54秒(時に52秒台)という強烈なラストスパートです。長距離種目をお家芸とするケニア、エチオピア等が複数のランナーで包囲し、自転車レースさながらのチーム戦術でファラーの勝ちパターンを封じ込めようとしても、一向に動ずることなく最後の1周で勝負を決めてしまいます。
昨年のリオでは、10000mの序盤で転倒しながらも何事もなかったかのように優勝。今年も、DLユージーン大会5000mで、ヨミフ・ケジェルチャ(ETH)、ジョフリー・カムウォロル(KEN)以下に、差は僅かですが測り知れないほどの実力差を見せつけて快勝。調整にも、年齢的な瞬発力の変化にも問題はなさそうです。

このファラーが、2012年以降のレースで途中のペース変化に消耗して失速したり、終盤のデッドヒートに競り負けたりといった光景を、私は見たことがありません。せいぜい、1500mのレースに出てさすがにトップのスピードに追走するのが精一杯だった、ということがあったくらいです。(とはいえ、1500でも3分28秒台!のPBを持っているのです)
まず、負ける場面を想像しがたいというのが正直なところなのですが、勝負に絶対はあり得ません。打倒の候補としては、5000mでは今季WLの12分55秒23を見事なラストの斬れとともに叩き出したムクタル・エドリス(ETH)か、猛暑の全米選手権を13分08秒台で圧勝したポール・チェリモか、といったあたりでしょう。
初日に行われる10000mのほうは、いよいよ盤石です。せいぜい、日本人選手がいないぶん、ポール・タヌイ(九電工)やビダン・カロキ(DeNA)の善戦を期待しましょう。

Mo Farah
オリンピック・チャンピオン・ユニを着てDLレースを走るファラー
(https://www.iaaf.org/news/news/farah-birmingham-iaaf-diamond-league)

◆スプリント新女王トンプソン
前回北京大会まで、女子スプリント、とりわけ100mの絶対女王に君臨していたのは、シェリー‐アン・フレイザー‐プライス(JAM)でした。自身で経営する美容院仕込みのド派手なヘアスタイルが毎回楽しみでしたが、前回は特に、緑色のドレッド・ヘアにヒマワリの花が5つ並んだ髪飾りという艶姿で、あっと驚かせてくれました。
そのシェリーアンの“子分”よろしく、同じヒマワリの髪飾り(ただし花は4つ)をつけて登場し、200mで日の出の勢いのダフネ・スキッパーズ(NED)に肉薄したのが、エレイン・トンプソンの世界デビューでした。
翌年のリオで、あれよあれよという間に100、200を制覇。100m3連覇を狙っていたシェリーアンの正統的後継者と、スキッパーズが手にしかけていたスプリント・スターの座を、いっぺんに手に入れてしまいました。リオで200のレースが終わった時には、トンプソンを祝福した後に鬼のような形相に一変しスパイクを地面に叩きつけて悔しがったスキッパーズでしたが、それ以降も、そのリベンジをトンプソンはことごとく返り討ちにしています。

今季はDLユージーン大会の200mで、21秒77(+1.5)の激走を見せたトリ・ボウイ(USA)の前に一敗地にまみれたとはいえ、DL100mでは4戦全勝。決して大差で勝っているというわけでもありませんが、隙の無さを感じさせる勝ちっぷりで、自身とシェリーアンが共有している10秒70のジャマイカ記録の更新も、十分に期待できそうです。
ロンドンでは、ボルトと同様に200を回避して100mと400mリレーに専念。100mのジャマイカ勢は、シェリーアンが産休に入ったのをはじめ完全に新旧交代の時を迎えており、マリー‐ジョゼ・タルー、ミリエル・アウレ(ともにCIV)、ブレッシング・オカグバレ(NGR)、ミシェリー・アイー(TTO)といった常連組もやや役者不足。女王奪還を目論むアメリカ勢の調子如何にもよるでしょうが、トンプソンが100mの大本命であることは間違いありません。
Elaine Thompson
(https://www.iaaf.org/news/report/thompson-miller-uibo-rabat-diamond-league)



◆強過ぎる!女子800mは「連単」なら1点買い?
キャスター・セメンヤ(RSA)の強さは、もうどうしようもありません。モナコでは1分55秒27のWL(南アフリカ記録)を余裕で叩き出して、30年以上破られていない世界記録すら、視野に入ってきています。
積み上げた連勝記録は現在18。これは女子のこの種目では、驚異的と言っていいでしょう。そのほとんどで2着を占めているのがフランシーヌ・ニヨンサバ(BDI)で、連勝単式ならば1点買いしか考えられないという趨勢です。モナコではセメンヤに0.20秒差と善戦したとはいえ、余裕度が違いました。さらに、3着マーガレット・ワンブイ(KEN)で「三連単」も鉄板、と言いたいところでしたが、こちらはモナコで最下位に沈んでちょっとミソつけちゃいましたね。
ドーピング禍で沈黙しているロシア勢あたりが復活してこないと、セメンヤの快進撃はそうそうストップできないのではないか、という気がしています。

◆「ネクスト・ボルト」はヴァンニーケルク?
ネクスト・ボルト、と言えばいっときヨハン・ブレイク(JAM)の代名詞になっていましたが、現状でこの名にいちばん近いところにいるのが、400mの世界記録保持者ウェイド・ヴァンニーケルク(RSA)でしょう。
リオで記録した43秒03というタイムの物凄さは、ゴールしてまるで表情を変えない静かな佇まいによって、いっそう凄味を増した感があります。その点、テレビ映りを常に意識しつつファンサービスに余念のないボルトとは好対照ですが、その記録が42秒台に突入、ということにでもなれば、いよいよ陸上界の主役は彼のものとなるでしょう。
今季はその足固めをするかのように、100mで9秒94(+0.9)、200mで19秒84(+1.2)と次々にPBを更新。(100で9秒台、200で19秒台、400で43秒台の記録を持っているのは史上ただ一人です)特殊種目の300mでも世界最高記録の30秒81を出しています。本業の400mでは、DLに2回登場していずれも軽~く43秒台で優勝。
今回は400だけでなく200mでも、ボルト4連覇の後を承けてマイケル・ジョンソン以来の二冠を狙ってくる計画のようです。

ただ、記録的に見ると200mではアイザック・マクワラ(BOT)が19秒77(0.0)と一歩リードしており、DLモナコの400mでも先行したヴァンニーケルクをマクワラが直線入り口でいったん追い越すという意外な接戦を展開しています。それを冷静に差し返したヴァンニーケルクの強さが印象的ではありましたが、警戒心は相当に抱いたことでしょう。
それでも、400mに関する限り、42秒台を見据えたヴァンニーケルクの勝利は不動ではないでしょうか。400の準決勝と決勝の間の日に予選が行われる200mのほうは、「勝てれば儲けもの」の心境でいけば、2冠は意外に簡単に転がり込んでくるような気もします。ただし、こちらにはマクワラのほか、100との掛け持ちになるブレイク、アンドレ・ドグラス(CAN)、クリスチャン・コールマン(USA)といった強敵も、手ぐすねを引いているはずです。

いずれ、ヴァンニーケルクが100mにもエントリー、なんてことになったら凄いですね。ちなみに、100m、200m、400mのスプリント3種目すべてで金メダルというのは、1956年のメルボルン五輪(100・200)と64年東京五輪(400)の2大会にまたがって女子のベティ・カスバート(AUS)が達成しているのみです。

◆ラシツケネとヴォダルチク…鉄板中の鉄板はこの二人
と、最後は雑になってしまいますが、強過ぎるぶん、但し書きが少なくなってしまうもので。
女子走高跳のマリア・ラシツケネ(ANA=旧姓・クチナ)と同ハンマー投のアニタ・ヴォダルチク(POL)です。
※ANAは「Authorized Neutral Athlete」…ナショナルチームに所属せず出場権を認められた選手。ドーピング問題で資格停止中のロシア陸連とは無関係に、IAAFの大会に出場を認められているロシア国籍のラシツケネ、セルゲイ・シュベンコフ(男子110mH)、ダリア・クリシナ(女子走幅跳)などの選手たちについての“国名表示”で、国旗は白無地で表現されます。

前回北京大会で先輩のアンナ・チチェロワを下して世界一の座を獲得しながら、ロシアのドーピング問題でオリンピック・イヤーを棒に振らされたラシツケネは、今季解き放たれたかのように5月27日(DLユージーン大会)以降毎週のように試合に出場、14戦全勝、2m06を筆頭に11試合で2m以上をクリアしています。ラシツケネ以外で、今季2mをクリアした選手はまだいません。
オリンピック・チャンピオンのルース・ベイティア(ESP)が38歳となった今季まったく振るわず、銀メダルのミレラ・デミレヴァ(BUL)も低空飛行、となるともはやライバル不在の独擅場となるでしょう。ローザンヌでチャレンジした2m10の世界新記録の高さに、ロンドンで再びバーを上げられるかが興味の焦点です。滅多に見せない美しい笑顔を、ぜひ見たいものです。
あとの興味は2位争い。全米で1m99を跳んだヴァシュティ・カニンガム(USA)、モナコで97まで伸ばしてきたユリア・レフチェンコ(UKR)の19歳コンビ、もしダブルエントリーしてくるならですが、七種競技の優勝候補筆頭ナフィサトゥ・ティアム(BEL)といった新興勢力に期待です。

女子ハンマー投も、非DL種目のためTV等では伝わってきませんが同じような状況で、ヴォダルチクが8戦全勝。79m73をSBとして、すべての試合で75m以上を投げ、ただ今38連勝継続中。
ランキング2位のグウェン・ベイリー(USA)とは3m弱の大差がついており、あとは中国のワン・チェンが73~76m台を安定して投げているくらい。チャン・ウェンシウは72m台と低迷中で、おなじみのベティ・ハイドラー(GER)は音沙汰なし。
どうやら、ヴォダルチク一人が毎年着々と記録を伸ばしているのに対して、対抗格の選手たちが脱落して、ますます格差社会になりつつあるのがこの種目のようです。興味は、ヴォダルチクの4年連続世界新記録なるかどうか、その1点のみでしょう。

今回ご紹介した「鉄板大本命」の選手たちに共通しているのは、その地力もさることながら、大試合できっちりと最高のパフォーマンスを出してくる調整能力の高さです。単にハイレベルな記録を狙うだけでなく、この点を日本人選手たちには真剣に研究してもらいたいものだと思います。